2008年08月17日10時58分掲載  無料記事
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福岡事件再審請求を支える古川龍樹・龍桃さんに聞く  宗派を超えた宗教者のネットワークで「死刑廃止」を訴える

  熊本県玉名市に生命山シュバイツアー寺という変わった名前のお寺がある。死刑執行後の再審請求という日本で前例のない再審請求にはじめて取り組んでいる古川龍樹さんと姉の龍桃さんが営む。事件は敗戦から2年後の1947年に福岡市で発生、福岡事件と呼ばれている。同年5月20日夜福岡市博多区で、日本人と中国人の2人が射殺され、現金10万円が奪われた。強盗殺人容疑で計7人が逮捕され、うち2人が48年、福岡地裁で死刑判決を受け、56年に最高裁で確定。一人が執行された。残る5人のうち1人は控訴審で無罪が確定したが、藤永清喜さんら4人の懲役刑は確定した。05年に、元死刑囚の遺族と、無期懲役に減刑され仮釈放となった元死刑囚ら計三人が、「事件は拷問による『自白』を唯一の証拠にした冤罪(えん ざい)であり誤判」として福岡高裁に再審請求した。同寺の古川龍樹さん、龍桃さんは、死刑判決を受けた二人の教誨師で、  47年間、この事件の真相を明らかにし、西氏の汚名を注ぐことに全力を傾けた僧侶、故古川泰龍氏の子息。二人はさまざまな宗派が集い、死刑廃止の呼び掛けをしている「死刑を止めよう」宗教者ネットワークのメンバーとして活動している。お二人の話を聞いた。(李隆) 
 
  古川龍樹さんと姉の龍桃さんが営む生命寺シュバイツアー寺は、熊本にいるフランコ・ソットコルノラ神父や、ノーベル平和賞  候補であり、死刑囚との交流を扱ったアカデミー賞受賞作品「デッドマン・ウォーキング」の原作者でるシスター・ヘレン・プレジャンとの親交を通じて、エキュメニズムを実践してきた。 
 
  生命寺シュバイツアー寺の目標は、死刑廃止と福岡事件の誤審で命を絶たれた西武雄さんの汚名回復。今年も、西さんの命日の6月16日に、福岡県博多の大名町カトリック教会に、古川兄弟と法学部の若い学生がいた。処刑された西武雄さんの命日に供養するためでもあった。 
 
  福岡事件とは、1947年5月に福岡県福岡市で発生した殺人事件である。検察の言い分によれば、西さんは石井健治郎さんら7人と共謀し、軍服の架空取引を行い、金銭を騙し取ろうと計画。衣類商と取引し、その最中、石井さんが二人に拳銃を発射し、ほかの仲間が刃物で殺害したとされ、西さんら7名が強盗殺人で 起訴された。 
 
  1952年、二人に拘置所で出会った古川兄弟の父・故泰龍さんは、彼らの訴えを現場検証によって確認した上で、冤罪を確信。金銭目的の計画的犯行でなく、西さんは犯行には関係してなかったと信じ、法務大臣に直訴。西さんに恩赦は近いと思われた。ところが、1975年6月16日。法務省は西さんを詐術にかけ、恩赦却下と同時に処刑した。 
 
  現在91歳の石井健治郎さんだけが恩赦になり、1989年、42年ぶりに仮釈放され、老人ホームで今も西さんの冤罪を訴えている。 
 
【龍桃さんとの対話】 
 
  ー熊本のフランコ・ソットコルノラ神父とはどんな縁なのでしょうか 
  父が知り合い、うちの寺で一年ほどともに生活して、宗教間の対話を実践したときからです。その後、うちの近くに別院を作りました。今は真命山を作り少し離れてますが、よくお目にかかります。うちの寺にもフランコ神父の紹介でカトリックの信徒の方が見えます。地元だけではなく、遠くからも。 
 
  ーヨハネ・パウロ二世との接見が実現したそうですねえ。 
  ローマには一度行きました。聖エディジオ共同体とフランコ神父の招待でした。父が法王さまと接見する場面を遠くから見ていました。父はその 後もローマに行き、かれこれ三度法王さまと接見し、マザーテレサとも会っています。すばらしい経験でした。私はローマに一月以上滞在しましたが、フランコ 神父に連れていってもらって、マルタ共和国での宗教会議にも二日間ほど参加できました。 
 
  ーカトリックと仏教との交流といいますが、違いがあります。交流の意味は何なのでしょうか。 
  男と女ほどに違いますが、違いがあるから話し合うをする意味があると思います。それとカトリックの方から学んだことも多いのです。カトリッ クの方々には社会問題に熱心な人がいます。これはすばらしいことです。貧困解消や冤罪などに命をかける人がいます。マザーテレサの生き方には魅了されまし た。おかげさまで、天使の聖母宣教修道女会のシスター石井芳子さんらとは長い付き合いをさせてもらっております。 
 
  ー交流などをやりすぎると不利益はありませんでしたか。 
  仏教会にも組織がありますから、組織からはずされます。父はもともと佐賀の真言宗の住職でしたが、生命山シュバイツアー寺を開山してから、本山も檀家も離れていきました。 
 
 【龍樹さんとの対話】 
 
  ー2005年に西武雄さんの名誉回復を求めて日本初の執行後の再審請求を出したということですが、手続き上の困難さがあったことでしょう・・・。 
  再審請求の条件を満たすにははまず西さんのご遺族が請求することに始まります。次に新証拠が要りました。クリアーできましたが、それなりに 時間はかかりました。証拠については新証言でした。恩赦になった石井さんと、犯行当時、現場にいた方の証言をビデオテープに録画して裁判所に提出しまし た。ほかにも西さんが無実を取り調べのときに訴えたというGHQ関係の資料がアメリカにあると聞きましたので、ワシントンの国立公文書図書館に二ヶ月通 い、当時のアメリカの取調べ官の事情聴取の記録を探しましたが、資料が膨大で探せていません。 
 
  ー処刑後の再審請求が通る可能性はあるのでしょうか 
  国としては一番認めたくない過ちです。でも、西さんの無念を思って、続けてきました。諦めません。 
 
  ー古川龍樹さんも住職ということでしょうか。 
  私は父の弟子に過ぎません。どの宗派にも属していませんので、体外的には「住職」とは言いません。生命山シュバイツアー寺の代表という立場になっています。 
 
  ーノーベル平和賞候補でもあり、死刑囚との霊的交流を扱ったアカデミー賞受賞作品「デッドマン・ウォーキング」の原作者であるシスター・ヘレン・プレジャンとも交流があるようですが。 
  1998年にルーマニアのブカレストで開催された聖エディジオ共同体の会議で父とシスタープレジャンが死刑廃止のスピーカーになりました。 そこで知り合い、お互いに共鳴しました。シスターも死刑廃止を世界に訴えていますが、父は何十年もやっていましたから、驚いて、『是非と一緒にやりたい』 となりました。その後、父が2000年になくなって、一週間後、シスターから電子メールが来ました。『ぜひ日本でも私も死刑廃止を訴えたい』という内容で した。翌2001年に、父をしのぶ会が東京で開かれ、彼女が駆けつけてくれまして、父との出会いにどんな影響を受けたかなどをスピーチしてくれました。 
 
  ー彼女は有名な方ですし、アムネスティ日本なども協賛してくれたようですが、日本でも福岡事件に注目されるきっかけになったのではないでしょうか。 
  シスターは2003年から2年ごとに日本中で死刑廃止をもとめてスピーチしてくれますが、彼女の経験がクローズアップされて福岡事件はそれ ほど注目されませんでした。すばらしい方ですし、一生懸命に父のためにやってくれるのですが、これではいけないと思うようになり、私たちも毎年キャンペー ンをするようになりました。 
 
  ー福岡事件については冤罪だと思うとして、そのことと死刑廃止はまた別の話となりますが、どういう理由で、死刑廃止論者になったのでしょうか。 
  父の影響が大きかったですが、それだけでもありませんでした。在日朝鮮人に対する差別と死刑問題を扱った大島渚監督の「絞死刑」という映画 を観たこともありました。死刑というのは、結局、国家に委託した殺人行為です。人が人を殺すこと自体が間違っているとすれば、死刑制度の容認は、人殺しを 認めることになると思います。死と殺は違う。皆さんが黙っているから、国が(受刑者を)殺すわけです。 
 
  ー毎年毎年キャンペーンとなると大変でしょうが、どうやって費用を捻出するのでしょうか。 
  うちには檀家もほとんどありません。無縁仏、つまり、ホームレスになった方々の供養ばかりをやっているのが実態です。しかし、私は独身ですし、マザーテレサのように、やるべきことをやれば後は何とかなるだろうと思っています。 
 
  ー現在の協力者はどんな方ですか。 
  弁護士さんは八尋光秀先生です。ハンセン病元患者の訴訟にも九州の代表として関わった方ですが、父は、西さんが獄中で書いた仏画の一部を 売っては、鹿児島のハンセン病施設に寄付していたことがありまして、その縁もあり、手弁当で力になってくださっています。福岡市の大学生の皆さん三十人も ボランティアです。九州大学法学部の内田博文先生のゼミの学生や西南学院大学、久留米大学の法学部の学生がキャンペーンに力を貸してくれます。 
 
  古川さんは活動継続のために西さんの仏画を譲りたいという。是非とも西さんの死後再審請求のためにも連絡を願いたい。住所は熊本県玉名市立願寺584 電話番号は0968−72−3111 ファックス 0968−72−3112 
 サイトはhttp://schweitzer-temple.com/japanese.html 
 
【フランコ・ソットコルノラ神父とは誰か】 
 
  仏教、神道、他宗教の指導者との霊的交流の場が九州にある。諸宗教との対話に生きる同所のフランコ神父の日本宣教も30年を超えた。フランコ神父は自然と人間の調和という日本の伝統的価値観に着目し、日本語を学び始めた宣教師の卵を集めては、日本人の心について語る。 
 
  「人間は真理を探している。宗教間で、問いは異なりますが、たどり着こうとする場所は、知らないかも知りませんが同じです」と語るザべリオ修道会のフラン コ・ソットコルノラ神父(73)は、熊本県玉名市のはずれの山中にある真名山・霊性交流センターにいる。同神父は、創世記の冒頭の言葉「神はすべてを作られた」に、特に惹かれ、古事記の一節との類似性があると指摘する。 
 
  生まれはイタリア北部のベルガモ。11歳で小神学校に入り、17歳で初請願を立て、アメリカに渡って、そこで哲学と神学を勉強して、1959年に司祭になった。その後パルマの当修道会の神学院で17年間教えた。 
  日本との邂逅は奇縁の産物だった。1975年、メキシコからインドネシアに行く用事があった。飛行機はハワイ経由か日本経由にいずれか。成田経由の便にたまたま搭乗し、弟が司祭をしていた日本に立ち寄る。「日本を見た瞬間に大好きになりました」 
 
  40歳を過ぎていたが、日本語の壁との格闘を制し、知的研鑽の果て、親鸞と出会う。1989年、歎異抄をイタリア語に翻訳し、イタリアに日本仏教の真髄たる他力本願の教えを紹介した。 
 
「親鸞は自力を捨てて他力を求めました。阿弥陀信仰のあり方はキリスト教と近いものです」 
 
  1985年8月24日、熊本県玉名市で古川泰龍師の知遇を得る。確定死刑囚の再審活動をしながら、自宅兼温泉旅館「十辺館」を改装し、東西の融和を理念とするシュバイツアー寺を建立したのが故古川師だった。 
  作家の小田実らと連帯し、ベ平連玉名支部の代表にもなった破天荒な僧侶の生き方に魅了され、フランコ神父は一年ほど古川師の寺に住み込み、同時に仏教を学ぶと、マリア布教修道女会の協力を得て、昭和62年、祈りの家と諸宗教対話霊性センターを作った。 
 1989年、古川師のローマ行きに同行し、古川師の著作をヨハネパウロ2世に差し上げた。 
 
  日本に来て、小教区の神父として働いた期間が短いと残念がるが、それでも15人ほどに洗礼を授けた。印象的だったのは、ある中学生だった。父親が自殺し、生きがいをなくした少年が来て、泊り込むようになる。自転車に乗ってやって来た素朴なその少年は7年後、自発的に洗礼を受けた。後に少年は社会人となり、 真命山で結婚式を行い、今は幸福な家庭を築き北九州市に住んでいる。 
 
  毎年1000人程度の霊的体験に飢えた方々が真命山に来訪する。宿泊して瞑想を実践する方はほぼ100人程度。大自然の中での祈りにご関心がある方を全国どこからでも歓待するとフランコ神父は微笑む。 
 
  NHK「こころの時代」に登場した故古川師の談話は 
http://hk-kishi.web.infoseek.co.jp/kokoro-216.htm 
で読める。 
 真命山の連絡先は電話番号0968−85−3100。住所 熊本県玉名郡和水町蜻浦1391−7 


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