2008年05月05日01時52分掲載  無料記事
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オーストリア監禁事件 何故誰も察知できなかったのか?

 オーストリア北東部の人口2万3000人ほどの町アムシュテッテンで、実父が娘を24年間自宅地下に監禁し性的虐待を繰り返していた事件が、先月末、明るみに出た。欧州社会全体での衝撃は10日経った現在も、消えていない。2年前にも、ウイーン近辺で、少女がある男性に数年間監禁されていた事件があった。何故オーストリアではこのような事件が起きるのか?「この国の特異の事件ではない」という見方がある一方で、「家長的価値観を重んじる国、ナチの過去を持つために『見ない、言わない』が普通になった国」として、何らかの非を指摘する見方がある。英各紙の報道を中心に、監禁事件の経過を振り返りたい。(*便宜上、人物の敬称を略してあります。)(ロンドン5日=小林恭子) 
 
 オーストリア人電気技師ヨーゼフ・フリッチェル(73歳)は、娘エリザベス(42歳)に対し、30年近く性的虐待を行なってきた。7人の子供を産ませ、その1人は生後数日で亡くなったため、遺体を焼却もした。残った6人の子供の中で3人は地下室から出し、養子として、妻ローズマリー(69歳)との間で育ててきたが、残りの3人はエリザベスと共に24年間、地下室に監禁してきた。 
 
 妻との間には7人の子供をもうけており、ヨーゼフは地上と地下室との二重生活を長年に渡って続けてきた。妻は監禁のことを認識していなかったとされる。ヨーゼフは地上の家族や周囲の人間には、「エリザベスは宗教集団に洗脳され、家を出た」と説明し、時折、「探さないで」としたエリザベスの自筆の手紙を地上の家族に見せることで説明を正当化していた。エリザベスとの間にできた子供の中で地上で生活していた3人には、「エリザベスが家の前に置いていった」と説明し、家族や周囲もこれを信じていた。 
 
 しかし、4月19日、ヨーゼフの嘘が続行できなくなる事態が生じた。自宅地下に閉じ込めていた娘エリザベスとの間にできた子供の1人、カースティン(19歳)が病気になり、救急車を呼ばざるを得なくなったのだ。エリザベスはカースティンの衣類のポケットに病気に関するメモを入れた。 
 
 カースティンが救急車で病院に運ばれてから1時間後、ヨーゼフが病院に現れ、医師と会話を交わした。ヨーゼフは、「カースティンの母親で自分の娘エリザベスはカースティンの面倒を見れず、父親である自分の家に子供を置いていった」と説明した。 
 
 医師はエリザベスからのメモを見つけ、カースティンが頭痛に悩み、アスピリンを飲んだ後でけいれんを起こしていたことを知った。カースティンの病状は悪化し、昏睡状態に陥り、免疫が機能しなくなった。病院の医師らは「宗教のカルト集団に染まって家を出た」とされるエリザベスに対し、姿をあらわし、娘カースティンのこれまでの医療情報を教えてくれるよう、テレビを通じて訴えた。 
 
 この訴えを受けて、ヨーゼフもエリザベスを連れてくることを余儀なくされ、4月26日、24年間失踪していたエリザベスは初めて地上に出てきた。エリザベスは父のヨーゼフとともにカースティンのいる病室に向ったが、母親が来るという情報を得た警察は、エリザベスとヨーゼフを逮捕した。カースティンの歯はほぼ全部が失われており、栄養失調にも苦しんでいた。子育て怠慢罪などをエリザベスが犯している可能性があった。 
 
 エリザベスだけを小部屋に呼んで話を聞いていた警察は、42歳という年齢にも関わらず、まるで60代のように白髪で、顔色が極端に悪く、非常に落ち着かない様子を見せていることに気づいた「2度と父親ヨーゼフと会わないことを保証する」ことを条件に、エリザベスは24年間の虐待の詳細を警察に語りだした。 
 
▽電気技師のこれまで 
 
 エリザベスの父ヨーゼフは、1935年4月9日、アムシュテッテンに生まれた。ヨーゼフが3歳の時、オーストリアはナチス・ドイツによりドイツ第3帝国に併合された。アムシュテッテンの戦争功労者の中に「フランツ・フリッチェル」という人物がいる。この人物がヨーゼフの父親なのかだろうか?ヨーゼフの逮捕から5日後、オーストリア警察の主任調査官フランツ・ポルザー氏は「ヨーゼフの両親が誰か分からない」と報道陣に答えている。この時に限らず、オーストリアでは「過去の記録はない」、「個人情報は出せない」とする文句を英各紙のジャーナリストは「非常によく聞く」ことになる。 
 
 ヨーゼフは技術系専門学校で電気工学を学び、鉄鋼会社に勤めた。1956年、21歳で、当時17歳だったローズマリーと結婚した。次に勤務した建設資材会社では、「頭が良く、技術力に優れた人物」として評価を受けた。その後、ドイツ企業のセールスを担当し、1973年には、山間部にあるサマーキャンプ内の宿泊施設を購入し、妻と共に1996年まで運営した。同時に、アムシュテッテンに、現在の居住地となる大きな灰色の家を購入し、不動産業も営んだ。 
 
 この間、ローズマリーさんとの間にはユーリケ、ドリス、ハラルド、エリザベス、ヨーゼフ、ガブリエレの7人の子供たちが生まれた。 
 
 近所では、ヨーゼフはメルセデスを乗り回す、いつも身奇麗な格好をしている電気技師として知られていたが、暗い過去があった。1967年ごろ、オーストリア第3の都市リンツに住む女性をレイプし、有罪となっている。現在、警察側はヨーゼフには「前科はない」としているが、過去に犯罪を犯していても、その後のリハビリを重視するオーストリアでは、40年も前の罪だと記録に残っていないというのが背景にあるようだ。10年から15年で、過去の犯罪記録を消す場合もあると言う。 
 
 今回の事件が明るみに出て、テレビでヨーゼフの顔が映し出されるようになると、「レイプ犯人はヨーゼフだった」と報道陣に語る女性が出た。この女性の自宅に侵入したヨーゼフはナイフを彼女の喉元にあて、レイプ行為を働いたと言う。リンツ警察はこの事件に関する記録の存在を確認している。また、別件の性犯罪事件の容疑者だった記録もあることを認めた。1974年、1982年には放火罪で事情聴取を受けていた。 
 
 1986年、フリッチェル夫妻がかつて運営していた宿泊所の近くにある湖で、マリティナという当時17歳の女性がレイプされ、殺されている。一部報道では、この件にもヨーゼフが関連している。殺されたマリティナはエリザベスに非常に良く似ているという。 
 
▽虐待は11歳から 
 
 1977年、ヨーゼフは11歳のエリザベスに性的虐待を行なうようになった。1年後、ヨーゼフは地下に核シェルターに作る建築許可を当局に申請した。冷戦時代、核シェルターの建設申請は珍しいことではなかった。5年かけて、ヨーゼフは地下牢を建設した。重量が約300キロのドアもつけたが、あまりの重さに「共犯者がいたのではないか」とする説が出ている。1983年、改装の様子を建設当局が検査しに来たが、特に問題は指摘されなかった。 
 
 虐待が続いていたエリザベスは2度家出をしているが、その度に、自宅に戻されている。何故エリザベスが家を出ようとしたのかに関し、十分な調査は行なわれなかった。当時、ヨーゼフ家を訪れた知人のポール・ホエーレ氏は、ヨーゼフがエリザベスにきつくあたっている光景を目にしている。 
 
 1984年、エリザベスは18歳となり、自宅近くのレストランでウエイトレスとして働いていた。同年8月24日、ヨーゼフはエリザベスに鎮静剤を与え、地下室に連れ込んだ上で、レイプした。最初の数週間、ヨーゼフはエリザベスを鉄の棒にくくりつけたままにしておいたと言う。5年間、エリザベスは1人で地下室での生活を強いられた。 
 
 地上では、ヨーゼフはエリザベスが宗教団体に入るために家を出た、と家族に説明していた。失踪から1ヶ月ほど経ち、エリザベスが書いた手紙が届き、「新しい人生を始めたい、探さないでくれ」と書かれてあった。もちろん、ヨーゼフがエリザベスに強要して書かせた手紙だった。 
 
 1988年にはヨーゼフとエリザベスの最初の子供カースティンが生まれ、1990年にはステファン、1992年にリサ、1994年にモニカ、1996年にアレックス、2002年にはフェリックスが生まれた。アレックスは双子だったが、片方が生後3日で死んでしまい、ヨーゼフは地下室の焼却炉で遺体を処理した。リサ、モニカ、アレックスは生後間もなく地下室から外に出され、ヨーゼフは「偶然にも見つけた」として、妻ローズマリーに育てさせた。子供たちには、「エリザベスが置いていった」と説明していたという。 
 
 エリザベス失踪から24年間、児童福祉関係者が20回以上、ヨーゼフ家を訪れてた。しかし、ヨーゼフの過去の犯罪歴や娘が2度家出をしようとしたこと、何故か定期的に子供が家の前に置き去りにされるという、異常な事態が起きていたにも関わらず、福祉関係者は何の疑問も呈することはなく、ヨーゼフの嘘は長年続いた。 
 
 ヨーゼフは時には地下室で数時間、あるいは一晩を過ごすこともあり、子供たちと一緒にテレビを見ることもあったと言う。部屋数が少なかった数年間は、ヨーゼフはエリザベスを子供たちの眼前でレイプしていた、とする報道もある。その一方で、親しい友人には、妻ローズマリーが「太りすぎたので、セックスはしていない」と語っていた。 
 
 ヨーゼフは友人らとタイに長期旅行にも出かけている。タイは買春の場所として知られている面があるが、オーストリア警察は、「プライバシーの問題」として、これを特に貴重な情報とは思っていないようだ。 
 
 妻ローズマリーの妹クリスティーナによると、ヨーゼフは毎朝、午前9時頃、「販売する機械の設計図を書くため」、地下室に入っていったと言う。「ローズマリーは地下室にコーヒーを持ってゆくことも許されなかった」。 
 
―「怖いので言えない」 
 
 果たして、本当に異常な事態を気づいた人はいなかったのだろうか?警察は、ヨーゼフ家に間借りしていた100人程の人物に聞き込み調査を続行中だ。これまでに明らかになったところによると、間借り人の何人かは「何かがおかしい」と感じていた。ところが、「部屋を出ろと言われると困る」などの理由から警察に通報する人はいなかった。 
 
 英サンデー・テレグラフ(4日付)が報じたところによると、ヨーゼフ家をよく知る人々の間では、エリザベスが父親から性的虐待を受けていたことは「周知の事実」だったと言う。 
 
 元下宿人の一人ヨーゼフ・ライトナー氏がテレグラフに述べたところによると、「エリザベスと非常に親しくしていた、学校時代の友人を知っている。父がエリザベスに何しているかを聞いた。でも、自分は関わらないようにしようと思った。部屋から出たくなかったので、自分だけの秘密にしようと思った」、「エリザベスだけでなくみんながヨーゼフを怖がっていた」。 
 
 エリザベスの同級生だったアルフレッド・ドバノフスキー氏もエリザベスが「父を怖がっていた」ことを知っていたと認める。ヨーゼフが地下に食物を運んでいる様子も目撃していた。 
 
 ライトナー氏は、妻ローズマリーが「何かを知っていたのでは」と感じている。夫妻は常に別々に休暇を取っていたからだ。「誰かが面倒を見なければ(地下室にいるエリザベスや子供たちが)餓死すると思ったのではないか」。 
 
 何故ヨーゼフは娘を監禁し、性的虐待を繰り返したのだろう?サンデータイムズ(4日付)の記事の中で、オーストリアの犯罪心理学者レインハード・ハリー氏は、ヨーゼフを突き動かしたのは「セックスへの執着と言うよりも、権力への執着」だ。「100%、犠牲者を管理下に置きたいのだ。家長としての絶対的な権力」に魅力を感じるのがヨーゼフという人物だ、と説明する。 
 
 精神学者のレオ・プロスマン氏は「悲しいことに、家長的人物がこの社会では普通だとされる。だから、妻ローズマリーは夫ヨーゼフの言うことを疑わなかったのだ」(同紙)。 
 
 監禁事件の発覚で、オーストリア自体に対するイメージは悪化しており、政治家はこれをなんとかするために、躍起だ。しかし、オーストリアのコラムニスト、ハンス・ラウシャー氏は、国のイメージよりも福祉サービスを向上させることに力を入れるべきだ、と主張する(前述、同紙)。「アムシュテッテン事件は、お上に対するオーストリア市民の従順さや勇気の欠如とつながっている。こうした態度はオーストリア社会でよくある」。このために、人々はヨーゼフの嘘を見抜けなかったのではないか、とラウシャー氏は述べる。 
 
▽ナチの影響も? 
 
 アムシュテッテン事件は、ナターシャ・カンプッシュ事件をほうふつとさせる。ナターシャは10歳で、ウォルフガング・プリクロピルという男性に8年間監禁された。18歳でプリクロピルの家から逃げ出し、ウィーン近辺で警察に保護された。男性は自殺した。 
 
 ナターシャは、エリザベスに対し、「何か支援できることがあれば、声をかけて」という公開メッセージを出している。財政支援も予定している。 
 
 この2つのケースをオーストリア特有の話と見るか、偶然と見るかで意見は分かれる。ネットを見ると、「オーストリア独自のことではない」、「他国がオーストリア独自の事件として見るのはあたっていないし、不快だ」とする声があった。 
 
 ナターシャ自身は、BBCの取材に応じ、オーストリアだから起きた部分もあったことを示唆している。ナチ時代、オーストリアの「女性は抑圧されていた。全体主義的教育があった」とし、これが女性を監禁し、思うままにする行為の背景要因としてあったと指摘した。 
 
 ナターシャをかつて診察した心理学者マックス・フリードマン氏は、BBC「ニューズナイト」の取材(1日放映)の中で、今回の監禁事件が長年発覚しなかった理由として、オーストリアが未だにナチ時代の後遺症に苦しんでいるから、と述べている。フリードマン氏によれば、「何かを都合の悪いことを見たり聞いたりしても、それを当局には通報しない傾向がオーストリア人にはある」と言う。「1933年から45年にかけて、たくさんナチのスパイがいた。こういう人たちは、戦後、嫌われた。そのために、今では情報屋とみなされないよう、何かを見ても通報しない。オーストリアは未だにナチの過去に苦しんでいる。過去からヒーリングする途中にある」と述べている。 
 
(主な参考情報: http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/7376667.stm 
http://www.independent.co.uk/news/europe/the-family-man-of-amstetten-double-life-of-a-pillar-of-austrian-society-820880.html 
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/europe/article3867629.ece 
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/europe/austria/1924847/Austria-Wall-of-silence-hid-Josef-Fritzl%27s-sex-crimes.html ) 


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