2008年05月05日15時54分掲載  無料記事
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山は泣いている

29・自然度と感激度の関係 日本山岳会が登山の楽しさの原点を問い直す試み 山川陽一

第8章 開発か自然保護か・1 
 
 いまの日本に秘境と呼ばれる場所はほとんど存在しないだろう。道なき道を分け入り、ようやくたどり着いた頂で涙して感激に浸るような山行は、求めてもかなわない時代になってしまった。その代わり、名の知れた山の大半は、至近距離まで山岳道路や林道やロープウエーなどが通っていて、そこからは誰でも容易に整備された登山道を歩いて山頂に達することが出来る。いつの日からか、山小屋で冷えたビールでのどを潤すのが登山者たちの習慣になってしまった。重い思いをして水や食料を担いで行かなくても、それもお金が解決してくれる。おかげで、より多くの人たちが山岳景観を楽しむことができるようになったのだが、引き換えに自然が失われていることをどう考えるべきなのだろうか。 
 
 わたしがここ数年間で登った山のうち、羽後朝日岳と毛勝山は、そんな自分の渇望にも似た欲求を満たしてくれるわずかに残された山岳領域であった。両山とも一般登山道と呼ばれるものがない。羽後朝日岳は、和賀山塊の一角を占める山で、滝をいくつも掛ける急峻な谷を登路として稜線に至るが、頂稜には高山植物が群生した天上の楽園が広がっていた。毛勝山は剣岳の前衛をなす日本海側に面した山で、猫又山に至る稜線上からは、剣岳北面の岩壁と立山連峰が眺望できる。無雪期に登ろうとすれば落石の危険が伴う急勾配の沢にルートを取る以外ない。 
 わたしたちが登ったのは、まだ残雪が充分残る5月の連休だったが、潅木や逆層の笹藪に行く手を阻まれて悪戦苦闘の連続だった。しかし、それと引き換えに得た感激は大きく、山頂の近くに張ったテントサイトから、夕日に赤く染まりゆく剣岳を仰ぎ見たとき、涙が自然と溢れ出るのをとめることが出来なかった。整備された登山道を、道標を見ながら忠実に辿れば必ず山頂に導いてくれる山行と異なり、ルートさがしから始まる過程も登山の本当の楽しさを満喫させてくれた。 
 
 話は変わるが、2005年は日本山岳会が創立100年を迎え、その記念行事のひとつとして、全国25支部が総力を挙げて日本列島の中央分水嶺踏査に取り組んだ。公道のような整備された登山道を行けばいいところばかりでなく、人跡未踏の藪山に踏み込まなければならないところも多く、時に撤退を余儀なくされ、各地からの踏査記録を読んでいるだけで登山の楽しさが伝わってくる。世界の主要な高山や有名なカベが登りつくされた今日、100年にわたって日本の近代登山をリードしてきた日本山岳会が、この地味だけれども登山の原点的なプランに組織を挙げて取り組んだことは、愉快であり、示唆に富んでいる。(つづく) 


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