2008年11月09日14時26分掲載
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社会
麻生邸見学ツアー逮捕者も出席、11・6に抗議と問題提起の集まりを開く
麻生邸見学ツアーで3人が渋谷の歩道で逮捕された事件に対する抗議の集会が11月6日に都内で開かれた。3人は、12日間の拘留の後11月6日に釈放された。集会には逮捕された3名が駆けつけ、逮捕時の事、取調べのことなどの報告を述べた。3人についてはまだ起訴される可能性が無くなったわけではなく、救援連絡本部は、今後も不起訴にしていくための活動を続けていく。(村上力)
抗議集会は千代田区・総評会館で行われた。3名の不当逮捕に抗議するために、「麻生でてこい!! リアリティツアー救援会」が主催したものである。しかし同日の午前、逮捕され、渋谷署、原宿署、碑文谷署に勾留されていた3名が釈放され、奪還を報告する集会ともなった。
会場は、20~30代を中心とする若い世代が多く、250名の参加者で埋め尽くされ一杯になり、資料が足りなくなるほどであった。
逮捕、釈放された3人は次のように語った。
《仮名・A》
今日はお集まり頂いてありがとうございます。おかげさまで出て来れました。
僕は、留置所の中で、スピノザの本を読みました。スピノザは本の中で、悲しみの感情は「人間の活力を奪う毒である」と言って います。またそれに対して、「受動的な感情を感じながら同時に能動的な活力を与えてくれる」ものを喜びの感情であるとしています。
今回、僕は20年間社会運動というものに関わってきて、初めての逮捕でした。この歳になって公務執行妨害というのは恥ずかしい。そういう悲しみの中で、接見で弁護士さんが見せてくれる激励文や、なかまの写真、そしてどんどん増えていく賛同者。きつい取り調べの中も、外で激励行動の太鼓の音が聞こえる。こういう風に、「外は盛り上がっているぞ」ということを知ると、本当に力づけられる。
これがスピノザのいう「喜び」なのか、ポテンシャル、運動を引き出す力なのかと思った。
《仮名・B》
逮捕されたとき、「なんで俺はこんなところにいるんだろう・・・」と思っていた。俺は基本的に平和主義者で、「とりあえず人は傷つけちゃいけない」って思ってたから、捕まったときもダラーっとしてて、いつの間にか牢屋にぶち込まれてました。
取調べはきつかったけど、その中で耐えられたのはみなさんのお陰です。
取調べのとき、警察は口をきく必要はないと思っていた。口をきく以前に、人権侵害の問題がある。
それで目をつぶっていると、「卑怯だ」「活動家らしくない」とか言われた。一体何をもって「活動家」とか言っているんだろうなと疑問に思った。僕は警察が本当に嫌いだったのですが、いくら無視しても嫌いだっていうことをわかってくれませんでした。
普段は引きこもりがちな僕ですが、「反戦と抵抗の祭り」は長年いろんな活動をしてきた人たちが集まって、みんなで一緒に喜びを感じていて、本当に良い集まりだと思います。
《仮名・C》
僕はデモが好きです。普段は道の端っこで縮こまって生きている人間なんですけど、デモのときは世界の中心に躍り出る自分の手の中にある感じがして、そういうのをまた感じられる機会が与えられて、本当に嬉しい。
僕の取調べはそんなに厳しくなくて、たしかにポエムを読み上げられたり、いきなり下の名前で呼ばれて「親の身にもなってみろ」とかは言われたんですけど。
検事に会って「お前たちは一体何がしたかったのかわからない。すごくやっていることが幼稚だ。」といわれたが、それは違うと思う。
今回は、戦争、貧困の責任ということを言って麻生の家に行こうとしてたわけなんですが、そのことについて話します。
僕は9・11事件が起きたとき、なぜそれが起きたのか理解が出来なくて、それから半年くらいいろんな運動に関わってきて、楽しいことも、つらいことも経験してきました。
運動に関わっていく中で、中東での戦争とか、格差社会とかが今に始まったことではないけれどもすごく言われるようになってきて、だけどその責任というものは、大量の情報や忙しさ、あるいは消費によって洗い流されてしまって、見えにくいなかで運動をやってきました。
今回麻生の家に行こうというのは、そういう中で何か根源的なものに迫りたかった。
それは別に麻生さんっていうキャラクターだけではなく、たとえば雨宮さんが「生きづらさ」ということを言われていて、それが経済的なものや、精神的なものなどに起因していて、そういうふうに何か根源的な、世の中を作り出しているものに迫って、自分たちなにが問題か明らかにし、話し合ったり行動したりする中でもう一度作り直していくっていうことの、そもそも可能性が実は奪われていくということを、やればやるほど感じるようになりました。
今回たしかに表面的には遊びっぽく見えたかもしれないけど、そういう遊び的な部分が大事だし、そういう遊び的な部分が大事だし好きだってこともあるけど、それ以外にも、根源的な部分に迫っていきたいなっていうふうに、ぼくたちは思っていた。それを通して、いろいろな、たとえば生きる喜びを手にしていくことができるかもしれないし、今日裁判官に言おうと思っていたけれども、そういうことを弾圧とかでハナから封じ込める社会に未来なんかないんだ、とすごく思いました。
今回、すごく自分は恵まれているなと思いました。両親、家族、職場、仲間たちがすごく支援してくれた。活動に理解が得られた。それと同時に、今日これだけの人々が集まってくれて、映像なども盛り上がってるのを見て、本当にありがとうございます。感謝してます。
しかし、過去にそうでなかった人も居たはずだと思います。そういう人々の苦しみや辛さの教訓の上に今があるというのをすごく感じます。そういうのを考えていて、もうこういう事件を二度と起こしてはいけないなと感じました。
◆逮捕劇で明らかになった日本社会のゆがみ
集会では、事件の不当性が再確認され、今後の課題となるあらゆる問題が露呈された。
《表現の自由を妨げる公安条例》
今回の事件の救援活動の弁護団の萩尾健太氏は今回の逮捕は表現の自由に対する攻撃であると主張する。
今回の事件前の打ち合わせで警察は、「麻生の家に行くのはいいが、麻生を倒せなどと言ってはいけない」と表現の内容に介入している。実際、渋谷の町はいつも歩いていて、お店の客引きや音楽のほうがよほどうるさい、そして今回は動画を見ての通り、デモでもなんでもない。しかし警察は動画に見るように、明らかに不当な弾圧でもってこれを潰そうとした、これは表現の自由に対する攻撃、憲法違反である。との趣旨を述べた。
救援連絡本部からは警察に公安条例という手段をもたせて、やり放題やらせている現実に問題があるという意見も出た。
《警察の情報を垂れ流すマスコミ》
フリージャーナリストの小林氏は、現場で撮影したビデオを流し、今回の弾圧の不当性を再確認するとともに、それに対するマスメディアの報道について述べた。
多くのマスコミは「無届けのデモ行進が行われた」「再三の警告を無視した」「警察官に対して暴力をふるった」などの警察の虚偽の情報に基づく報道をしており、事件の報道をしたニュース番組の映像が流されると、明らかなウソに会場からは時折呆れた笑い声が聞かれた。
このような警察、マスメディアによる事実の湾曲に対し、救援会を発足し、10月27日、記者会見を開き、ブログを開設し動画をYouTubeで配信したところ、6日の日付で動画は18万回のアクセスがあったという。そしてブログなどでこの問題が取り上げられ、救援活動が波及したといえる。成果としては、約80万の救援カンパが集まり、救援会の賛同者は一週間で約600人集まった。さらに国会議員の鈴木宗男氏(新党大地)が質問主意書を出し、超党派の国会議員のなかで出回っているということも報告された。
弁護士の萩尾氏によると、警察官が「これをまたYouTubeで流すのか?」という事を言っていて、警察もそういった事を気にしているとのことである。
《取材をして》
―示されたオルタナティブメディアの可能性―
今回の事件では、権力と癒着したマスメディアによるでっち上げ−黙殺攻撃をインターネットのブログやYouTubeによる動画の配信などによって見事に跳ね返したまさにオルタナティブなメディアの可能性を示す事件であった。
今回の集会でも、警察側の虚偽の情報をタレ流すというマスメディアの怠慢が露呈された。そしてその誤報にたいしていまだに訂正などの自己批判の姿勢は皆無であるという。
一般的に「五大紙」といわれるうちの朝日、産経、毎日は「無届けデモ」「インターネットで呼びかけ」などを強調することによってインターネット規制や共謀罪の成立の流れに迎合するような有様である。
来年5月のから、裁判員制度が施行される。今後メディアの姿勢は激しく問われなければならないはずではないのか。しかし今回の事件にみるように、マスメディアなどは結局公権力にさえ抗うこともできないのである。今こそ、オルタナティブメディアの可能性が、試されている。
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