2008年10月13日10時46分掲載
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世界経済
飽くなき貪欲が招いた地獄 世界金融危機を仏教経済学で読み解けば 安原和雄
私は先日、「日本の改革設計図を考える ― 仏教経済学の視点から]と題して講話する機会があった。仏教経済学は駒澤大学仏教経済研究所を中心に40年も前から研究が進められてきた。またドイツ生まれの経済思想家、E・F・シューマッハーの著作『スモール イズ ビューティフルー人間中心の経済学』(講談社学術文庫)が仏教経済学を論じている。
ネパールをはじめ海外の大学では仏教経済学者がかなり活躍しているが、日本では大学経済学部で講座「仏教経済学」が正式には未開設という事情もあり、発展途上にある。これから大いに育てたい分野である。ここでは講話を踏まえて私の構想する「仏教経済学」(原論)を紹介したい。
私の講話は、東京・小金井市の高齢者の集い、「クリスタル」(森田萬之助会長)で行った。「クリスタル」は同市公民館主催の「シルバー大学」講座受講者の有志が「親睦と学習・意見交換を通じて自らを高め相互のコミュニケーションを深め合うこと」を目的に1996年に発足した。学習会はすでに210回を超えている。
なおシューマッハー(1911〜77年)著『スモール イズ ビューティフル』の原本・英文は第一次石油危機当時の1973年に発刊され、世界的なベストセラーになった。「仏教経済学」と題した1章を設けて現代経済学(特にケインズ経済学)とどう異なるかを論じている。
▽仏教経済学とは? ― 仏教思想を生かす社会科学の一つ
仏教経済学の特質は何か?
まず大学経済学部で教えられている現代経済学(注)への批判から出発している。しかも仏教の開祖、釈尊がいま生きていたら、どう考えるかを基本に組み立てる。特定の宗派にこだわらず、各派の優れている考え方を摂取する。
さらに仏教経済学は信仰に基づくものではない。釈尊は実在の人物であり、神ではない。キリスト教、イスラム教などが絶対神を想定して崇めるのとは本質的に異なる。仏教経済学は仏教思想を応用し、生かす実践学で、社会科学の一つである。
例えば仏教の説く「縁起論=空観」、すなわち(イ)諸行無常(すべてのものは変化すること)、(ロ)諸法無我(宇宙をはじめ、自然、人間、政治、経済、社会などすべては独自に存在しているものはなく、相互依存関係にあること)は、信仰ではなく、社会科学の最高峰ともいえる真理と理解している。
ただ既存の現代経済学と違って、決定版としての教科書が出来上がっているわけではない。そこでここでは私(安原)が構想する「仏教経済学」(原論)の骨子を提示したい。
(注)現代経済学はケインズ経済学、新古典派経済学、新自由主義―の3つに大別できる。
・ケインズ経済学=イギリスの経済学者、J・M・ケインズの主著『雇用・利子および貨幣の一般理論』が知られる。経済拡大のために財政赤字、「大きな政府」につながる有効需要創出策を説いた。
・新古典派経済学(通称・新古典派総合)=米国の経済学者、P・A・サムエルソンの主著『経済学』が有名で、市場原理の重要性を説き、「小さな政府」をめざすが、一方、「市場の失敗」も認め、政府による管理、規制を容認する。
・新自由主義(=新保守主義)=米国シカゴ学派のリーダー、M・フリードマンの著昨『資本主義と自由』、『選択の自由』などが知られる。1980年前後から政治の場にも登場してきた経済思想で、公的規制を撤廃し、野放図な「自由と競争」を容認する市場原理主義と「小さな政府」(福祉や教育にも市場原理を導入)をめざす。英国のサッチャリズム(サッチャー首相)、米国のレーガノミックス(レーガン大統領)、日本の中曽根ミックス(中曽根首相)から始まった。
特に2000年以降、米国のブッシュ政権、日本の小泉・安倍政権による新自由主義路線は市場原理主義と軍事力行使が重なり合っている点を見逃してはならない。 昨今の巨大企業破綻や株暴落を含む米国発世界金融危機は、この新自由主義の破綻を意味している。
さて私が構想する仏教経済学はつぎの八つのキーワードからなっている。「八」という漢数字は末広がりを意味しており、発展への期待をこめている。カッコ内は現代経済学の特質である。
*いのち尊重(いのち無視)
*非暴力=平和(暴力=戦争の肯定)
*知足(貪欲)
*共生(孤立と分断)
*簡素(浪費)
*利他(私利、拝金主義)
*持続性(非持続性)
*多様性(画一性)
以下、八つのキーワードについて骨子を説明し、現代経済学との相違点を概説する。
▽八つのキーワード(1)― いのち、非暴力、知足、共生
*いのち尊重
仏教経済学=人間に限らず、地球上の生きとし生けるものすべて(自然、動植物)のいのちを尊重する。仏教の不殺生戒は人間はもちろん、それ以外の動植物の無益な殺生を厳しく戒めている。
現代経済学=いのちへの視点はない。
*非暴力(平和)
仏教経済学=平和を「非戦」に限定しないで、広く「非戦を含む非暴力」ととらえる。すなわち戦争のほかに地球環境の汚染・破壊(異常気象など)、貧困、飢餓、疾病、水の欠乏、人権侵害、格差の拡大などがない状態を「非暴力=平和」ととらえる。
現代経済学=経済学者、ケインズは『一般理論』で「戦争は富の増大に役立つ」と明記し、戦争を肯定している。
*知足
仏教経済学=欲望について「足るを知り、これで十分」と心得る智慧を重視する。釈尊は「知足の人は、貧しといえども、しかも富めり」と説いた。際限のない貪欲を戒める。
現代経済学=「まだ足りない」と貪欲に執着する欲望を肯定する。
*共生
仏教経済学=地球上のすべてのいのちの相互依存関係を指している。人間は一人で生きているのではなく、宇宙(太陽を含む)、地球、自然、社会、地域、家庭、さらに他人様(ひとさま)のお陰で生かされ、生きている。つまり共生以外に人間は生きることはできない。「お陰様」という言葉はこの共生関係に感謝すること。
現代経済学=いのちのつながりという共生への観念はない。むしろいのちの孤立、分断が目立つ。
▽八つのキーワード(2)― 簡素、利他、持続性、多様性
*簡素
仏教経済学=簡素それ自体が美しいととらえる。日本文化の茶の湯は茶室、器(うつわ)、一輪挿しの生け花などにみるように簡素を旨とし、茶の湯の創始者、千利休は、「花は野にある様に生けること」と唱え、自然を生かし、季節感を大切にした。
簡素は非暴力とも深くかかわっている。 簡素は、資源・エネルギーの節約に通じる。資源エネルギーを遠隔地の海外に求める必要はないと仏教経済学は考える。だからグローバリゼーション(経済の地球規模化)ではなく、ローカリゼーション(地域主義)を重視する。
現代経済学=簡素ではなく、浪費のすすめであり、グローバリゼーションを追求する。それは暴力に通じる。米国のイラク、アフガン攻撃は石油などエネルギー確保を中東地域、中央アジアに求めている。新自由主義を信奉してきた米国は世界最大の石油浪費国、最大の地球環境破壊国である。
*利他
仏教経済学=利他という「世のため、人のため」の行為が大切で、それが結局は自分のためにもなるという仏教的行動原理。仏教経済学はこの利他的人間観を想定して、組み立てる。
現代経済学=私利(利己主義)第一の人間観を想定して理論体系を組み立てている。ここが仏教経済学とは根本的に異なる点である。こういう人間観に立つ以上、「おカネ至上主義」の拝金主義につながるほかない。
*持続性(持続可能な「発展」)
仏教経済学=「持続可能な経済社会」を重視する。いのち、自然、資源・エネルギーなどを大切にする簡素・非暴力型経済社会の構築をめざす。つまり経済社会の質的充実を追求するが、貪欲な経済成長主義(量的拡大)はめざさない。
現代経済学=経済成長にこだわる。経済成長すなわち量的拡大は持続的ではない。必ず行き詰まる。
*多様性
仏教経済学=自然、人間、社会、文化すべてが地域、民族、国によって異なり、それぞれの多様性を認め、尊重する。
現代経済学=ブッシュ大統領にみるような単独主義、覇権主義、軍事力中心主義を批判せず、擁護さえする。多様性とは縁遠い。
▽仏教経済学は市場経済、貨幣、競争をどう考えるのか
以下では仏教経済学として八つのキーワードのほかに市場経済、貨幣、競争をどう位置づけるのかに言及したい。
*市場経済について
現代経済学、特に新自由主義の立場では「自由放任」ともいえる徹底した自由市場経済を追求する。「市場こそ万能」という考えである。しかしこの路線追求は弱肉強食のすすめでもあり、多国籍企業などの強者には有利だが、中小企業や労働者には不利である。貧困、格差の拡大を必然化する。小泉政権時代に顕著になった「構造改革」という名の新自由主義路線の巨大な「負の効果」に多くの国民があえいでいる。
一方、仏教経済学では市場経済を肯定するが、「自由放任」の自由市場経済ではなく、社会市場経済を構想する。ここでは社会的規制、すなわち自然環境、土地、都市、教育、医療、福祉などの分野での公的規制も必要と考える。公的規制の実施主体として行政機関のほかに市民、住民も参画し、決定権を行使する。
*貨幣について
現代経済学は貨幣、すなわち市場でモノやサービスを入手できる貨幣しか念頭にない。
あるいは昨今の金融資本主義ともいわれるマネーゲーム(金融工学を駆使した野放図な利殖)のための貨幣を重視する。
しかし仏教経済学では経済価値をつぎのようにとらえる。
《経済(経世済民)価値=貨幣価値+非貨幣価値》
経済とは本来「経世済民」(世を整えて、民衆を救うこと)を含意している。従って経済価値は、お金と交換で入手できる貨幣価値(モノ、サービス)に限らず、お金では買えない非貨幣価値(いのち、地球環境、豊かな自然、非暴力、共生、モラル、責任感、誇り、品格、慈悲、思いやり、利他心、生きがい、働きがいなど)も含むと考える。このように非貨幣価値も視野に入れて重視するのが仏教経済学である。
*競争について
現代経済学、特に昨今の新自由主義は弱肉強食の競争で、ナンバーワンをめざす。勝ち負けがはっきりするので、一握りの勝者に対し、多数の敗者、落伍者が出る。
仏教経済学は競争を肯定するが、それぞれの個性を磨き合う競争を重視する。ナンバーワンよりもオンリーワンをすすめる。勝ち負けを偏重しないので、落伍者もいない。ただし日頃の精進、努力を重視するので、厳しいといえば厳しい。
▽世界的な金融危機を仏教経済学的に読み解くと―
仏教経済学の八つのキーワードを念頭に置いて、昨今の世界的金融危機を読み解けば、何がみえてくるか?
世界的な金融危機の発端となった米国サブプライムローンの破綻とは、「低信用者層に対する高金利住宅ローン」という債権を証券会社(=投資銀行など)が証券化して売りまくり、それが住宅建設ブームの破綻によって証券が売れなくなり、大損失を発生させたことを指している。
それが世界的な金融危機に発展している。金融工学を駆使した現代経済学の賭博的ビジネス(カジノ資本主義とも呼称)とその破綻でもある。
この破綻を現代経済学を批判する仏教経済学の視点から表現すれば、こうなる。
際限のない貪欲(もっともっと、「まだ足りない」)で私利(目先の暴利と拝金主義)の極地を追求し、その成れの果てに、 非持続性(=破綻)に陥った。いいかえれば私利を追い求める弱肉強食の自由競争、すなわち<新自由主義路線の飽くなき追求>によって破綻に見舞われ、地獄に転落したわけだ。こうもいえる。現代経済学にひそむ悪魔にそそのかされて、地獄に堕ちた―と。
ただこれによって新自由主義は破綻したが、死滅したとは言いにくい。
仏教経済学は、このような貪欲そのものの新自由主義路線を批判する立場である。上記の八つのキーワードを経済社会に応用、実践し、貪欲な経済成長、私利や拝金主義を拒否する。それ故に経済、生活の破綻はない。簡素にして暴力のない、しかも質的に充実した日常生活を享受できる「現世での幸せ」をめざすのが仏教経済学である。
昨今の仏教宗派の多くは葬式仏教にみられるように現世への視点を忘れがちである。それは仏教本来の姿ではない。仏教経済学は「来世の幸せ」ではなく、「現世の幸せ」に視点を置いている。
なお政策論としての仏教経済学の紹介は別の機会に譲りたい。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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