2008年11月13日13時36分掲載
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ハネムーンをどのように過ごすのか ウォールデン・ベロー
ジョン・マケインがまだ敗北宣言をする前だというのに、ホワイトハウスの真向かいのラファイエット公園には、自然発生的に人々が集まった。群衆はさまざまな人種からなっていたが、大多数は白人で若者たちであった。「オバマ、オバマ」と元気に叫んでいた彼らは、希望を持ちたい世代の出身であった。これらの若い米国人は、カール・ロープや共和党が過去20年間、芸術形態として完成させた不信と分断の政治を捨て去ることを呼びかけたバラク・オバマの明快な呼び掛けに応えていた。
勝利の喜び、それが決定的であったことは、この広大な国で人々を熱狂させ、近くに迫った失業と経済崩壊の恐れを数時間、恐らく数日は払しょくさせる集団的なほとばしりとなって現れた。多くの人々は、47歳のアフリカ系米国人と運命を共にするために、過去においては右翼がかき立てることができた、まだ残る人種的な恐れを克服した。彼は、詳細な計画よりむしろ、仕事とコミュニティの消滅につながった8年間の教条的な自由市場政策を歴史の灰だまりに放り投げるという、まじめな約束を提示した。
オバマが人々に希望に投票するよう求めたのに対し、ジョン・マケインは恐れを結集しようとした。しかし、恐れと希望は共和党を追い落とすような形で一体となった。オバマによって党派争い後の新しい時代に入るよう鼓舞された人々は、共和党の強欲イデオロギーのさらなる4年によって経済的貧困に追いやられることを恐れた人々と一体となった。恐らく、オバマが最後の3ヶ月間、毎日休むことなく繰り返した最も効果的なスローガンは、マケインの勝利はジョージ・ブッシュがさらに4年続くことを意味するというものであった。
カタルシス
当コラムニストにとって、ラファイエット公園でみんなと一緒になって繰り出した1時間は、個人的なカタルシスであった。それはいくつかの感情の融合であった。米国人が黒人を大統領に選んだという高揚感、世界に多くの悲惨をもたらした能なしたちが、ついにゴミのように投げ捨てられたという幸福、米国の政策に対し、かつて怒りの抗議でしばしば立った場所で祝っている不思議で素敵な気分、そう、真の変革は可能であるという危険な希望である。
確かに、選挙運動の終わりまでには重要な選挙問題としては、極めて不人気なイラク戦争より経済が上回った。だが、何よりも戦争への反対がオバマのアイオワ州での決定的勝利の原因であった。そこでの予備選はオバマが負けることがない弾みを与えた。ラファイエット公園での不思議な瞬間に、オバマの選挙スローガンを使うと、この年老いた反帝国主義者は大いなる希望(the audacity of hope)に感染させられた。恐らく、これはマルクスの言葉を借りると、すべての固い物は消えうせる(訳注―「共産党宣言」の一節)という時代の一つであったのかもしれない。
大きな変化のための余地は、多分経済のことになると最大であろう。ブッシュ陣営は彼らが大嫌いではあるが、押しつける以外の選択肢がなかった政府介入の措置を導入した。選挙によって、オバマは資本主義を安定させるための政策から国民の福祉を促進するための政策に転換する大きな負託が与えられた。問題は変革の余地があるかどうかではなく、オバがさらに進んで、所有と経済の管理で変革の動きをするかどうかである。
古めかしいケインズ主義に戻るのか、ついに市場を社会に真に従属させる社会民主体制へ断固として向かうのか? 彼がラリー・サマーズ、ロバート・ルービン、ポール・ボルカーといった民主党の新自由主義者で周りをかためているとわれていることは、気がかりではあるが、この時点では、ほとんど心配させることではない。オバマは、選挙は教条的なレーガン型であろうと、より実際的なクリントン型のであろうと、新自由主義に反対する国民投票であったことを知っている。
外交政策
外交政策は別の問題である。オバマが選挙期間中に力説した重要なテーマの一つは、イラクは間違った戦争で、アフガニスタンはアルカイダとその同盟者、タリバンに対し、一線を画する場所であるということであった。選挙期間中にマケインと右翼の裏をかくために、彼がした不快な親シオニストの発言のように、これを戦術的に避けられないものとして判断したのであろう。しかし、この選挙の修辞を政策に変えることは厄介なことを招くことになる。ゲリラ戦争にとって最も理想的な地形を持っているアフガニスタンにさらに多くの兵士を投入しても、うまくいかないであろう。
イラクでデービッド・ペトレイアス司令官がスンニ派の部族の一部を買収したようなやり方で、タリバンの一部の司令官を買収しようとしてもうまくいかないであろう。なぜなら、タリバンは、ベトナムで共産主義と民族主義が演じた機能をイスラム原理主義とアフガン民族主義が果たしており、イデオロギー的に非常に結合力のある勢力であるからだ。要するに、アフガニスタンはハードパワーでもソフトパワーでも、その両方でも、もはや安定させることはできない。敗北と恥辱でしっぽを巻いて逃げた英国とソ連の運命が米国の目前に迫っている。唯一の選択肢は、削減し、いますぐすっぱり削減し、わずかな名誉と秩序で撤退することである。
選挙運動中、オバマは戦略的目標を達成するために前言を翻して、不人気を招くことを厭わなかった現実主義者であることを示した。これは彼が選挙運動のための公的資金について自説を翻した時のことであった。マイナスの影響はわずかであった。なぜなら、進歩派は、目標は選挙に勝つことであると理解しており、インターネット通じてどっと寄せられた資金援助が、共和党が伝統的に享受していた資金的優位を克服するうえでカギであったからである。確固とした期限でイラクから撤退するという公約に従い、アフガニスタンについて前言を翻すことは、右派から攻撃を招くであろう。しかし、国民のほとんどが「米国の信頼性」をほとんど気にかけていない時に、結果は管理できるものであろう。イラク戦争の経費だけで、1兆ドルに達しており、国内の苦境の時に中東からの脱出のために経済的な理由づけをすることは非常に効果的である。
オバマ大統領の最初の100日間は、いつものように米国民とのハネムーンであろう。ブッシュ政権が彼に押し付け、彼をホワイトハウスに送り込んだ連合を分裂させたい2つの重荷、イラクとアフガニスタンを断固として取り除く好機である。これは米国経済と世界経済を変容させる本当に大きな事業に集中するために道を開くであろう。しかし彼は米国民とのロマンスと右派の混乱という良き日を利用し、素早く行動すべきである。
彼はそれをするであろうか?多分、しないであろう。だが、その反面、その人物の最大の財産の一つは、思いがけなく方針を変える能力であった。
*ウォールデン・ベロー フィリピン大学とニューヨーク州立大学ビンガムトン校の社会学教授 反グローバリゼーションの論客 Foreign Policy In Focusコラムニスト
原文はForeign Policy In Focus(11月7日)に掲載された。翻訳配信許可取得済み
(翻訳 鳥居英晴)
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