2008年08月29日14時53分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200808291453345

21世紀国際政治の理解を欠くロシア 長期的には戦略的敗者になる可能性 イワン・クラステフ

openDemocracy  【openDemocracy特約】欧州は新しい19世紀に入った。2008年8月8-12日のロシア・グルジア戦争はタイムマシンとして働き、1990年代の欧州政治を形成した「歴史の終わり」という気分を雲散霧消させ、現代版のより古い地政学的論理がそれにとって代わった。 
 
 より古い論理であって、冷戦の論理ではない。実際、南オセチアをめぐる紛争は、冷戦の回帰という威圧的な修辞を生じたが、それが明らかにしたパワーとイデオロギーの実際の配置は、1945年以降の40年間の超大国の対立の時代とは異なっている。これは実際、タイムトラベルであり、単なる歯車の逆戻りではない。 
 
 ロシア・グルジア戦争を21世紀の欧州での最初の19世紀型戦争にしているのは、イデオロギー的極性を伴わないパワー対立という特異要素である。赤軍が1968年8月に「プラハの春」を鎮圧するためにチェコスロバキアに侵攻したほぼ40年周年にあたることが証明している。グルジアへの懲罰的侵入はリメークではない。その条件、動機、必然、正当とする理由は異なっている。グルジアにおけるロシア軍の侵攻と勝利は、欧州のパワーポリティックスの中心へ回帰しようとするロシアの試みを表している。それは、21世紀初めの冷戦後の欧州秩序にしきりに挑戦しようとしている、生まれ変わった19世紀の大国としてのロシアの復活を示している。 
 
 しかし、HGウェルズの1895年の小説でのタイムトラベルの主人公が発見したように、より複雑な現実がゆっくり姿を現すにつれて、過去ないし未来の世界についての当座の満足は、あてにならないかもしれない。「新しい19世紀」は単なる昔の複製ではない。クレムリンは5日間の戦争、(より長く、より混乱した後でも)で勝者として現れたかもしれないが、長期的には、欧州政治を決定付ける特徴としての「勢力圏」を回復する試みでは、戦略的敗者になるかもしれない。 
 
3重の失敗 
 
 グルジアの大統領、ミハイル・サーカシビルは、8月7-8日の夜、南オセチアでの軍事作戦を始めるにあたって、戦略的誤算を犯した。彼は賭けに出て、負けた。グルジアは、(1990年代初めのソ連後の戦争で、トビリシからの支配から自由になっていた領土)アブハジアと南オセチアを失い、軍事的インフラと急速な経済発展の希望も失った。コーカサスのイスラエルになるという2003年以後の指導部を駆り立てた野望は、裏目に出た。 
 
 2003−04年の「バラ革命」後に政権に就いた当初、サーカシビリは最初の任期(5年)のうちに、同国の領土保全を再び確立すると約束した。彼は彼自身を意識して中世のグルジアの王ダビッド、Agmashenebeli(建設王)にならった。それは、自己証明であり、実際、彼の大統領としてのモチーフであった。(彼の民主主義の建設や西側制度に同国を統合することについての愛想にいい演説を聞きたがっている、西側の首都にいる聴衆にとってではなく)、グルジア国民にとって、サーカシビリの主要な約束は、アブハジアと南オセチア(彼の統治の初めには、南西部の反乱地区であったアジャリアも)をグルジアの支配に戻すことであった。 
 
 ここで、タイムマシンが音をたてはじめる。なぜなら、熱に浮かされ、統制的で、イメージにあふれたサーカシビリ政権は、彼が19世紀の政治的野望と21世紀の政治スタイルとの異様な混合であることを示しているからである。この組み合わせが、南オセチアの首都ツヒンバリを攻撃するという決定を特徴的で説明可能なものにしている。サーカシビリの戦略は、セルビア人が住んでいたクライナでの1990年代初めのフラーニョ・ツジマン(クロアチア大統領―訳者)の戦略のように、現地の平和維持任務を国際化させることをロシアに受け入れさせるために、「既成事実」を作ろうとしていたように見える。それは苦し紛れの計画で、その結果は壊滅的なものであった。 
 
 サーカシビリは大きなへまをした。だが、彼の主な同盟者と彼の直接の敵対者もまた、愚かな行動をした。ジョージ・W・ブッシュのホワイトハウスは二重の誤りを犯した。サーカシビリ政権の真の目的を把握しそこなったこと、モスクワがトビリシに対して武力を行使する用意があることについて判断を誤った。デイリー・テレグラフ紙によれば、8月9日においても、米国国務省とCIAは、ロシア部隊はグルジア「本土」(すなわち、2つの「失われた領土」を除いたグルジア)には侵入しないという予想をしていた。 
 
 ワシントンから発せられた入りまじり、混乱したメッセージの政治は、ロシア・グルジア戦争の5日の間、続いた。その結果は、二重にはっきりしている。米国がロシアに対して影響力を持たないという事実、グルジアの領土保全を保証するというブッシュの修辞的約束は実際には修辞にすぎないという事実である。要するに、ブッシュ政権の危機管理は2つの世界で最悪であった。方向感覚がなく、また信頼性を失った。 
 
 ロシアもまた、重大な戦略的誤算を犯した。ツヒンバリへのグルジアの攻撃に対して、グルジア本土に侵入するという決定は、ロシアの行動が間違いなく国際的な厳しい非難を招くことを意味していた。政治的計画はなく、サーカシビリを排除する現地の政治的同盟者もなく、戦争後にコーカサスを調停する原則もないものであった。ロシアは、その軍事作戦を意味あるものにするための大きく、包括的な計画を何も示していないし、近隣の国や国際的なパートナーと接触できないでいる。ロシアは短期的には勝ったが、結局、グルジア戦争の最大の敗者であったということになり得る。 
 
ロシアの戦略的リスク 
 
 確かに、ロシアの当座の軍事的成功は明らかである。クレムリンはロシアが実効的な(粗雑なものであっても)軍事大国として再び、機能できることを証明した。その戦争はロシアの国民にも支持されていた。1990年代の精神的外傷にまだ耐えている多くのロシア人にとって、この小さな勝利した戦争は、20年間の政治的屈辱を逆転させる、長い間待ち望んでいたものであった。短期的効果はウラジーミル・プーチンードミトリー・メドベージェフの正当性を強化する。 
 
 しかし、ロシア人にとって、この戦争の心理的側面を明らかにすることは、その19世紀的性格を際立たせることにもなる。問題になっていたのは、領土というより、国民感情であった。それは、19世紀の政治では、20世紀においてイデオロギーがはたしたのと、ほとんど同じ役割をはたしていた(どちらの場合でも、戦争を正当化し、引き起こすことがあり得る)。サーカシビリの火遊びの後、グルジアに侵攻したクレムリンの核心的な理由づけは、ロシアが再び、偉大な大国であると見せつけ、感じる決意であった。実際、サーカシビリ自身の目的も、領土と同時に、心理的なものと理解される。ロシアとの国境でのグルジアの主権を主張することである。 
 
 この意味で、2008年8月7-8日の後のクレムリンの行動は、熟慮された政治的戦略によって導かれたのと同時に、弱く、重要でないと見なされることに対する恐怖によって導かれていた。しかし、19世紀の心理は、20世紀のイデオロギーと同じように、国際政治における混乱の源にもなり得る。さらに、両者は意図しない結果の法則の影響を受けやすい。それは、勝利したグルジア戦争の後にロシアに当てはまるかもしれない。なぜなら、ロシアがこの勝利から姿を現した時、プーチンが2000年に政権に就いて以来、どの時よりも、世界からも、旧ソ連圏内からも、戦略的により孤立している危険があるからである。 
 
 
 (クレムリンがグルジアの大統領を嫌悪し、彼の失墜を見たいと思っていたことがはっきりしていたとしても)、8月8日に始められたロシアの攻撃がトビリシでの体制変革を、はっきりした政治的目標として持っていたかどうか依然、不明である。だが、ある程度まで、もっと重要なことは、クレムリンはとにかく、そうした体制変革を保証する政治的メカニズムを持っていないということである。クレムリンは、グルジア社会へ働きかけをするものを持っていないし、グルジアの親西側傾向に挑戦できる合法的政治勢力はない。ロシアはグルジアの領土を占領できるが、それは国際的孤立と西側との危険な関係悪化という代償をもたらすだけである。 
 
 ロシアがサーカシビリを追い落とし、トビリシに親クレムリン政権を樹立させることに失敗したことは、ロシアがバクー・トビリシ・ジェイハン(BTC)パイプラインを支配することができないということを意味する。従って、ロシアの軍事的勝利は、旧ソ連領域でエネルギー・ルートの独占権を樹立するというモスクワの野望に実際的な影響を持たない。実際、ロシアと西側の間の緊張が深まったことで、欧州の会社は恐らく、別のエネルギー・ルートを探す努力を増すであろう。これまで以上に、米国と欧州は「幸福は多数のパイプラインを意味する」と確信しているであろう。 
 
 ロシアはまた、グルジアとウクライナのNATOへの統合のプロセスを確実に止めることに失敗した。2008年12月のNATO首脳会議の結果を予測するのは難しい。8月19日のNATO緊急会議の結果は、グルジアの期待を勇気づけるものではなかった。だが、ロシアのグルジアへの挑戦に対する効果的な対抗処置として、NATO加盟国が同盟の拡大を求めることで合意することは十分あり得る。もしトビリシが優先課題を失われた領土の回復から、西側機関との結合へと転換することにするなら、グルジアのNATOへの統合は実際の選択肢になり得る。 
 
 NATO側では、領土保全を確保するのを助けるよりも、グルジアに「加盟行動計画」(MAP)の道筋を提示するほうが、今や容易である。この短く、不快な戦争で、トビリシが南オセチアとアブハジアの実効支配を確保する見通しは遠くなった。サーカシビリがセルビアの前首相、ボイスラブ・コシュトニツァのように行動するのをやめ、セルビアの現在の大統領、ボリス・タジクのように行動しはじめるというのは、非常に道理にかなっている。 
大国の落とし穴 
 
 意図しない結果の法則は、ロシアに打撃を与えるような別の方向で働くかもしれない。米国のロシア政策は、手術による身元変えと同等のことをしつつある。数日のうちに、ジョージ・ブッシュの「現実主義者」はブッシュの「冷戦主義者」に変わった。コーカサスでの戦略的同盟者の見苦しい無能さを見せつけられて、ワシントンはモスクワのG8からの追放、世界貿易機関への加盟の希望の喪失、グルジアとウクライナのNATOへの加盟、2014年のソチ(アブハジアから海岸沿いにある)冬季オリンピックのボイコットを目指して圧力をかける「柔軟封じ込め」コンセンサスに移動しつつある。 
 
 ロシアにとってより差し迫った心配は、残存する欧州の友人の防衛である。ポーランドが米国のミサイル防衛網の一部を受け入れる協定を直ちに結ぶことを決めたことは、同国の国内強硬派がグルジア紛争を利用して、ロシアへの西側政策で優位に立つことができた典型的な例である。 
 
 ロシアはNATOの包囲について被害妄想を持っていた。だがその被害妄想は、最も暗い悪夢を産み出してしまったようだ。今後、米国のロシアの近隣国への支持は、その国の政権の性質ではなく、その国のロシアとの関係で規定されるであろう。中央アジアの専制的な国が米国と取引することに興味を持っているなら、その時期が到来した。 
 
 この点に関して興味深いことは、モスクワが軍事的に勝利した際に、旧ソ連圏のロシアの同盟国の沈黙と対抗国の対決的姿勢が対照的だったことだ。クレムリンが懸念するのは、ウクライナ(特に大統領)がサーカシビリへ無条件の支持をしたことではなく、ベラルーシの沈黙である。ロシア外務省がミンスクからの支持がないことに驚きを表明したその日に、ベラルーシの大統領、アレクサンドル・ルカチェンコは外務省に対して、「欧州連合と米国との関係改善に措置をとる」よう命令した。この立場は、ルカチェンコが後にソチを訪問した際に、モスクワの作戦を称賛する巧みな発言をして、部分的に和解した。 
 
 従って、ロシアのコーカサスでの戦争における軍事的勝利は、結局、「カラー革命」の短い期間でのロシアの政治的敗北よりも、同地域にけるロシアの戦略的利益を害するものになるかもしれない。その時期に、ロシアはウクライナとグルジアで威信と地位を失ったが、同時に、ロシアは旧ソ連圏で専制的指導者と共通の利害を見出し、同地域で反西側同盟を作るのを助けた。カラー革命は欧州連合が革命的、修正主義的パワー(revisionist power 訳注1)であるかのように見せた。それに応えて、ソ連後のエリートは現状を維持するように動員された。 
 
 だがいま、修正主義的パワーであるのはロシアである。ロシアが自国民を保護する権利という言葉を使うことは、旧ソ連諸国にいるロシア人少数派への見方を大きく変えるであろう。旧ソ連でのロシア人居留民の4分の3が、ウクライナ、カザフスタン、ベラルーシに住む。その3ヶ国はロシアにとって戦略的に最も重要であるが、旧ソ連圏での自国民の権利を守るために武力を使う権利があるというロシアの主張を最も恐れているであろう。ウクライナが、ロシアのパスポートを持った市民がセバストポリに何人住んでいるかの調査を始めたということは、驚きではない。ロシアが自決の原則をもてあそぶことは、ロシア自体内でも脆弱さを感じることが増すであろう。旧ソ連国家の中で、ロシアは唯一の多民族連邦であるからだ。 
 
 アレクサンドル・ドゥーギン(訳注2)は、ロシアの国家形成事業の中心にあるジレンマを鋭く明確に表した。彼の言葉によれば、現在の国境での、現在の政治制度でのロシアは、一時的な現象である。ロシアは、通常の民族を基にした国民国家になるためには、大き過ぎ、民族的に多様過ぎる。同時に、古典的帝国がするように裏庭を支配するには、十分に大きくなく、十分に強くない。ドゥーギンが言っていないことで、ロシアの政治の観察者には誰にも明らかなことは、現在のモスクワの指導部の19世紀的考え方は、旧ソ連の領土についての真の統合主義的(integrationist)事業の観点を排しているということである。 
 
ロシアの「ソフトパワー」の欠如 
 
 戦争後の混乱の中で、ロシアのメディアとロシアのアナリストは、残忍な暴力の発生を調べ、それが同国の国際的な立場にとって何を意味するのか評価し、「情報戦争」でのモスクワの敗北について討議している。意見が一致することは、グルジア軍に対する攻撃は軍事的成功であったが、「宣伝の失敗」であったというものである。モスクワの宣伝マシンは、まったく無能であるとされている。 
 
 しかし、多くののロシア人が情報戦争での敗北として経験していることは、実際には欧州政治で影響力を行使しようとする、この19世紀型思考の政権が無力であることをさらけだしているということである。ロシアは5日間のグルジア戦争で、意味のある「ソフトパワー」を持っていないということを発見した。ロシアはポスト・イデオロギーの世界で、危険なまでに孤立している。ソ連の終わりと共産主義の死は、ロシアから普遍的な言葉と普遍的な魅力を奪った。それに代わるものは何も出現していない。 
 
 ソ連は邪悪な帝国であったが、真の「ソフトパワー」を持った邪悪な帝国であった。ソ連の戦車が1968年8月20-21日、チェコスロバキアに侵攻した際、少なくとも世界の共産党の一部は、それが社会主義の名目で行われたとふるまおうとした。ロシアのグルジア本土の占領は、この程度の見せかけの支持さえも引き起こさなかった。サーカシビリが戦争を挑発し、最初に攻撃したというロシアの正当性の主張は、ロシアの作戦でグルジアに与えたそのような破壊を正当化するのに十分とは言えない。要するに、ロシアの勝利は尊敬を勝ち得たが、友人は得られなかった。 
 
 「主権民主主義」を国家イデオロギーの地位に押し上げようとするクレムリンの試みは、部分的にしか成功しなかった。「主権民主主義」という概念は、ロシアにおける西側の影響を制限するのに役立ったが、世界的にはアピールしていない。この急造の概念では、主権は権利ではない。その意味は、国連での議席ではない。クレムリンにとって、主権は能力を意味する。それを持つことは、経済的独立、軍事力、核兵器、文化的アイデンティティを暗示する。ロシアの見方では、大国だけが真に主権たり得る。この主権についての見方は、欧州の小中国家の中で多くの信奉者を得られないであろう。 
 
 さらに、ロシアがグルジアのインフラの破壊を正当化するために、1999年のコソボ戦争で西側が使った人道的介入という言葉を借りようとしたのは茶番であった。それは、2008年8月までにいたるすべての期間でのロシアの外交的立場と矛盾した。そして、ロシアが戦争を始めたのではないとしても、それを待っていたという疑いを増しただけであった。ロシアがそうした言語上の借り物の衣装を使うと、その行動はより冷笑的で、悪意のあるように見えた。ロシア外相が民族浄化とハーグの戦争犯罪法廷について語り始めた時には、多くの観察者は、ジョージ・ケナンが、ロシアはその国境に属国か敵国しか持たないと言ったことを思い出した。 
 
 こうしたことで、ロシアがこの紛争で国連安全保障理事会で孤立し、G7が宣言を出し、国際世論の多くの部分がロシアの行動に同情的でないことは、驚くにあたらない。しかしながら、ロシアは世界での自分のイメージに気づいていなかった。これは、管理された民主主義を導入した代償の一つである。それは、すべてのテレビ局はORT(ロシア公共テレビ)のようであるという錯覚である。 
 
 ロシアが世界に対し、グルジアに対するその行動の正当性を納得させることができなかったことで、ロシアは世界舞台に戻るための計画を再検討するはずである。ロシアは、生まれ変わった19世紀の大国であり、それがポスト20世紀の世界で行動している。その世界では、武力と能力の変数は大国の地位や行動を規定する唯一の方法ではもはやない。「ソフトパワー」の欠如は特に、修正主義的国家(revisionist state 訳注3)になろうとしている国にとって危険である。なぜなら、ある国が今日において、世界の秩序を作り直したいと思うのなら、その国は依存と勃興しつつある列強の配置に依存し、国際世論の想像力を獲得できなければならないからである。 
 
 別の言い方をすれば、1990年代の規範的時期は終わったが、普遍主義(universalist)の魅力の必要は残っているということである。ロシアにとってのグルジア戦争の教訓は、ロシアが19世紀の国際政治の規定に捕らわれたままでは、21世紀の条件で可能なような大国にはなれないということである。ロシアは新しいタイムマシンが必要である。だが。世界もそうである。 
 
*イワン・クラステフ ブルガリア・ソフィアにあるCenter for Liberal Strategies代表。バルカン国際委員会(座長・アマート元イタリア首相)の事務局長をつとめた。 
 
訳注1 訳注3 ここでのrevisionism(修正主義)はterritorial revisionism、つまりrevanchism やirredentism(領土回復主義、戦争で失われた領土を回復しようとする主張)の婉曲表現 
 
訳注2 ロシアの政治活動家 「新ユーラシア主義」として知られる現代ロシアの地政学者 「ユーラシア運動」の設立者 
 
本稿は独立オンライン雑誌www.opendemocracy.netにクリエイティブ・コモンのライセンスのもとで発表された。 . 
 
 
原文> 
 
 
(翻訳 鳥居英晴) 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。