2008年10月18日16時40分掲載  無料記事
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山は泣いている

45・入山料徴収は是か非か 米国やカナダなどの山は無料無規制でない 山川陽一

第10章 登山の大衆化がもたらしたもの・4 
 
 登山という行為は国民の当然の権利であって、入山規制や入山料の徴収は国民の権利の侵害であると主張する人たちがいる。山のトイレなども、チップ制までは許せるが有料化はダメだという。果たしてその論理は真っ当なものだろうか。 
 
 下界のゴミ問題でも、家庭ゴミの有料化には絶対反対、住民は税金を納めているのだからゴミ処理は税金で賄うのが当然で、税の二重取りであると主張する人たちがいる。他方、その人たちが事業系のゴミの有料化についてクレームをつけたという話は聞いたことが無い。事業者の肩を持つわけではないが、事業者だって国に法人税を納め、所在地域には法人住民税を納めている。 
 そちらの方の有料化はウエルカムということでは、筋が通らない。いたずらに権利を主張するのではなく、目の前に起きている問題に正対して真剣に解決の道を探るスタンスが必要である。 
 
 さて、ここでの問題は、山の大衆化に伴って生じているオーバーユースである。昨今、有名な山域は人で溢れかえり、自然が悲鳴を上げている。このままでは、後世に豊かな自然を残すことができなくなる。 
 
 戦後、山は観光資源であるという認識の下に、国も地方自治体も民間もこぞって山岳地帯の開発整備を進めてきた。入山のアクセスが容易になるにしたがって、山は、限られた山好きの人たちのフィールドから、万人の憩いの場所に変貌を遂げた。来るものは拒まずで、無制限に入山者を受け入れてきた結果、自然の持つ許容量をはるかに超えた入山者により自然破壊が進み、入山者の快適性も大きく損なわれるようになった。 
 すし詰めの山小屋に泊まり、行列登山を強いられ、トイレに悩む。富士山は別格として、尾瀬や上高地でも、週末やハイシーズンは、自然を楽しむより人を見に来たと云ったほうが適切な状況を呈する。こんな思いをしてまでなぜ山に来なければならないかと思う。 
 
 いまや、増えすぎた入山者の絶対数を減らすことを真剣に考えないと、根本的な解決にならない。 
 
 入山者を抑制する方法はいろいろある。第一は、良くなり過ぎた足の便を悪くすることである。ゆるい規制として尾瀬や上高地、乗鞍などでおこなっているマイカーや観光バスの乗り入れ制限があるが、もっと根本的に考えれば、シャトルバスを含めて、乗り入れ終点を下げることであろう。 
 定員をきめることによって入山者を抑える方法もある。これには、大別して、総量抑制とピークカットのふたつの考え方がある。宿泊を伴う山域については、宿泊施設とキャンプ場の収容能力を一定に制限し、完全予約制に移行させるという考え方も取れるだろう。 
 
 いろいろな方策が考えられる中で、わかりやすくて有効な手段が入山料という考え方である。山のトイレの維持費も包含したものにできれば、個別徴収のわずらわしさも無くなる。奈良や京都、鎌倉に行くと、どのお寺に入るのもお金を取られる。その金額が高いか安いかは別にして、一定の金額を取ることによって入場者数が適正に抑えられて快適に見学できると同時に、その収入でしっかりした維持管理が可能になる。 
 
 アメリカやカナダ、ニュージーランドなどの国でトレッキングを楽しんだ方なら誰でも知っているが、日本のように無料無規制のところはほとんど無い。 
 
 国情もシステムもそれぞれ違うが、日本と比較すれば、けた違いに人口密度の低い国々が、一生懸命入山をコントロールしているのに、なぜ日本では 「出来ない議論」が先行するのかと思う。いまや、山は無料無規制だという考えは捨てたほうがいい。 
(つづく) 
 
(やまかわ よういち=日本山岳会理事・自然保護委員会担当) 


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