2008年06月09日20時55分掲載
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ブラジル農業にかけた一日本人の戦い
<2>キッカケは、英語教師に叱られたこと 和田秀子(フリーライター)
横田さんの人生は波乱に富んでいる。
そもそも、今から48年前、18歳だった横田さんを、単身ブラジルに向かわせたものは何だったのか―。
横田さんに素朴な疑問をぶつけてみると、よく日焼けした顔を笑顔でくしゃくしゃにして答えてくれた。
「<横田!おまえは英語ができんくせに、勉強もせんで、どうしようもないやつだな!>と、いつも私は、英語の先生に叱られとったんですよ」
横田さんは「敵国だったアメリカの言語は学びたくない」という反発の気持ちから、英語の授業はいつも、図書館で借りてきた本をこっそりと机の下に広げ、授業はそっちのけで読みふけっていたのだという。
当然、英語の教師からは、目をつけられることになる。
ある日、ちょうど横田さんの後に座っていた生徒が、英語の授業中に私語をしていたところ、「こらっ横田、うるさいぞ!その態度はなんだ!」と言って、英語の教師は、突然、横田さんをぶん殴ったのだ。
私語をしていた張本人の生徒が、慌てて「先生、私語をしていたのは僕です。横田君ではありません」と名乗り出たが、英語の教師は一切取り合わず、一方的に横田さんを叱り続けたのだという。
「ちくしょう!英語ができんだけで、こんな濡れ衣を着せられるのか!だったら、英語なんか関係のない国に行ってやる!」
これが、横田さんをブラジルへ向かわせることになった動機であった。
「そんな些細なことで?」と思われるかもしれないが、血気盛んで負けん気の強い18歳の少年にとっては、十分な理由だったのだ。“コチア青年募集”という広告記事を見つけた横田さんは、そこに書かれていた『行け!ブラジルの新天地!』という謳い文句に、即座に反応する。
「これだ!ブラジルなら英語は関係ない。ブラジルで大農場主になって、英語の先生を見返してやるぞ!」
18歳の横田さんは、そう考えた。
コチア青年に選抜されるためには、倍率の高い試験に合格する必要があった。ブラジルでの過酷な農作業に耐えうる“体力”や“気力”が審査されるのである。
横田さんは、当時、身長156センチ、体重46キロというひ弱な体格であったが、気力だけは人一倍持ち合わせていた。
「絶対に、あの英語の先生を見返すんだ!」という気持ちで、60キロもある麻袋を持ち上げて体を鍛え、体力試験にパス。応募者約120人のうち、移住の許可が下りるのは約半数であったが、見事その一人に選ばれ、ブラジル移住が決まったのだという。
「先生、10年間だけ元気で生きとってください。10年たったら、俺は必ず成功して帰ってきますから」
そう英語の教師に言い残して、横田さんは、移民船「あるぜんちな丸」でブラジルへと渡る。横浜港からブラジルのサントス港まで、約40日におよぶ船旅であった。
(つづく)
◇参考文献
田尻鉄也『ブラジル社会の歴史物語』(毎日新聞社/平成
11年10月15日発行)
青木公『ブラジルの大豆攻防史』(国際協力出版会/2002年
5月30日発行)
青木公『甦る大地セラード』(国際協力出版会/1995年7月
10日発行)
鈴木孝憲『ブラジルの挑戦』(ジェトロ(日本貿易振興会)/
2002年3月22日発行)
『ブラジルの歴史』(ブラジル高校歴史教科書)(明石書店/
2003年1月31日発行)
内山勝男『蒼氓の92年』(東京新聞出版局/2001年1月30日発行)
外山脩『百年の水流』(トッパン・プレス印刷出版有限会社/
2006年8月 )
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