2008年08月07日16時53分掲載  無料記事
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中国

貴州省暴動・現場ルポ:現地政府への民衆の不信感が爆発 公安局を焼き討ち、制圧の武装警察隊を包囲

  いよいよ北京五輪が8日、開幕する。中国にとっては、近年の驚異的な高度成長に支えられた「興隆する中国」を世界にアピールする国家的事業である。だが、中心舞台となる首都北京は、五輪史上最大規模といわれる軍・警察140万人の厳戒態勢下におかれ、華やかなスポーツと平和の祭典にはそぐわない雰囲気に包まれている。テロへの警戒や急激な開発がもたらすさまざまな問題に対する住民の異議申し立てなどを封じ込めるためだ。6月末に貴州省甕安(おうあん)県で起きた暴動もそのひとつ。香港誌「亜州週刊」の現地ルポと背景分析記事を紹介する。この暴動に参加した人々にとって北京五輪とは何なのだろうか。 
 
■事件の経緯 
 6月22日未明、甕安県で17歳の李樹芬の水死体が家族の手で発見される。22日零時ごろ李樹芬の友人から連絡があってのことだった。その日の午前10時ごろに、前日、李樹芬と一緒にいた二人の男が容疑者として警察に逮捕されるが、すぐに釈放される。県内では容疑者が県の党書記や貴州省政府幹部の親戚だから放免されたとの噂がたち、被害者の叔父が何者かに殴打される事件も発生して28日夕方から遺族を始めとする民衆が抗議デモを行い、その夜には党、政府の庁舎や公安局ビルが焼き討ちや破壊の対象となる。『亜洲週刊』の報道によれば容疑者や、連絡をしてきた被害者の友人は公安によって別の場所に身柄を預けられているとのこと。(訳者) 
 
▽一人の女子中学生死亡から大暴動に 
 
 6月28日、女子中学生の死亡事件をきっかけに起こった大規模な暴動の実態を現場からレポート 
 
 李樹芬の死亡事件では、その当日に検死報告が書かれたことを始め、公安局が遺体を奪って勝手に埋葬したことや、李樹芬のおじが暴行を受けたという情報で、李樹芬の同級生やその親たちの疑いは怒りへ変わり、ついに限界に達した。事件に関する情報は交錯し真相は今だ闇の中だ。しかし一つだけ確実なのは、民衆が政府を信じず、現地政府に不信感を持っていることであり、真偽不明の伝聞のすべてが官民の間の食い違いを示し、まるで膨らみ続ける気球のように拡大している。 
 
 李樹芬の死亡事件は、28日の午後12時15分、ついに気球が爆発した。彼女の友人や同級生、また彼女の親族が教員を務める学校の学生やその親たちの約1000人が請願のデモ隊を作り、県政府の庁舎前でその死亡の経緯についての説明を求めた。しかし県政府は責任は公安局にあるとしたため激高した群衆は公安局へと向かい、話を聞きつけた他校の学生や、また不良分子も加わり、公安局の入口に数千人(警察当局の推計で約3000人)が押し掛けて建物を取り囲み、さらにその周囲にも見物者が数千人が集まった。 
 
 公安局側は事態の深刻さを察知し、ただちに秩序維持のため警官を配備した。貴州省政府内部のある人物は本誌の取材に対し、その時、警官隊と群衆は揉み合って暴動まで一触即発だったと語った。群集の最前列にいた李樹芬の友人と一部の学生が警官と押し合いになり、学生が蹴られてケガをしたり突き飛ばされると、背後にいた学生の親が怒声を浴びせ、警官に詰め寄ってつかみあいなった。その中には暴力団組織の人間ややじ馬が周囲をあおったり、物を壊したりし、さらに学生がアジったことから本格的に暴動が始まった。 
 
 群衆は最初、公安局の窓ガラスを叩き割り、入口の警官に投石したりペットボトルを投げつけたりしていたが、そのうち興奮して入口に火を放ち、警官が建物内に避難する事態となった。また破壊的分子が外の警察車両にガソリンをかけて火をつけ、煙が公安局の建物内に充満して、数百名の警官が急遽外へと逃げてきた。警察側もここまでの暴動になるとは予測できず、おそらく甕安(おうあん)県政府にとっても初めてのことだったろう。 
 
 情報提供者が現場で見聞した話からすると、当時、群衆が荒れ狂い、警察側は制圧できず威嚇射撃するしかなかった。さらに現地の消防や武装警察、黔南(けんなん)プイ族ミャオ族自治州(以下、黔南州とする)の州政府からの応援が到着していたが、群衆が公安局の建物内に進入したため警官は3階へ避難した。群衆はさらに3階の階段まで襲ってやっと外へと引き返している。現場では十数台の政府車両が炎上し、また群衆の数が数千人規模に達し、駆けつけた消防及び武装警察はその中を車で突っ切ろうとしたが、群衆に包囲され動けなかった。 
 ただこの情報提供者によると、事態の悪化を避けるため、消防と武装警察は応援派遣の前に緊急時には車両を放棄して撤収することを決めており、それがネット上の「死をも恐れない民衆を前に消防員は怯えている」という現場実況の書き込みになったという。 
 
 当局はただちに県武装警察官2000人を緊急増援し、同時に県のテレビ局に対し暴動制圧のため黔南州から200名の武装警察官が現場へ急行した旨を通知している。それでも黔南州の武装警察隊は市街地へスムーズに入れなかった。甕安県では群衆の一部が大通りで警察車両を妨害していたからだ。 
貴州省政府内部の人物によると、武装警察が現着したのは7時半で、群衆が警察に対し反感を抱いていると知って市街地入りに際して銃器は不携帯、暴動制圧用の装備のみとしたが、銃器や武器がないため現地入りしても暴動を鎮圧できず、警察車両は何重にも包囲され身動きが取れなくなり、最後は乗り捨てて市外に逃げるほかなかったという。 
 
 事件当日、甕安県は群衆によって7時間近く占拠された。群衆は公安局前で放火・破壊行動を行い、次に市委員会及び市政府の庁舎と通信社のビルへ行進し、その途上で政府の車両に次々と火を放った。 
 
 事態が緊迫の度合いを増したことで、黔南州側は当日の深夜12時に再び武装警察からなる二次隊を投入した。まず装甲車で道を開けさせようとしたが、群衆はこの武装警察部隊には現地警察に対するような悪いイメージがなかったため、夜明け前には群衆の多くが互いに自制するよう申し合わせて状況が次第に落着き、その場を去り始めた。だが省政府内部の人物によれば、学生の親の一部と李樹芬の友人たちは請願のために真夜中になっても帰らなかったという。 
 
▽事件は終息したが根本原因はいまだ残る 
 
 夜、事態は一旦落ち着いたが、県政府がテレビで「犯罪容疑者への自首要請」を勧告し、この事件を「悪性暴動」と断定した。そこで平静を取り戻していた甕安の民衆が再び政府への怒りを爆発させ、県側はすぐに厳戒態勢を敷いた。前述の省政府の人物によれば、黔南州の武装警察官と増援された警察官は事態は収まったと認識していたが、県政府側が深夜に独断的な行動をとって一方的に現地警察に出動を要請し、県政府庁舎へ急遽赴き李樹芬の親族ら群衆を追い返させたという。そのさ中に群衆の一部は警察と衝突しケガをしている。 
 
 街は厳戒態勢下にあったが、今回の一件を県政府側が「悪性暴動」と見なしたことから、官民の間で再び衝突の可能性を生むことになった。「実は甕安県政府官僚及び公安関係者の一部が黒社会とグルになっていると言われ、その根拠もあるのだが、彼らは長らく住民を抑圧してきた。また人々は警察という官と、暴力組織との間の利害関係について以前から怒りを感じている」。省政府内部の人物はこう語っていたが、確かにそれを裏づける話は多い。 
 記者が試みに何人か現地の人に尋ねてみると、さっそく役人と公安関係者が人民を騙す事件を次々話してくれた。特に多いのは鉱山をめぐる汚職、闇賭博、また身内をかばい違法行為をするなどの問題だった。 
 
 6月29日の午後、住民の怒りが再び行動となって現れ、相当の人数が今度は県政府庁舎前に集結した。だが今回は李樹芬事件の調査要求ではなく、省委員会指導者に対し、昨日の団体行動に対する評価を改めるよう強く要求したのだ。その場に集まった群衆は、もし聞き入れられないなら貴陽市の省政府まで請願に行き、北京にも直訴に行くと意思表示している。 
 この日、西門河の商店主は本誌記者に対し、水死体が発見された西門河新橋の付近では毎日多くの住民や見物人が集まり、家族やそれ以外の人たちが交代で遺体を見守っていると語った。商店主は当地の役人の汚職はあまりにひどく、みんなもう許せないと言っているという。店主は携帯電話のカメラで撮った集会の写真を見せてくれた。画質は悪いもののは多くの人々が集まっている様子が写っていた。 
 
 省政府内部の人物によると甕安は漢族と少数民族が相当程度に雑居する地区で、少数民族は今も家族単位で生活している。子供がケガをすれば一族全員で訴えるし、個人の意見はどうであれ、これからも政府を非難するだろう。このため貴州省委員会は事態を深刻にみて、29日には調査チームを甕安県に派遣している。また中央の官僚も7月2日に甕安入りし、事件についての説明を受けている。 
 
 本稿を上げるころには暴動は収まっていたが、現地警官と県外から派遣された武装警察官は甕安のあらゆる道筋で警備している。暴動鎮圧部隊は撤収したが、いつでも任務に就けるよう待機しているのだ。7月2日現在、甕安は外部の人間の立ち入りを禁止し、公務でも会社の証明や申請が必ず求められる。街中のタクシーも外部の客を乗せることができず、メディア取材にも非協力的だ。記者も潜入取材のためにネズミにでもなったように裏道をすり抜け、武装警察の目から逃れた。 
 
 車内から見た甕安の街はひっそりとして、中学高校はどこも休みに入っていた。大小の道の入口には3、4人の武装警察官が配置され、街のあちこちで住民によるパトロールが行われていた。公安局の所在地とその前の広場には警備の武装警察官がさらに多く配置されていた。街は戒厳の状態にあり、閉めている店も多かった。 
 
 さまざまな側面からみると、6・28事件という暴動による民衆の抗議は、おもに地方政府に対してのみのことで、国家政権に対するものではない。またチベットや新疆地区の一件とは無関係で性質は異なるが、危険性をはらむ点は同じだ。その貴州省政府の人物が中央に宛てた報告書では、6・28甕安県事件について、李樹芬の死が暴動の引き金となったものの、その本質的な感情には地方における利益分配の不公正、役人による法の恣意的な解釈や施行への怒りがあり、この事件で暴発したと指摘している。 
 
原文=『亜洲週刊』08/7/13記事、朱一心記者 
翻訳=氏家弘雅 


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