2008年10月23日11時09分掲載  無料記事
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世界経済

人類文明の持続を視野に入れた論議を ウォーラーステイン氏の論考への一考察

  現代システムの終わりが近づいていること、生き残れないことは、もう明白である。ウォーラーステイン氏は「景気後退」でなく「恐慌」が始まっていると主張しているが、それは単なる「言葉」の問題にすぎない。どうしてもアメリカ/西欧式思考から抜け出していないように思われてしかたがない。もっと広い視点でものをみて欲しい。こんな議論は暇を持て余しているか、それ以上の思考を持ち合わせない経済学者・論者に任せておけば良い。(バンクーバー=落合栄一郎) 
 
 この論者の基本問題認識は「500年にわたり、資本主義生産の3つの基本的費用──人件費、投入(設備投資などか)、課税──の販売価格に占める割合が絶えず上昇したからである。そのため今日では、非常に大きな資本蓄積の基礎であった半独占化した生産から大きな利益を得ることは不可能になった。」に要約されているようだが、残念ながら十分に基本的な認識とは思われない。というのは、経済レベルのみでの思考に留まっているからである。 
 
 この点に関して言えば、基本問題は(1)現在の経済は消費(拡大)に依存していること──これには限界がある;(2)利潤拡大が最大の問題で、そのため金が特定少数に偏在し、大多数は消費できない程度に経済的に落ち込んでしまう。この(1)と(2)は相互矛盾している。それがこのシステムの破綻をもたらす(落合、日刊ベリタ2007.04.12『「利潤という利己的遺伝子」の』放棄 地球と人類の存続のために)。 
 
 経済は、人類の営みの一部(非常に重要ではあるが)にすぎない。人類が全体として生き残れるためのこれからの生き方の一部という観点が無ければならない。それは上記(1)の後半、すなわち「それには限界がある」ことに関連している。それは持続しうる人類文明のことである。そのことを視点に入れた新しい経済の形を模索せねばならない。 
 
 最後の部分の短期、中期の見通しはあたっているであろう。残念だが、新しいシステムに軟着陸する機会はとっくの昔に失われてしまった。 


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