2008年11月15日09時35分掲載
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早乙女勝元氏らが体験を証言 東京大空襲訴訟第7回口頭弁論
東京大空襲訴訟第7回口頭弁論が11月13日、東京地裁103号法廷で開かれた。この日は東京大空襲の実相について、空襲体験者で作家の早乙女勝元氏と原告6名が証言した。(加藤〈karibu〉宣子)
早乙女勝元氏は、「東京空襲を記録する会」に関する話から証言をはじめ、国が重視することもないため、民間の寄付などによって、戦災資料センターを立ち上げ、館長をしていることを述べた。空襲当時、隣組が結成され「火は消さねばならぬ」と言われていたことで死者数が増えたこと、3月10日は真夜中の空襲であったこと、石川光陽の写真の話、大本営発表では130機といわれていたが、米軍資料によると279機の大編隊であったことなどを述べた。
原告の一人、三宅駿一さんは、当時両親が写真屋だった自身の体験を述べ、「国からの援助は一切なかった。同じ戦争で死んだのに、(軍人軍属と比べて)、無駄死にだった」と語った。
続いて、疎開をしていて助かったが家族を亡くした原告の話、5月の山の手空襲で右腕を失った原告の話、そして氷が張るような冷たい墨田川へ飛び込んで逃げ、焼けこげた人の死体で暖をとって助かった原告の話などが証言された。
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