2008年08月27日14時23分掲載
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【みるよむきく】 佐藤稟一著『演歌の達人−高音の哀しみ−』 情けに濡れる演歌の底に流れる叙情と心象風景
近ごろのテレビのつまらなさといったらない。タレントが群れで登場して内輪話で盛り上がり、二言目には「自分ら芸能人は」などという。「おめえら、どんな芸能をもってるんだ。芸能人なんて口が裂けてもいえないはずだ」と腹のなかで毒づいて、スイッチを切ってしまう。
昔の芸能はすごかった。それはその芸能をつかさどる人のすごさでもある。などと考えていたら一冊の本を思い出した。タイトルは『演歌の達人』。“高音の哀しみ”というサブタイトルがつき、「高音」には「ハイノート」とルビがふられている。取り上げられているのは美空ひばり、都はるみ、瀬川えい子、森進一、春日八郎、北島三郎の五人だが、特に力を入れページをさいているのは美空ひばりと都はるみである。帯に超個性的、挑発的、偏愛演歌論とある通り、歌に触れた筆者の想いと心象を綴って、独自の世界を描き出している。(大野和興)
この本のキーワードは哀しさ、濡れる、そして情。情と書いて「こころ」と読ませる。一読して驚嘆というか、同じもの物書きとして嫉妬したのは、歌を、音を、音の心を、その音を出す人を、これほどまでに感動的に言葉で紙に写すことができるのか、ということだった。
実は著者とは、もうずいぶん昔になるが、30代から40代にかけて、いろんなことを混ざりあってやった仲だ。ぼくよりやや年上だったので凛さんと呼んでいた。50歳になるまえ、凛さんは勤めていた都内の出版社を辞め、ふるさとの福島に帰った。それから以後、音信不通になった。本書は第一刷りがでたのは2001年だから、もう八年前になる。この本で初めてその後の凛さんを知った。
本書奥付によると、彼は1990年、「50歳を過ぎたら肉体労働」「暮らしを小さく」というスローガンを掲げて勤め先を退職、母の介護とビジネスホテルの掃除夫や交通ガードマンなどをしながら過ごしてきた。書くものも超個性的なら、生き方もそうなのだ。だからこの本の紹介も、書き手の想いにかかわりなく、独断と偏見でやることにする。
◆美空ひばり
美空ひばりの歌でぼくが一番好きなのは「リンゴ追分」である。この歌は人の心に思い思いの想像や妄想を掻き立て、その想像や妄想に添って自由な歌い方を許す。一度テレビで働き盛りで死んだタフが売り物の俳優(どうしても名前が思い出せない)が歌うのを聞いたことがある。歌番組ではなくトーク番組で伴奏なしに口ずさんだのだが、憂いがこころに染み込む歌い方でとてもよかった。そのときその俳優は、酒場で勝新太郎がつれづれに歌う「リンゴ追分」は絶品だと話していた。ぼくは勝新の「座頭市」や「兵隊やくざ」の大ファンなので、ぜひ聞いてみたいと思っているうちに死んでしまった。
凛さんは、この歌の出だしを次のように綴る。
リンゴおおおお・・・・・・・・のおはなびらがああああ・・・・・・・・かあぜえええ・・・・・・・・にいちいったよなああああ・・・・・・・・・・つきよにいいいい・・・・・・そおっとおおおお・・・・・・
そして凛さんは書く。
「リンゴの白い花びらが月夜にちらちら散った情景を歌うのになぜこのように切なく低く高く嘆かねばならないのだろうか」
歌は「つがる娘が・・・つらい別れを泣いた」と続く。
聞き手は「いったいどんなつらい別れなのかさっぱり分からないがひばりの嘆きの声に抱きすくめられわけもなく感動してしまう」。
疑問は歌にはさまれる「おら、あのころ東京さで死んだお母ちゃんのことを思い出して」というセリフで解ける。
「そうか、おっ母が死んだのか。きっと娘を捨てて愛に走った母親が、今度は男に捨てられ東京の場末でボロボロになって死んでいったのであろう」
著者はひばりの歌の第一位に「哀愁波止場」をあげる。少し長いが引用する。
闇に波がうねり霧が流れ女の情(「おもい」とルビ)の深さを象徴するブイの灯が波に滲む。時折風がひからびた音をたてて過ぎていく。あの人に抱かれて肉体の芯に炎が灯された。身をよじるようなめくらめくような思い出の炎がブイの灯となって泣いている。美空ひばりは、ちょっと低い声でその情景をつぶやく。そして、激しい愛の記憶と涙に三拍子(スリービート)の「五木の子守唄」がゆったりと挿入される。
あの人の好きな歌・・・・・・
「五木の子守唄」の好きな男(「ヤツ」とルビ)ってどんなやつなんだ。(中略)哀しみといった言葉などでは、表現しようのない哀しみが垂直に切り立つ。美空ひばりの超高音(「スーパーハイノート」とルビ)は誰あれもいない波止場の波間に漂い感傷を刻々と虚空にはためかせ聴いていて胸狂おしくなる」
凛さんは、胸狂おしい哀しみにアマリア・ロドリゲスの「暗いはしけ」を重ねる。
浜の老婆たちはあんたのことを
もう帰らないというんだよ
馬鹿な女たちだ!
馬鹿な女たちだ!
「濡れたギターラのかき鳴らす旋律に抱きすくめられたアマリア・ロドリゲス」
あろうことか凛さんは、「哀愁波止場」と「暗いはしけ」を同時にかけて聴いてみる。すると「なんとも言えぬ凄みのあるハーモニー」が沸きたった。これはいくらなんでも掟破りが過ぎるよ、稟さん。
◆都はるみ
1976年、凛さんがまだ東京にいてとても若かったころ。舞台は、ひとり暮らしのアパートのある川口市の小さな中華めしや(中華料理店などというたいそうなところではなく、あるのはラーメンに焼き飯、ギョーザ、野菜炒めにニラレバ炒め、マーボ豆腐そのほかあれこれというくらい)。
凛一は野菜炒めを肴にカウンターで老酒を飲んでいる。あまり上等ではない香水の香りを漂わせた化粧の濃い女と赤ん坊を背負った中年男が隣に座る。二人は、餃子とビールを頼み、黙々としている。凛一はなんとなく一緒に飲みたくなってグラスに老酒を満たし、二人の前におく。怪訝そうな顔をした二人だが、やがて機嫌よく飲みはじめ、その夜は三人に店の主人も加わり、飲み明かす。赤ん坊は男の背中で安らかに朝まで眠り、外では北風が泣いている。
演歌の一シーンのような光景を凛さんは本当の出来事のように綴る。ここはだまされるのが礼儀というものだろう。
演歌は続く。女は、東北地方を巡って歩く特出しストリッパーである。男はそのヒモで、女専属の照明屋でもある。「おれはね、この女のあそこをいかに美しく妖しく彩るかに命をかけているんだ」。凛一は男に話になにか押し付けがましさを感じ、女は淋しげな陰りを目に宿しながら、静かに酒をなめている。
「そのとき、有線放送から都はるみの『北の宿から』が流れてきた。二人はしみじみとした表情で耳を傾けた。女の目が濡れていた。女は、東北の街の場末の小さな劇場で股間のドラマを演じて見せている。女は『北の宿から』を聴きながら『私のあそこをのぞき込む男たちがかわいい』と言った。その時、女は男を捨てるなと感じた。外が白々と明るくなって二人は、これから青森行きの列車の中で眠るのだ、と言って大きな衣装ケースを引きずって店を出て行った」
演歌のシーンのようでもあり、下世話なオー・ヘンリーのようでもある凛さん語りから都はるみの唄物語がはじまる。歌は曲と詩を表現する歌い手がいてはじめて歌になる。歌い手は生身の人間だから声と身体が勝負だ。稟さんは都はるみのそこに注目する。
「都はるみの歌う姿は、こうだ。すうっと腰が沈む。右足の先を舞台からわずかに浮かせてリズムを刻み左半身になって上半身をわずかに傾ける。同じ方に顔が向いて顎をわずかに右上に上げ目も右上方にひたと据える。マイクは、常に左手に握られ唇の右はじのところにおかれる」
この姿を都はるみは作家の中上健次との対談で、「歌って言うのは、腰なんです」「わたしは、絶対腰で歌っているなと思うもの、自分で」と語っている。
うなっていたときの都はるみ、一度引退して戻ってからうなり節を封じた都はるみ、どちらもいい。では都はるみの声は著者によってどう表現されているか。彼は最弱音(ピアニッシモ)に注目する。
「はるみの最弱音の特徴は、決して弱々しいものではない。多彩な音色が一音一音にびっしりとつまっていて力がある。都はるみの弱音は、強音を含んだ弱音なのである」
都はるみこそブルースの名手と著者はいう。著者が言うブルースとは、単なる音楽の分類ではなく、「深々と心を揺るがす歌」をさしている。
その歌のひとつが「邪宗門」だ。作詞したのは歌人道浦母都子。60年代終わりの学園紛争にただ中にいて、その体験を10年後、噴出させた。彼女の歌には「エロスを波打たせた」「一種の喪失感」がある、と稟さんは言う。女性ファンから手紙を添えた歌集『風の婚』が届けられたのが、道浦とはるみの出会いのきっかけだった。「邪宗門」とは、「世直しの思想」のゆえに戦前大弾圧をうけた新興宗教をテーマに描いた高橋和巳の小説によっている。
はるみはどう歌ったのだろう。稟さんに筆に任せよう。
「あわあわとしたソプラノサックスによる北風のような旋律の前奏を聴きながら、都はるみは、舞台にしゃがみ込み上体をそらし上方を見つめ目を濡らしている。めずらしく洋装だ。オレンジのざっくりしたタートルネックのセーター、粗く織られた葡萄色のスーツをまとっている。短くカットされたヘヤースタイルも含めて成熟した女が露呈したコスチュームである」
「エロスの想いをうちにたたき込み静やかに静やかにそれでいて音声に力を漲らせ激しく詩を紡ぐ。弦哲也の旋律もこのうたのエロスを恍惚とむせるように奏でたのである。都はるみの全身が旋律と詩に共鳴し微細に震え浮揚しているようだ」
ぼくは、1998年の都はるみロングコンサートを収録したこのビデオテープを買いに走った。
(2001年刊、発行智書房・発売星雲社、1800円+税)
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