2008年10月27日17時49分掲載
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北朝鮮
党が復権か 後継者問題 北朝鮮公式メディアを深読みする ルーディガー・フランク
北朝鮮のメディアを読むことはなぜ意味があるのか
北朝鮮で何か大きなことが進行しているのかもしれない。10月初旬、北朝鮮の公式メディアは、その一族王朝が終わった後の次の指導者が誰になるのか明らかにし始めたのかもしれない。だが、それほど直接的にした訳ではない。従って、まだ憶測的な結論に到達する前に、いくらか状況を説明する必要がある。
北朝鮮のようなイデオロギーに基づいた政治体制の社会主義社会は、重要な問題ばかりではなく、小さな問題も最高のレベルの秘密主義で取り扱うことで知られている。これは、調整が高度に中央に集中し、厳しく階層化された命令系統によって、政治的権力が独占化され、行使されている体制においては、最高指導部は最も細かいことでも責任を負っているためである。このため、どの失敗も指導部の責任と見なされ、指導部とその政治システム自体を守るために、情報は注意深く選別される。ジョージ・オーウェルが『1984年』で真実省をその目玉的存在にした際には、それをまったく正しく理解していた。
けれども、情報をきつく管理しようとする強迫観念は、その体制の弱点の一つである。国家社会主義国で政治的に自覚している人々は、自由民主主義国の人々より、より注意深く公式発表を読む傾向がある。しばしば、彼らは指導部が公に暴露されてほしくない真意を発見する。確かに、国営メディアは多くの問題について情報を提供しないかもしれないが、それが指導部の見方を反映していることは間違いない。なぜなら、その立場を国民に伝えるのが彼らの仕事であるからだ。強大な独裁者が支配するようなイデオロギー社会であっても、指導者は彼らがすることを正当化しなくてはならない。重要な措置は、2002年7月の経済調整策の場合のように、準備がされなければならない。
金正日後の指導部の問題が北朝鮮のマスメディアによって慎重に準備されていないとは想像し難いことである。アナリストが金正日の息子の母やその他の親族などの人格についての異例な報道があると、すぐさま反応するのはこのためである。新しい指導者の発表があるとすれば、労働新聞の注意深い読者はほとんど確実に、それを事前に知るであろう。なぜなら、北朝鮮の人々は、それを確実に受け入れるための準備がされていなければならないからだ。
わたしは2004年以来、第3の「偉大な指導者」による継承はありそうもなく、カトリック教会のローマ法王のような同輩中の首席(primus inter pares)となる人物に率いられた集団的指導部の形をとるであろうと主張してきた。この説の根拠として、金正日が彼自身を正統性の源にするようなことをほとんどしてこなかったことを主に示してきた。そうすれば息子の一人にその機能を継承させることができるが、彼はその代わりに、この機能を亡き父親に残すことを選び、彼の息子を「偉大な指導者」の孫に変えた。息子の一人を後継者として明確に指名することができなかったばかりでなく、「偉大な指導者」の孫としての彼らの地位は、困難な時代に国をまとめるのに必要な強い支配を確実にするには、弱すぎるかもしれない。事態をコントロールできなくなることを防ぐためには、変化は継続のように見えなければならない。正当化は現在の指導者から由来しなくてはならない。集団は現在ある既知の権力集団に基づかなくてはならない。
労働新聞からのヒント
それでは、10月8日の労働新聞に隠されているかもしれないヒントとは何なのか?「金正日委員長の後継者が選ばれた」などという発表はない。しかし、これなどはどうであろう。「党創立記念塔は絶え間ない大勢の参観者を引き付ける」。これは編集者やその上司を除いて、誰も関心を持たない出来事についての退屈な報道の一種にすぎないかもしれない。しかし、われわれが探している見失われたヒントかもしれない。まず第一に、金日成への記念碑はたくさんあるが、金正日への記念碑はない。組織としての軍への記念碑もない(個々の兵士や戦闘についての記念碑はたくさんあるが)ことは注目に値する。永遠の主席を超え、記念碑によって敬意を払われる唯一の政治的組織は党である。その塔が建てられたのは1995年で、それは党創立50周年記念であったばかりではなく、金日成の死後1年であり、先軍政策(軍事優先政策)が発表される前のことであった。
記念塔に毎日平均2000人の軍人が訪れ、420万人の国内の参観者、20万人の海外からの参観者があったというのは人目を引く記事である。塔の前でお辞儀をすることは、服従の一般的なしぐさである。要点を明らかにすると、その記事は党の職員、軍人、官僚を含むすべての参観者が塔について「説明を受け」、深い感動と尊敬の念を示した、と説明している。党は(社会主義でも先軍政策でもない)チュチェ型の巨大な政治組織である。その記事は結語で、党は卓越した思想と活力に満ちた指導性を基礎に無敵であると言っている。後者はチュチェの柔軟性と変化する環境に適応する指導者の能力のことを言っているのかもしれない。しかし、それはすべての北朝鮮の人々の母である党により維持されたチュチェ思想は、指導部が変わっても永久に残ると示唆しているようでもある。
クレムリノロジー(クレムリン研究)を極端に進めると、チュチェが先軍を支配し、軍は党に従属し、党の地位は、どの伝統的社会主義体制でも行使すると予想される主要な機能にまで回復させられていると主張できる。これは、北朝鮮の次の指導部は党を中心にした集団型で、継続性が安定のカギになるという考えとよく符合する。
党創立日の過去の取り上げ方
10月10日は党創立記念日である。そのため、そうした報道は記念日での標準的な自賛に過ぎないということが得る。ところが、2000年から20007年の関連した報道を見てみると、同じでないことが明らかになる。反対に、党創立記念日が1995年にできた塔への参観の報道で祝われたのは初めてであった。以下の短い分析が示すように、関連した記事の色調に興味深い変化があることに気づく。
2000年には、10月10日ごろの労働新聞の報道での強調は、統一と北と南が一緒になる金日成提案の高麗民主主義連邦共和国についてであった。2001年には、先軍政策の称賛とともに、国民に金正日の朝鮮労働党総書記選出4周年であることを思い出させた。誰を尊敬しなければならないかはっきりさせるために、「兵士の革命的精神」に関する記事が10月9日に現れ、対照的に翌日に「不敗」の党が称賛された。これは明らかに、「苦難の行軍」を克服する処方せんである先軍の時代であった。2002年には、イデオロギーの決定的役割が強調された。党は朝鮮人民を指導するものとして称賛され、経済的成果が大きく強調された。ジェイムズ・ケリー国務次官補が平壌を訪問した数日後で、第2次核危機の始まりとなった彼の発言の少し前、党の明るい将来を描いた記事は、軍事がすべての上に置かれなければならないことを明確にした。
2003年には、労働新聞は金正日の党指導部就任6周年であることを指摘した。またも、人民軍が党の中核で主要勢力であることが強調された。2004年には、金正日の総書記就任記念につての言及はなかった。代わりに、自力更生の精神が中心テーマとして提唱され、制裁など外部の圧力に屈することを拒否することがすべての分野で確実に勝利する道であると明確にした。2005年は、労働新聞はさらに一歩進んで、党は先軍を提唱して、人類の独立の世界的な大義のために自国を超えて偉大な貢献をしたと主張した。
2006年の60周年の際には、党は子供たち、つまり人民の「偉大な母」として再び提示された。先軍という言葉は現れなかった。しかしながら1年後に、この先軍の時代においては、「人間改造」は党の一貫した政策であると宣言された。金日成と金正日にほかならない「世紀の芸術の保護者たち」のための記念碑の起工式が行われた。10月8日には、金正日の党指導の「40年余り歴史」が社説で祝われた。彼の総書記への選出がもはや言及されない理由を少し説明するばかりでなく、40年間、党を指導していたと主張することがどのように可能なのか読者は不思議に思った(金正日への婉曲語とされた「党中央」という言葉は、1970年代になってから出現した)。けれども、先軍という言葉は出てこなかった。翌日、労働新聞は同国の最初の核実験を報道した。2007年1月の新年社説は、核保有国になったことで防衛問題は解決されたと強調した。
2007年10月、ある記事は人民軍を称賛し、さかのぼること1947年の金日成の宴会での演説を持ちだして、先軍を省略する以外の適当な理由がないかのようであった。軍は「党、指導者、国、人民」(この順番)により任務を割り当てられた忠実な道具として示された。党は最初にきて、指導者の前でさえあり、軍を党の中核ないし主要勢力として描くことはなかった。10月9日、ある記事は党の歴史を要約し、北朝鮮の人々にそれは金日成の党であることを思い起こさせた。言い換えると、党への不忠は金日成への不忠を意味した。党、指導者、人民の二心ない団結が要請された。
母なる党、次の指導者
以上示したように、党創立記念塔は2008年以前には、労働新聞の10月10日ごろの報道では触れられなかった。中央集権化し、管理された社会では、変化のあとを見つけるには異例なことを探さなくてはならない。これはそのような例の一つかもしれない。あるいは、北朝鮮のジャーナリストが空いたスペースを政治的に正確で、重要でない出来事を報じることで埋めようとしただけであったのかもしれない。時が経てば分かる。
次に何が起きる可能性があるのか?かなり長い間、北朝鮮のメディアは、永遠の主席である金日成生誕100周年の2012年を重要な転換点であるとしてきた。これは1980年に第6回党大会を開いた32年後に第7回大会が開かれる年になるかもしれない。ペースが速まる可能性もあるが、前回大会は金正日を次の指導者として正式に紹介する目的にかなったことを思い起すべきである。今度は党が、教会の役割を掌握し、イデオロギーと二人の「永遠の」指導者の指導部を守り、唯一の必然的段階に見える集団指導性を組織し、偉大ではないが、目に見える指導者を指名することがあり得る。党の塔への最近の参観は、この解決策を発表するプロセスでの最初の一歩であり得る。北朝鮮の次の「偉大な指導者」は「母なる党」である可能性がある。
*ルーディガー・フランク ウィーン大学東アジア研究所教授 欧州気鋭の北朝鮮・韓国専門家。Japan Focusアソシエーツ
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原文はJapan Focus と米国のシンクタンク、ノーチラス研究所のサイトに掲載された。翻訳、配信について著者の許可取得済み。
(翻訳 鳥居英晴)
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