2008年06月25日09時25分掲載  無料記事
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中国

著名作家の「涙の忠告」に在米中国人ジャーナリストが反論 四川大地震の校舎倒壊

  四川大地震による校舎倒壊で子どもを失った親たちの告発活動に、中国の著名な作家・余秋雨氏が水を差した。余氏は自身のブログで「涙をもって告発被災民に忠告する」と題し、手抜き工事の責任追及が反中勢力の宣伝に口実を与えるものだとする意見を公にした。このことについて、アメリカ滞在中の中国人ジャーナリストが反論をしている。 
 
 いまだ冷戦時代の思考にある知識人エリートたち 排外敵視の 思考はやめるべき 
 余秋雨氏はシャロン・ストーンを見習ってはどうか 
 
 劉鑒強(中国人ジャーナリスト。現在アメリカのカリフォルニ ア大学バークレー校訪問研究員) 
 
 余秋雨はその優美な散文で十数年前から人気作家となり、中国では現在、年収の最も多い作家の一人だ。ところがこの一週間、余氏は「泣きの涙」だった。というのも地震の被災者たちに訴えを起こすなと忠告し、ブログ(http://blog.sina.com.cn/s/blog_46e94efe01009iom.html)を見た人々から痛烈な批判を受けたからだ。 
 
 余秋雨は6月5日の夜、「涙をもって被災民たちに忠告する」という文を発表した。海外のメディアを見ると、被災地の親たちが犠牲になった子どもたちの写真を掲げ、倒壊した校舎を建設した指導者と業者を訴えると報道していることについて、余氏は「長いこと反中の口実を探していたメディアが反中宣伝を始めた」と言っている。 
 
 彼が「涙をもって」被災民に当面「訴え」を起こすなと忠告し、「いま内から外から多重の力が一箇所に集めてこそ、今後の大きな任務を一つずつ完成していくことができる。だから、きみたちは主人としての立場で、副次的な問題で混乱を来さないよう、この感動的なムードを保ってほしい。中国人に対して好意を抱かない一部の人が日々我々が何か過ちを犯さないかと待っているのだ」という。 
 この文は発表してすぐ大手のウェブサイトのトップページに出され、現在、ブログだけでも50万を超える人が閲覧し、賛成と反対がはっきり分かれている。発表された最初の2日間で掲示板の書き込みは4000を超え、とくに反対する人の発言は過激だった。しかし、筆者が閲覧後に書き込みをしようとしたところ、突然1000の書き込みが削除され、そのあとブログの書き込み機能が停止して評論を発表できなくなった。 
 
 ある読者は余秋雨をこう批判した。「法治国家において、被災民たちが政府に平和的に請願を行うことは当然であり、災害支援を遅らせることもないし、中国の面子をつぶすことにもならない。余氏がなぜそんなことを恐れているのかわからない。なぜ涙をもって忠告するのか。人民大衆が憲法にのっとって権利を行使することの何がこわいのか」 
 
 ある読者はこう書き込んでいる。「子どもを失った親は反中勢力に利用されているわけではない。本能的な反応だ」 
 余秋雨が破廉恥な文人だ、御用文人だと罵倒する人もいた。 
 
 余秋雨は20万元の救援金を送ったというから同情心は持っている。誰かに媚びを売っているわけでもない。だから余氏は罵倒されたような「冷血」な人間でもないし「破廉恥」でもない。しかしよく彼の「涙のアピール」を分析すれば、思いもかけぬ発見があるのだ。それは彼がまさに今日の中国における知識人エリートの思考的惰性の代表だということだ。 
 
 余秋雨が「涙をもって忠告」したのは、被災民の直訴が反中勢力に利用されることを恐れているからだ。彼の考えでは西側メディアが誣告する言い方には4つあるという。 
一、天災というより以上に人災である。 
二、裁判所がこの件を受理しないと政府が発表した。 
三、海外の記者5人がこの場面を撮影したことで公安に「短時間拘束され」、その身分を尋問された。 
四、地震が中国を民主化させるのか。 
 
 私は海外メディアの報道、『ニューヨーク時報』、AP、そして『ウォールストリート・ジャーナル』まで読んでみた。中国報道に偏見のあるメディアもあるが、訴えを起こした被災民の報道にこうしたマスコミにはとくに「反中宣伝」が見られない。余氏は4つの「罪状」というが、どこに罪があるのかわからない。 
 「天災というより人災だ」というのは中国のマスコミと一般の人々が持っている思いであって、海外メディアの専売特許ではない。これは事実であって捏造などではない。記者が短時間拘束されたことも誣告にはあたらない。地震が中国の民主化進展に影響をおよぼすということも、中国のマスコミで論議がなされており、決して西側のマスコミが発明したわけではない。 
 
 したがって、「誣告」という言い方には実証がなく、かえって中国の一部知識人エリートの硬直した排外的思考の傾向が証明されてしまったのである。 
 
 余秋雨を支持する読者はこういう意見を出している。 
「秋雨先生は私たちが言いたかったことを言ってくれた。告発しようとしている人たちにはよくよく考え直してもらいたい。悪い人たちの挑発に乗っているのかどうか」 
「(告発は)外国人記者がいちばん見たいことだ。我々の苦悩を他人が我々に対する攻撃の理由にしてはならない。党の話を聞こうではないか」 
「余先生の忠告を支持する。国難のときにはみんないっしょになって対応しなければならない。親しい者に苦痛を与え、敵をよろこばせるようなことはしてはいけない」 
 
 こういう意見は、この2か月来、中国の青年たちに見られる排外感情と共通している。西側メディアのチベット問題に関する偏見報道に反対するためにつくられたウェヴサイト(anti-cnn.com)でも、余秋雨氏は支持されている。 
 
 余秋雨タイプの思考は現在の中国ではめずらしくはない。抑圧されている民衆が直訴を行うことが社会の安定、団結を破壊するものだと見なし、工場汚染を訴えた農民が外国人の取材を受けたために逮捕されたり、大手の利益集団がやたらにダムを造ることに反対する中国のNGOについて、「外国人から金をもらっている」と中傷したり、中央政府が災害救援で「世界共通の価値」を尊重したことについて、南方報業(訳注:『南方周末』『21世紀経済報道』などの新聞、雑誌を刊行するマスコミ・グループ企業。しばしば政府批判の報道をすることで知られている)が評価する論文を発表したことを、外国の反中勢力の「代理人」だと中傷したりする。困ったことは、こういう冷戦時代の思考の知識人エリートが少なくないということだ。 
 
 『人民日報』編集委員はエンゲルスのことば「大きな歴史的災害は必ず歴史の進歩を補償する」を引用し、我々は進歩を望んでいるが、その前提として災害と誤りから学ばなければならないと述べている。もし謙虚に自問しようとせず、閉鎖的な心理で世界を見て、自分の責任を世界からの「敵意」に置き換え、一般住民の権利を犠牲にして面子を守ろうとするならば永遠に進歩はありえない。 
 余秋雨氏はむしろシャロン・ストーンを見習うべきだ。シャロン・ストーンが中国人から非難を受けたのは、彼女の話の一部が原因だった。テレビ・インタビューを受け、彼女は考えを改めた過程を話した。彼女は中国人が嫌いだが、人を感動させた。徳をもって恨みに報い、被災民を助けるべきだ。彼女は反省をし自分の誤りを正した。 
 
 中国が偉大な国になりたいのなら、自分を観察し、反省し、「自己鍛錬」を積んで強くなるべきだ。国民の基本的権利を守る民主的な法治国家になるべきであって、小さなことまで敵と見なし、どこもかしこも仮想敵国とするような排外的敵意を抱くべきではない。 
 
原文=『亜洲週刊』08/6/22号コラム「新思維」(劉鑒強) 
翻訳=納村公子 


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