2008年05月22日20時42分掲載  無料記事
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ブラジル農業にかけた一日本人の戦い

<序章>ブラジルを農場大国に押し上げた、日本人移民の力 和田秀子(フリーライター)

  ご承知の通りブラジルは、ロシア、インド、中国とならんで“BRICs”と称されるほど、その目覚ましい発展ぶりが注目されている。このようなブラジル経済の動向や、現在、ブラジルが積極的に推進している“バイオエタノール”関連のニュースは、メディアでもよく耳にするようになった。 
 しかし、こうしたブラジル経済発展の影に、少なからず日本人移民たちの貢献があったことは、あまり伝えられていない。 
 
 今年、2008年は、日本人がブラジルに移住してから、ちょうど百年目にあたる。今から百年前の1908年4月28日、神戸港から出港した「笠戸丸」は、農業契約移民781名を乗せて、新天地ブラジルへと向かった。 
 当時の移民たちの様子は、第一回芥川賞に選ばれた石川達三の「蒼氓」にも描かれているが、そのほとんどが、なけなしの土地や家を売り払って手にした僅かな資金と、政府からの補助金を頼りに、「一攫千金」を夢見てブラジルへ渡った“出稼ぎ人”たちであった。 
 
 日本のブラジル移住政策は、第二次世界大戦によって一時期中断されたものの、戦後まもなく再開。1973年に、最後の移民船「にっぽん丸」が神戸港を出港するまでの間、ブラジルをはじめ南米大陸へと渡った人口は、23万人以上にものぼった。 
 
 現在の10代〜20代の世代には、このような移民の歴史はもちろんのこと、戦前から戦後を通してブラジルへ渡った日本人たちが、ブラジル農業の発展や、世界の食糧供給に大きく貢献したという事実は、ほとんど知られていない。 
 ブラジルにおける日系農家の評価は高く、「農業の神様」あるいは「緑の魔術師」と呼ばれるほど、絶大な信頼を寄せられていたというのに、これは誠に残念なことである。 
 
 とくに、1970年代半ばから2000年にかけて、ブラジルで「不毛の大地」と呼ばれている“セラード”を開拓し、アメリカに次ぐ世界第2位の大豆生産国へと押し上げた功績は、日本人の力があってこそ、と言っても過言ではないだろう。 
 
 そこで、この連載では、約40年以上にわたり、ブラジル農業に力を注いできた戦後ブラジル移民のひとり、横田尚武さん(67歳)の歩みにスポットを当てることで、ブラジル農業において「日本人の果たした役割」をふり返ってみたいと思う。 
(つづく) 


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