2008年08月04日11時07分掲載  無料記事
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ブラジル農業にかけた一日本人の戦い

<12>米企業の遺伝子組み換え汚染から「食の安全」を守りたい 和田秀子(フリーライター) 

■“ジャポネス・ガランチード”を取り戻したい 
 
 資金難のため、バイア州の「戦後移住者開拓団地」の開発をあきらめた横田さんは、2004年、2,300ヘクタールの土地をバイア州に残したまま、日本に向けて飛び立った。 
 「もう一度、なんとしても日本人の威信と信用を取り戻したい」そんな気持ちで、横田さんはブラジルを後にしたという。 
 
 日本人が、初めてブラジルに渡ってから100年間、その勤勉で優秀な働きぶりは、“ジャポネス・ガランチード(信頼のおける日本人)”といわれるほど、ブラジルで高く評価されてきた。 
ブラジルの農業労働者たちの間では、きちんと賃金を支払ってくれる日系人の農場で働くことは、ちょっとしたステータスであったという。 
 
 しかし、コチア産業組合の崩壊とアメリカ資本の進出により、大豆栽培に従事していた日系人農家の多くは、破綻に追い込まれた。そのため、使用人も解雇せねばならず、“ジャポネス・ガランチード”という名声は、ガラガラと音を立てて崩れ去ってしまったのだ。だからこそ横田さんは、ふたたびブラジルの大地を耕すことで、日系人の威信と信用を取り戻したい、と考えていた。 
 
■遺伝子組み換え種子の脅威 
 
 そしてもうひとつ、横田さんには守りたいものがあった。それは“食の安全”である。 
 ブラジルでは、2003年8月まで遺伝子組み換え作物の生産は禁止されていたが、アメリカの強い圧力によって解禁となった。 
 
 ブラジル国内での遺伝子組み換え種子の使用は、現在でも厳しい管理下におかれているが、水面下では違法な生産が進んでいたため、現在ブラジルで生産されている大豆の約60%が、遺伝子組み換え種子によるものだという。とくに、アメリカ資本がブラジルに進出してからは、その傾向が顕著だと横田さんはいう。 
 
 「アメリカでは、穀物の生産性低下が深刻な問題となっています。その理由は、化学肥料の大量使用によって土壌に塩化ナトリウムが蓄積し、“塩化現象”が引き起こされた結果、作物の生産量が落ちてしまったからです。 
 そこでアメリカは、種子の遺伝子を試験管の中で組み換え、塩に強い種子を作り出したんです。 
 品種改良を重ねて作った種子なら問題はなかったんですが、自然界にはまったく存在しない種子を人工的に作り出したため、『その葉っぱを食べた害虫たちが次々と死んでいく』、という現象が起きました。そんな作物が、私たち人間の口に入り、家畜の飼料としても使用されているんですから、本当に恐ろしいですよ。だから私は、遺伝子組み換えでない“安全な食物”を作りたいんです」 
 というのが横田さんの願いなのだ。 
 
■グリーンベルトで遺伝子組み換え種子をブロック 
 
 しかし、遺伝子組み換え種子が大半を占めるようになった今日において、横田さんがいう“食の安全”を確保することは、たやすいことではない。なぜなら、作物の花粉は風に乗って飛来したり、蜜蜂や、その他の昆虫などによって運ばれたりするため、たとえ自分の農地で遺伝子組み換え種子を使用していなくとも、知らず知らずのうちに汚染されてしまう。その結果、作物の生態系が壊されてしまうのだ。 
 すでにメキシコでは、貴重な在来種のトウモロコシが、飛来した遺伝子組み換え種子に汚染され、存亡の危機に陥っているという。 
 
 「だから私は、まだ生態系が壊されていないセラードの土地を新たに購入して、その周囲100キロメートルにわたって植林しようと考えています。つまり、農場の周りに“木の壁”(グリーンベルト)を作ることで、花粉の侵入をシャットアウトするんです。 
 さらに、この土地に入植を希望する方には、『一粒たりとも遺伝子組み換え種は使用しません』という誓約書にサインしてもらいます。ここまで厳しく管理しない限り、遺伝子組み換え種子による汚染を食い止めることはできません」 
 
 横田さんは、2004年に日本に帰国して以来、そんな構想を実現するため、ふたたび開拓資金と協力者を求めて飛び回っていた。 
 
■同志たちと共に会社を設立 
 
 しかし皆、横田さんの意見に同調してくれるものの、“出資”となると簡単には進まない。前回の帰国の際には、まだ “コチア産業組合”という受け皿があったため信頼も得やすかったが、横田さんひとりとなると、なおさらハードルは高くなっていた。 
 
 自分で選んだ道だとはいえ、たった一人の戦いは想像以上に孤独なものだ。生活費も底をつく状態となり、ホームレスが集まる炊き出しの列に、そっと並んだこともあったという。 
 
 そんな横田さんを心配して、協力の手を差し伸べたのが、バイア州「戦後移住者開拓団地」時代の同士であった中沢宏一さん(64歳)と、蛸井喜作さん(72歳)だった。 
 
 「彼らは、私のために会社を興してくれたんです。私ひとりじゃなんともなりませんが、ブラジルの日系社会で人望の厚い中沢と、現在も植林事業をおこなっている蛸井が加わってくれれば、大きな力となりますから」 
 横田さんがこう語るように、中沢さんと蛸井さんは、横田さんの夢を共に実現するために、「株式会社コチア青年セラード開発」を起ち上げたのだ。 
 
 筆者は今年5月、現在サンパウロ州に住むこのふたりを訪ね、会社設立までの経緯や今後の展望について話をうかがった。(つづく) 


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