2008年09月27日17時41分掲載  無料記事
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ビルマ民主化

「慈経」のこころの袈裟は誰にも剥がせない 反政府デモ弾圧から1年

  1年前の9月27日、ビルマ(ミャンマー)で僧侶と市民の反政府デモが軍事政権によって鎮圧されたとき、僧侶たちが口にしていたのは政治的スローガンではなかった。仏教の基本的な教えである「慈悲」を説く経典「慈経」を静かに唱和していただけだった。にもかかわらず、彼らの多くは逮捕され、拷問を受けたり強制還俗させられた。僧院への襲撃はいまもつづいている。弾圧から一周年の日、ビルマ国内での抗議行動は封じ込められたが、東京、ニューヨーク、ロンドンなどで在外ビルマ人と各国市民らが僧侶の呼びかけを支持し、民主化運動指導者アウンサンスーチーさんをはじめとした政治犯の釈放や民主化勝利叫んでデモをおこなった。(永井浩) 
 
 慈経は、仏教のもっとも古い経典「スッタニパータ」(経の集成の意)のなかの一節「慈しみ」に集められた詩句で、仏教の開祖であるゴータマ・ブッダ(釈尊)の教えの原点を伝えるものとされる。そこで人間の宗教的実践、基本的原理としてとくに強調されているのが慈悲、他人を思いやる気持ちである。 
 
 たとえば、つぎのような詩句がある。 
「他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」 
 
「あたかも、母が己が独り子を命を賭しても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起こすべし」(中村元訳『ブッダのことば』岩波文庫) 
 
 この書はビルマなどの上座仏教圏では現在も重要視され、「慈しみ」は結婚式で僧侶が新郎新婦におくる祝福と説教のことばのひとつになっている。 
 
 昨年の反軍政デモで僧侶たちを指導した「全ビルマ僧侶連盟」は、すべての人びとに対して、9月23日〜25日の午後8時から15分間、自宅や僧院、職場の戸口に立って慈経の詩句を大声で美しく唱えるよう求めた。 
 
 僧侶たちは托鉢のさい、軍人に対して「覆鉢」(鉢をひっくり返す行為)し布施の食事を受け取ることを拒否したが、これは相手を慈しむ気持ちを忘れ人びとを護ろうとしない者たちへの抗議の意思表示であった。 
 
 そのような僧侶の行動にむけて発砲したということは、軍政が完全に政治的正当性を失ったことを意味する。 
 
 伝統的な上座仏教国においては、仏教の正法(ダンマ)の持続者である僧侶(出家者)の集団はサンガと呼ばれ、サンガは国王によって守護されてきた。仏教の守護者たる国王はサンガの維持に貢献すると同時に、自らも正法にもとづく統治をおこなうことで王権の政治的正当性を保証された。タイの国王がひろく国民の尊敬を集めているのはこのような存在だからであり、また国王は憲法上は政治への介入は許されていないにもかかわらず、国政が不安定になると歴代政治指導者が国王の調停を仰がざるをえなくなるのもこのためである。 
 
 しかしビルマでは、英国による植民地支配によって王権は廃止された。では国王不在のもとで誰が仏教を護っていくのか。1962年にクーデターで実権を掌握したネウィン以来、現在の軍事政権にいたるまで、将軍たちは仏教徒が約9割を占める国民の支持を集め、政治的正当性を担保するためにサンガを庇護する姿勢を示そうとは努めてきた。だが、多くの国民にはそれがたんなる権力維持のための政治的パフォーマンスにすぎないと映った。 
 
 また、さまざまな問題点はあるものの経済発展に成功したタイの軍事政権とはことなり、ビルマの軍政は経済発展にも失敗し、国民を貧困のどん底に追いやりながら指導者たちは富を独占している。これは仏教の教えに反しているとして、慈経を唱和しながらデモをつづける僧侶たちにまで彼らは発砲を辞さなかった。彼らは仏教倫理からみても完全に政治的正当性を失ってしまったのである。 
 
 一方、アウンサンスーチーさんが率いる民主化運動と彼女が書記長をつとめる政党、国民民主連盟(NLD)が国民の圧倒的な支持を得ているのは、民主勢力こそがこのような仏教の教えにもとづいた政治をめざそうとしており、政治的正当性が認められると信じられているからである。 
 
 敬虔な仏教徒である彼女によれば、政治とは慈悲の実践である。具体的には人権の尊重と民主主義の実践、国民に平等の幸せを保障する経済発展がそれである。 
 
 民主化勢力と仏教の結びつきをあらためて確認させたのが、僧侶のデモが自宅軟禁中のスーチーさん宅にさしかかったとき、僧侶を迎える衣装に身をつつんだ彼女が入り口でデモ隊に手を合わせている写真だった。国内外に一斉に配信されたこの写真をきっかけに、僧侶が主役だった反軍政デモに市民が続々と合流し最大都市ヤンゴンでは参加者がいっきょに10万人へとふくれあがった。軍政が無差別発砲を始めたのはその直後の9月26日からだった。 
 
 翌27日までつづく血の弾圧によって、取材中のフォトジャーナリスト長井健司さんをふくめ少なくとも31名が殺害され、多数が負傷あるいは行方不明となった。僧侶だけでなくデモを指導した活動家たちの捜索や逮捕は1年後のいまもつづいている。 
 
 デモの弾圧後、SOTO禅インターナショナル会報36号に曹洞宗総合研究センター研究員、丸山劫外師が寄せた「平和を祈る」と題する一文に、つぎのようなくだりがある。 
 
「拘禁され拷問を受け、僧籍を剥奪された1人のミャンマー僧は、故郷に帰る前に、「拷問を受けているとき、拷問する兵士の心に平安が訪れるようにひたすら祈っていた」と友に語ったという」 
 
 このようなビルマの僧侶の精神の気高さを紹介しながら、丸山劫外師は軍政は袈裟を剥ぎ取り強制的に還俗させたつもりになっても、「心の袈裟を剥がすことは誰にもできない」と述べ、慈経の詩句を紹介している。 
 
「また全世界に対して無量の慈しみを起こすべし。上に、下に、また横に、障碍なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)」 
 
 そして、日本の僧侶としてこう自問している。 
「たまたま現在は、戦火の火花が散っていない日本で、安穏に生活している僧侶として、できることはなにか、一人一人に問われている問題ではないだろうか」 
 
 このことばは、ひとり僧侶のみならずすべての日本人にむけられたものであろう。 
 
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9月27日、東京では国民民主連盟(解放地域)日本=NLD(LA)JAPANなどの在日ビルマ人約500人がデモをおこなった。 
 
 また米国などの活動は以下のとおり。 
http://uscampaignforburma.org/i-support-the-monks 


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