2008年04月10日22時26分掲載
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ネグリはどこに行ったか?3・29東大ネグリ講演会における姜尚中らへの批判 花咲政之輔 絓秀実
ネグリはどこに行ったか?
――3・29東大ネグリ講演会におけるわれわれの行動と姜尚中らへの批判
付・4・1早大入学式での学友不当逮捕に抗議する
花咲政之輔
絓 秀実
以下、本稿で便宜上「われわれ」というところの、一方の花咲は、2001年7月に一つの頂点に達し、その後も様々な問題を惹起してきた早稲田大学サークル部室撤去反対闘争を担ってきた当該の一員であり、他方の絓(すが)は、当時早稲田大学の非常勤教員をしていたかかわりから、その闘争を支援してきた者の一人である。同闘争の現在にいたる経過については、当該のホームページを見られたい。また、われわれが、この闘争を契機にして編集・執筆した論集『ネオリベ化する公共圏』(明石書店)も参看されたい。そこには、ネグリの協働者であるマイケル・ハートも寄稿している。
昨年、われわれはアントニオ・ネグリが来日するという情報に接した。また、来日に際しては、ネグリが早稲田大学においても講演を行うという企画が存在するということも、同時に知った(結局、開催されなかったが)。そこで、われわれは、ネグリのこれまでの思想と行動に鑑み、ネグリへの「質問状」を作成し、「情況」編集部をとおして、その質問状をネグリに渡した。当時、ネグリの日本招聘に関しては「情況」編集部が積極的にコミットしていたからである。「質問状」は「情況」2007年9・10月号に掲載されており、また前掲HPにもアップされている。
われわれの主張は、早稲田大学のみならず現下の日本の大学において、ネグリを招聘して講演会等のイヴェントを開催することが、いかなる意味を持っているかと問うことにある。ネグリ(+ガタリ)の著作のタイトルを用いれば、「自由の新たな空間」を切り開こうとするわれわれの運動を弾圧し、新自由主義の時代にふさわしい監視/管理体制への大学再編を目論む当局の尖兵として行動する教員のなかには、ネグリをはじめとする左派知識人の著作を肯定的に援用(紹介、翻訳etc)することで「大学人」としてのステイタスを誇示しているものが少なくない。端的に言えば、ネグリは反動的に横領されているとさえ言えるのである。
そうした状況下でネグリ・イヴェントが行われるとすれば、それは、ネグリのこれまでの思想と行動に反することではないだろうか。われわれとしては、「質問状」を媒介にして、そうした状況に積極的に介入し、ネグリ・イヴェントをラディカルに組み替えることを考えた。そうすることがネグリの思想と行動に応接するにふさわしいと信じるからである。
周知のように、ネグリは日本政府によって来日を阻止された。われわれは、このことについて断固として抗議するものであり、抗議の意味も含め、また、以上略述した当初からの目論見を追求すべく、ネグリ不在のまま開催された三月二九日の東大安田講堂でのイヴェントに介入をこころみた。ネグリが「自由の新たな空間」の出現として不断に記憶を喚起するのは「1968年」だが、安田講堂は日本の「六八年」の象徴的な建物である。その建物で、ネグリ・イヴェントが「東京大学130周年記念事業」として行われるということは、さまざまな問題を顕在化させずにはおかないだろう。いや、顕在化させなければならないのである。
われわれ(他数名)は開催一時間前から安田講堂前にタテカンを設置、ハンドマイクを使って主張を訴えるとともに、行動の意図とネグリへのわれわれの送付済み「質問状」を印刷したビラを、集まってくる聴衆に配布しはじめた。その時、最初の奇怪な出来事があった。イヴェント・スタッフ数人(学生であろう)が、東大の警備員数人とともにやってきて、ハンドマイクの使用中止を要求してきたのである。われわれが、その要求を斥けたことは言うまでもない。当日のイヴェントのタイトル(ネグリ講演の演題)「新たなるコモンウエルスを求めて」に照らせば、また、近年、ネグリやハートが積極的に押し出している「<共>(the common)の生産」という主張に徴しても、われわれの行動は、それにかなうものであると思われるからである。
いうまでもなく、「<共>の生産」とは無差異な同一性のことではない。それは「社会的な多数多様性が、内的に異なるものでありながら、互いにコミュニケートしつつ共に行動する」(『マルチチュード』)空間を模索することであり、闘争と議論を前提とする。ネグリ来日を前に刊行された『さらば、“近代民主主義”』は、その日本語版の惹句にも、またネグリ自身の「序文」にも記されているように、聴衆からの激烈な野次や罵声と討議のなかで生まれた。ネグリは、それらの罵声や野次をも「<共>の生産」の一過程として肯定したのである。それに較べれば、われわれの行動など申し訳ないくらい穏健なものだろう。
しかし、この学生スタッフの奇怪な行動は、その後のさまざまな出来事の序曲に過ぎなかったのである。
イヴェント開催の数分前、当日の主催者の中心人物でありコメンテーターでもある姜尚中(東大情報学環教授)が到着した。われわれはビラを手渡そうとしたが、姜は受け取らないばかりでなく、タテカンを横目で見て「これは撤去できないのか」と側近の学生(?)に例のシブい低音でつぶやいたのである。さすがに、その学生は姜をたしなめていた様子だったが、われわれが、この姜の発言に驚愕し呆れたことは言うまでもない。もちろん、われわれの目的は集会破壊ではないし、姜がそそくさと入場したこともあり、その場は、マイクで批判するだけでやり過ごした。
集会が始まっても、驚き呆れる主催者側の発言が頻出する。以下、簡単に列挙・報告しておこう。
開会するや否や、主催者側学生の司会者が、「不規則発言禁止」を宣言し、続いて姜が「ネグリの思想に反するかも知れないが、不規則発言には『生政治的』に対応する」と言った(「生政治」ではなく「生権力」であったかもしれないが、姜の例の声故に聞き取り不能)。姜にも多少の疚しさがあるのであろう。しかし、それ以上に「東大創立130周年記念事業」と銘打ったこのイヴェントは、官僚的につつがなく終らせたいという意味だろう。
ところで、この場合、「生政治」(「生権力」?)というのは語の濫用・誤用であり、単純に「肉体的かつ暴力的に対応する」という意味であろうが、まあ、こんな時にコジャレて「生政治」などという言葉を使ってみる姜という人には苦笑を禁じえなかった。つまり、ネグリでも呼んでコジャレた集会を企画してみたというのがミエミエではないか。ちなみに、当日のパネリストの一人である石田英敬(東大情報学環教授、後述)は、かつてbiopoliticsを「生体政治」と訳しており、この訳語{2字圏点}の方が、当日の姜の言う「生政治」のニュアンスに近い印象を与える。まあ、いいコンビだということだ。姜により好意的に考えれば、姜の言う「生政治」は、フーコーがその概念を出した時に参照した「警察学」を想起させるが、もちろん、それもきわめて俗なイメージとしての「警察{ポリツァイ}」のことである。
もう一人のコメンテーター上野千鶴子(東大文学部教授)は、
「1968年年というのは私たちにとって、特別な年であった。その40年後である、この2008年に、在日と女が教授としてここに立っているのは、当時からしたら考えられないことであり、皮肉ですよね{6字圏点}」と言った。上野の発言からは、当日のその官僚的空間に対する皮肉は聞き取れないのだから、このことこそまさに「皮肉」である。
昨今の上野は『おひとりさまの老後』の著者として著名だが、その本は、すでに斉藤美奈子や金井美恵子も批判しているように、女性ロウアークラスに対する配慮を欠いた、「勝ち組」女性のイデオロギーを敷衍したものに過ぎない(上野は、その同じ29日に、近くの中学校で、約1600人を集めて「反貧困フェスタ」が開催されていたことを知っているだろうか)。その本と同様に、上野のイヴェントでの発言は、「68年」が提起したフェミニズムや在日の運動の今日的帰趨が「勝利」であることをことほいでいるわけだが(そういう側面があることは否定しない)、しかし、その「勝利」が、その場において官僚的空間へと変質していることに、まったく無自覚なのである。
ネグリも不断に参照するドゥルーズ/ガタリは、マイノリティー問題を論じて、その多数多様性が「1」に回帰することを警戒し、常に「n−1」でなければならないと言った。その日、安田講堂の演壇に立っている二人は、まさに「1」に回帰してしまった「マイノリティー」ではないのか。
パネリストの一人として登場した石田英敬は、学生時代は革マル派(のシンパサイザー?)として著名な存在であった(立花隆『中核vs革マル』参照)。現在はシチュアシオニストなどを援用して社会批判もおこなうフランス文学者となっているが、東大駒場寮廃寮反対闘争では、運動弾圧の尖兵として「大活躍」した。われわれが携わってきた早稲田大学地下部室撤去反対闘争は、駒場寮闘争とも連動・連帯して闘われた。それゆえ、石田のような人物が、ネグリ・イヴェントに登場すること自体が、きわめて訝しいと感じられる。
石田の登場に対して、われわれは、その問題を問う野次と罵声
(といっても、おとなしいものだが)によって応えた。ところが、その時、姜尚中が「野次は止めろ、終ってからにしろ。止めないなら出て行け」と怒鳴り、それにわれわれが反論するや、こちらに歩み寄ってきて、われわれの持参したハンドマイクを持ち上げ、地べたに叩きつけたのである。この威圧的かつ「警察」的な暴挙に対して、われわれがイヴェント中も随時声をあげたことはいうまでもない。
かつて姜は、丸山真男を「『異質なるもの』に対する問題意識はほとんど伝わってこない」と批判したことがある。これは、丸山のナショナリズムにかかわって言われたもので、別段独創的なものではないが、姜の主張にもそれなりの理はある。しかし、1968年の東大闘争時の丸山は、最後にはブチ切れたとはいえ(それにも、それなりの理由はある)、東大全共闘とは、野次と怒号のなかで「対話」を続けていたのであり、この面での「「『異質なるもの』に対する問題意識」は、この度の姜などより、はるかにあったと言えるのである。ネグリ.イヴェントで見せた姜の「思想と行動」は、単に条理的な均質空間の維持に、官僚的に腐心しているだけであり、「68年」の丸山真男にさえ遠く及ばない。上野千鶴子と一緒になって、「68年」の懐古にふけっている場合ではないだろう。
イヴェント終了後、われわれグループは、再び安田講堂前で情宣活動を行いながら、姜を待った。しかし、「議論は終ってからにしろ」と言った張本人の姜は、ついに、われわれの前に姿を現さず、後に仄聞したところによれば、こっそりと別の方向へ去っていったということである。考えてみれば、最初からビラの受け取りさえ拒否し、タテカンの撤去をも考えた姜であれば、当然のことではあろう。上野千鶴子よりはマシな「皮肉」を記せば、ネグリが来なくてよかったネと言いたい。繰り返して言えば、ネグリは姜らの官僚的なイヴェント運営に、当然のことながら異をとなえただろうからである。姜らは、結果的に、ネグリ来日を阻止した日本政府に守られたとは言えないか。
イヴェント前後の情宣活動中、参加者からは賛否さまざまな意見が寄せられ、意見を交換することができた。われわれの行動を支持する意見も多く、その中には、ネグリ招聘や他のネグリ・イヴェントに携わった者も少なからず含まれる。また、「姜さんも辛い立場なんだから、手加減してやってよ」という意見も、関係スジから複数あった。
ここでその内容を記す必要はないだろうが、われわれも姜のいわゆる「辛い立場」なるものは仄聞している。しかし、それは「辛い立場」であるとしても、「官僚」としてのそれであろうと認識している。そして、われわれの行動は、自身の力量不足もあって、「手加減」以上の初歩的な介入であった。
われわれの行動に対する批判として、以上のこれまでの論述がそれへの回答とはならぬものとしては、「ハンドマイクやタテカン(それに野次であろうか?)といった闘いの方法は、やり方として古い」というものが一番多かった。それについて、一言しておこう。そういう人たちは、何が「新しい」方法かを決して示さないのである(せいぜい、ネットとか馴れ合い的な議論の方向といったものだ)。いや、「古い」と批判することによって、彼らは「闘争」から逃避することを合理化しているだけではないのか。
彼らが「古い」と批判するのは、半ば以上に「異質なるもの」
に対する拒絶反応ゆえであろう。もちろん、われわれが全て正しいなどと言うつもりはないが、彼らに「異質なるもの」を提示しえたということだけでも、われわれの行動の意義はあったと思う。それが単純な拒絶反応から、姜の言う「『異質なるもの』に対する問題意識」へと生成変化していくことを期待する。
もちろん、われわれも、そうしたものに接し係争するよう務めていく。闘争のスタイルに古いも新しいもない。出来うるかぎり多様なスタイルを、「異質なるもの」として押し出していくことが、さしあたって必要なのではあるまいか。
最後に、もう一つ重大な報告がある。
東大のネグリ・イヴェントの3日後の4月1日には早稲田大学
の入学式であり、われわれは例年どおり、抗議行動としてビラまきと情宣活動をおこなっていた。ところが、大学当局は、そこで抗議行動をおこなっていた一人の学生を突然とりかこんで拉致するや、牛込署を呼び逮捕させたのである(いわゆる常人逮捕である)。前掲HPを見てもらえば知られえるように、2006年12月にも、文学部キャンパスにおいてビラをまいていた人間が不当逮捕されたが、今回のケースも全く同様であり、理不尽きわまりない暴挙という以外にない。このような恒常的な管理・弾圧体制は、単に早稲田だけではなく、全国の多くの大学に波及していることは周知のとおりだが、同時に、われわれが報告してきた東大のネグリ・イヴェントに見られる事態とも深く通底していると考える。
4月1日の不当逮捕については、今後、前掲HPなどにおいて迅速かつ詳細に報告していく心算である。注目し、かつ支援をお願いしたい。もちろん、本稿で批判の対象とした姜尚中や上野千鶴子といった方々にも、そのことは切にお願いする。
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