2008年09月25日15時35分掲載
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山は泣いている
42・「百名山」指向に水を差す 山にとっての幸せを再考のとき 山川陽一
第10章 登山の大衆化がもたらしたもの・1
こんなブームになる前から百名山を目指す登山者はいた。概ねその人たちは深田久弥の名著「日本百名山」を読んで感銘を受けたのがきっかけになっている。登山にはいろいろな登り方がある。その中のひとつに百名山を目指すような登り方があってもいいと思う。人間は目標をもって行動する動物であるから、登山愛好家たちにとって格好な目標が深田百名山だったことはうなずける話である。
ただ、今日の百名山ブームを演出したのは深田久弥自身ではなく、「日本百名山」の著書そのものでもない。氏の死後百名山の紹介番組がNHKテレビで放映されたのがきっかけで、中高年の健康志向と、それに便乗した商業主義がかみ合って一大ブームを巻き起こしていった。
もし氏が今日のブームを予知していたら、おそらく「日本百名山」なる本は世に出ていなかったであろう。選ばれた百の山名だけがひとり歩きして静かな山が喧騒の山に変わり、それが自然破壊に一役買っているなどという状態は氏にとって許しがたい事態であるに違いない。
以下は深田久弥が「日本百名山」を著す前に書いた「わが愛する山々」からの抜粋である。
「・・・左手には黒部五郎岳、これは私の特別ヒイキの山で、独自の個性をそなえている。日本アルプス登山の聡明時代からいち早く黒部五郎岳に注目して、深い愛着を寄せてこられた画家の中村清太郎さんの表現を借りれば、その『特異な円錐がどっしり高原を圧し、頂上のカールは大口をあけて、雪の白歯を光らせている。』中村さんは黒部五郎を不遇の天才にたとえられた。確かに、世にもてはやされる北アルプスの他の山々の中にあって、この独自性のある立派な山は、多くの人に見落とされている。しかしそれでいい。この強烈な個性が世に認められるまでには、まだ年月を必要としよう。黒部五郎岳が、To the happy fewの山であることは、ますます私には好ましい。」
「・・・小暮(理太郎)さんはその紀行の最初に書いておられる。『皇海山(スカイサン)』とはいったいどこにある山か。名を聞くのも初めてであるという人がおそらく多いであろう。それもその筈である。この山などは今更日本アルプスでもあるまいという旋毛まがりの連中が、二千米を越えた面白そうな山はないかと、蚤取眼で地図の上を物色して、ここにも一つあったと漸く探し出されるほど、有名でない山なのである。”この言葉は、四十年後の今日でも、まだ幾らか通用する。皇海山は今なお静寂の中にある。私は旋毛まがりではないが、流行の山は嫌いである。雑踏の都会を逃れて雑踏の山へ。そんな趣味があるかもしれないが、私は御免である。・・・」
「私は近頃の登山者がいきなり麓まで乗り物で行き、早足で登り、下りてくるとすぐまた乗り物で退去する、あの駆け足的登山をあまり好まない。登山はスポーツといわれるが、 スポーツの枠外に出るものをたくさん持っている。登ればいいというものではない。未登頂で終わったが登頂よりもっと楽しい思い出を持った山行きを、私はいくつも経験している。」
日本百名山に選ばれたために、今や黒部五郎岳はTo the happy fewの山と呼ばれなくなり、皇海山も人々にこれはどこにある山かと言われなくなった。わたしの好きな毛勝山は日本アルプスばかり選びすぎないようにという氏の配慮から不幸にして百名山の選に漏れてしまった(「日本百名山」後記)のだが、それ故に今でも静寂を保っている。どちらが山にとって幸せだったのだろうか。
(つづく)
(やまかわ よういち=日本山岳会理事・自然保護委員会担当)
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