2008年10月04日15時09分掲載  無料記事
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山は泣いている

43・若者は何処へ 山岳団体はいずこも同じ悩み 山川陽一

第10章 登山の大衆化がもたらしたもの・2 
 
 過日友人に誘われて山岳映画の夕べに参加したときのことである。開館前の会場の周りを取り囲んだ長蛇の列を眺めてびっくりしたことがある。中高年の人たちが多いというよりも、列の中に若者の姿が全く見当たらないのだ。自分たちが若かった頃の記憶では、この種の催しに集まる人たちの大半は若者だった。わたしの所属している日本山岳会でも、ここ数年、毎年1歳ずつ平均年齢が上がって、いまやなんと64歳である。 
 
 長老などと呼ばれて尊敬されるのも多くの若者がいてこそであり、高齢者だけの世界では60歳台などは洟垂れ小僧ということになってしまう。たまに若い人が入会すると、逆に宝石でも手に入れたごとく大事にする始末だ。 
 
 他の山岳団体も大同小異で同じ悩みを共有する。大学山岳部などでも、近年は現役の学生が減って、元気なのはOB会だけである。先日山仲間と話をしていたとき、「お宅の大学の現役は何人いるの? うちは二人しかいなくてそれが2人とも4年生だから、このままだと部が消えてなくなってしまうので大変なんだ」などという寂しい話になった。 
 
 確かに、日本全体で高齢化が急速に進展しているが、日本から若者が消えてしまったわけではない。集まるところには集まっている。私事で恐縮であるが、わたしの息子は、数年間勤めた会社を惜しげもなく辞めて、自然学校のスタッフに転進した。そこの数十人のスタッフの顔ぶれを見ると、全員が20歳台30歳台の生きがいい若者ばかりだ。エコツーリズムなど環境問題を前面に掲げた集まりにも若者の姿が目立つ。 
 
 山岳史を振り返ってみよう。日本の近代登山の歴史をつくってきた人たちは、その当時全部若者だったのだ。わたしたちが一生懸命山に登っていた頃を振り返ってみても、大学山岳部では大量に入部してくる部員をどうやってふるい落とすかが大きな課題で、新人合宿などは新人の歓迎の場というよりも厳しい試練を与えて淘汰する場であった。 
 
 それでも若者が集まったということは、当時の山岳のフィールドには自然がいっぱいで、若者の好奇心と冒険心を満足させるものが満ち溢れていたからに他ならない。それがいつの間にか山が中高年の遊びの場に移り変っていったのは、開発と無関係ではない。 
 
 山の奥深くまで山岳道路や林道が出来て入山のアクセスが容易になり、山小屋も近代的に整備され、ヒマラヤにも行ける装備が容易に手に入り、日本中どの山でも、至れりつくせりのガイド本が完備されている。なにも自分で計画しなくてもお金さえ払えば連れて行ってくれるツアー登山やガイド登山も花盛りである。結果として中高年の登山人口は飛躍的に増えたが、反比例して若者離れが進んで行った。 
 
 その原因を、山登りは3K(危険、汚い、きつい)だからとか、他に楽しい遊びが増えたからとか、職場が忙しすぎるからだとかいろいろな分析があるが、いずれも正鵠を得ているとは云い難い。本質的には、若者にとっての魅力度の問題である。若者離れ対策として会費を安くしたりしても、そんなことだけで若者が帰ってくるとは到底思えない。 
 
 第一に若者の心を動かす魅力あるコンテンツを持っているかどうかが最大のポイントである。次に、それを意のあるひとたちに上手に伝えるプロパガンダ、最後に仲間に入りやすい環境の整備ということになるのだが、言うは易く、中身を形作っていくことは難しいことである。 
(つづく) 


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