2009年01月02日21時24分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200901022124405

検証・メディア

09年元旦「社説」を論評する 新自由主義後の新時代への提案は 安原和雄

  大手メディアの09年元旦社説を読んだ。元旦社説は各紙のいわば年頭の辞であり、本年の紙面づくり、主張で何に重点を置くかを内外に示す意味をもっている。多様な意見、論評があるのは当然のことだが、そこには自ずから各紙の時代認識が盛り込まれているはずである。関心の的となるべきは、新自由主義路線の破綻であり、その破綻後の新しい時代、国のかたち、経済モデルをどう築いていくかにほかならない。社説にみる新時代への提案は何か。 
 
 まず大手5紙の元旦社説の主見出しを紹介する。 
*東京新聞=年のはじめに考える 人間社会を再構築しよう 
*朝日新聞=混迷の中で考える 人間主役に大きな絵を 
*毎日新聞=日本版「緑のニューディール」を 
*読売新聞=急変する世界 危機に欠かせぬ機動的対応、政治の態勢立て直しを 
*日本経済新聞=危機と政府(1) 賢く時に大胆に、でも基本は市場信ぜよ 
 
 以上の5紙社説の見出しから何が見えてくるか。東京の「人間社会を再構築」と朝日の「人間主役」からは「もっと人間を尊重する社会を」というイメージが浮かび上がってくる。毎日の「緑のニューディール」はいうまでもなく緑、すなわち地球環境保全を焦点に据えているのだろう。 
 日経は、「危機と政府(1)」から連載社説が始まることをうかがわせるが、「市場信ぜよ」には連載社説の総論として自由市場主義にあくまでこだわる姿勢を見せている。一方、読売の見出しからは問題意識や主張の具体性が見えてこない。 
 
 元旦社説、つまり新聞社としての基本姿勢表明に何を期待するかは、もちろん「読者それぞれ」であっていい。しかし私(安原)なら、(1)昨年秋からの世界金融危機さらに世界恐慌ともいえる世界大不況をもたらした新自由主義路線の破綻をどう認識するか、(2)日本は新自由主義破綻後の新しい時代をどう築いていくべきか ― の2点は欠かせないと考える。そういう視点に立って09年元旦の5紙社説を吟味したい。 
 
(1)新自由主義路線の破綻についてどういう認識か 
 
 1980年前後から米、英、日本を中心に導入された新自由主義(=市場原理主義)路線はグローバル化、自由化、民営化、規制の緩和・廃止によって多国籍企業など大企業の強欲な私利追求を推進した。日本では2001年からの小泉構造改革が顕著な具体例で、その無惨な「負の遺産」に多くの人々が苦しめられている。これを5紙社説はどう論じたか。 
 
▽東京新聞=「奈落への渦巻き現象」という小見出しをつけてつぎのような事実を列挙している。 
・進展するグローバル経済の市場原理主義と競争社会に傷つき倒れる人が続出した。 
・全労働者の3分の1の1700万人が非正規雇用、年収200万円以下の働く貧困層が1000万人。若い世代から「結婚もできない」の悲鳴が聞こえる。 
・雇用情勢も底抜けしたような不気味さである。厚生労働省の昨年暮れの調査では、ことし3月までに非正規労働の8万5000人が失職か失職見込み。わずか1カ月前の調査に比べ5万5000人も増えて、歯止めがかからない。 
 
▽朝日新聞=「市場の失敗の大きさ」、「格差と貧困の広がり」という小見出しで書いている。 
・人々を豊かにするはずの自由な市場が、ときにひどい災禍をもたらす。資本主義が本来もっているそうした不安定性が、金融規制を極限まで緩めたブッシュ政権の米国で暴発し、グローバル化した世界を瞬く間に巻き込んだ。 
・このグローバル化を牽引(けんいん)したのが米国だ。株主や投資家の利益を何より重視する。働く人の暮らしや企業の責任よりも、お金を生み出す効率を優先する。1970年代からレーガン革命を貫いて今日に至る「新自由主義」の考え方に支えられた市場のあり方は、世界にも広がった。 
 
・日本では何が起きたか。 
 バブル崩壊後の不況脱出をめざし、米国流の市場原理を重視した規制緩和が本格化してほぼ10年。小泉構造改革がそれを加速した。その結果、古い日本型の経済社会の構造がそれなりに効率化され、戦後最長の好景気と史上最高水準の企業収益が実現した。 
・同時に現れたのは思いもしなかった現実だ。声高な自己責任論にあおられるように貧富の差が拡大し、働いてもまともな暮らしができないワーキングプアが急速に広がった。労働市場の規制緩和で、非正規労働者が働く人の実に3割にまで膨れ上がり、年収200万円に満たない人が1000万人を超えてしまった。 
・かつて日本社会の安定を支えた分厚い中間層はもはやない。 
 
▽毎日新聞=新自由主義路線への言及は特にない。 
 
▽読売新聞=「新自由主義の崩落」という小見出しをつけて次のように指摘している。 
・新自由主義、市場原理主義の象徴だった米国型金融ビジネスモデルの崩落が、世界を揺るがせている。 
・急激な信用収縮は、実体経済にも打撃を与え、世界は同時不況の様相を深めつつある。 
・「100年に1度の危機」とさえ言われ、1929年に始まった「世界大恐慌」が想起されたりもしている。 
 
▽日経新聞=以下のように「市場を信頼し自由競争を重んじる」新自由主義路線は大筋では間違ってはいないという趣旨である。 
・米金融危機の一因に監督や規制の甘さがあったのは否めない。そして今は金融混乱の収 
拾や景気・雇用対策で政府の役割が期待されている。しかし資本主義の活力をいかすには国の介入は少ない方がよい。特に日本はまだ規制が多すぎる。 
・サッチャー元英首相、レーガン元米大統領らが1980年代に進めた規制緩和や民営化などの改革は競争力を強め、90年代を中心とした米欧の長期好況の基を築いた。 
・市場を信頼し自由競争を重んじるこの保守主義の政策が金融危機を招いたとする見方もあるが、必ずしも正しくない。保守主義は「何でもご自由に」ではないからだ。問題は米欧の金融当局が、この政策思想を適切に運営しなかった点にある。 
 
〈安原のコメント〉批判派の東京新聞、擁護派の日経新聞 
 新自由主義についての言及がない毎日新聞は別にして、新自由主義に対する批判派の筆頭は東京新聞である。「奈落への渦巻き現象」という小見出しがそれを物語っている。新自由主義の「負の遺産」に関する記述も具体的である。 
 読売新聞は「新自由主義・市場原理主義の象徴だった米国型金融ビジネスモデルの崩落」と書いているが、「崩落」という事実を指摘しているにすぎない。新自由主義路線そのものへの批判的姿勢は必ずしもうかがえない。 
 
 批判的であるようで、ちょっと首を傾げたくなるのが朝日新聞である。一例をあげると、「人々を豊かにするはずの自由な市場が、ときにひどい災禍をもたらす」という記述である。規制のない「自由な市場」はいわゆる弱肉強食の論理が働いて、その結果、貧富の格差(ワーキングプアなど)をもたらすのであり、全員が自動的に豊かになるわけではない。あの小泉構造改革がそれを証明したのだ。だからこそ適正な規制が必要だと考えたい。 
 
 日経新聞は今後も新自由主義的路線の旗振り役を努めるつもりらしい。「特に日本はまだ規制が多すぎる」という社説の認識がそれを物語っている。規制を外して丸裸にしなければ気が済まないのか。競争力の強い大企業などには歓迎できる主張である。しかしそれが日本列島上に寒々とした光景を現出させていることをどう受け止めているのか。 
 
(2)日本は新自由主義後の新時代をどう築いていくべきか 
 
 日本は今後どういう「国のかたち」、「経済モデル」を目指すべきなのか。5紙の社説に探り、私(安原)のコメントをつける。 
 
▽東京新聞=「希望の協力社会」としてのスウェーデン型社会を 
 
・希望の協力社会とは、利他的行為が結局は自己の利益になるという協力の原理と思想が埋め込まれた社会であり、人間の絆(きずな)、愛情、思いやり、連帯感、相互理解が重んじられ生きている社会。 
・スウェーデン国民の税・社会保険負担は所得の7割にのぼるが、民主化された地方自治体が提供する親切安心充実の育児、教育、介護サービスは負担の重さを感じさせない。国民の需要は、教師、介護士、保育士などの新たな雇用創出となり、失業や景気対策、地方間格差解消とさまざまな効果で国を元気づけている。 
 
〈コメント〉政治と国民との信頼関係が決め手 
 神野直彦東大教授の著書『〈希望の島〉への改革』(NHKブックス)、藤井威元駐スウェーデン大使の論文「スウェーデン型社会という解答」(中央公論1月号)を参考にした上での提案である。高福祉・高負担型のスウェーデンがなぜ「希望の協力社会」といえるのか。いいかえれば「国民の税・社会保険負担は所得の7割」という高負担がなぜ国民に受け容れられているのか。 
 それは高負担が国民にとっては自分の貯蓄と同じ意味をもっているからではないのか。自分達の高福祉として還ってくるとすれば、日本のように「老後のために」わざわざ自己責任で貯蓄に励む必要はない。政治と国民との間に信頼関係が決め手であり、それが築かれているからだろう。残念ながら日本ではこの信頼関係が失われている。その違いに着目する必要がある。 
 
▽朝日新聞=たくましい政治を 
 
・国民が望んでいるのは、小手先の雇用や景気対策を超えた大胆なビジョンと、それを実行する政治の力だ。 
・ひたすら成長優先できた時代がとうに終わり、価値観が大きく変化するなかで、どんな国をつくっていくか。それは「環境大国」でも「教育大国」でも「福祉大国」でもありうるだろう。将来を見すえた国づくりに集中して資源を投下し、雇用も創出する。そうしたたくましい政治が要るのだ。 
 
〈コメント〉経済成長主義の時代は終わった 
 朝日の社説の主見出しは「人間主役に大きな絵を」となっている。繰り返し読んでみたが、「人間主役」にどういう含蓄をもたせているのかが読みとりにくい。上記の「環境大国」、「教育大国」、「福祉大国」を「人間主役」で築いていこう、という呼びかけなのか。それならそういう風に明記して欲しい。 
 着目すべきは「成長優先できた時代がとうに終わり、価値観が大きく変化」という指摘である。「経済成長主義」の旗を振りかざす時代は終わったという意味なら賛成である。もはや経済成長を追求する時代ではない。 
 
 「釈迦に説法」だが、経済成長とはGDP(国内総生産)で計る経済の量的拡大を意味するにすぎない。生活の質的豊かさとは直接にはつながらない。例えば交通事故で犠牲者が出れば、それにかかわるカネが動き、GDPの拡大要因である。しかし事故によって生活の質的豊かさが実現するわけではない。その逆である。追求すべきは省資源・省エネを土台とする生活の質的豊かさである。 
 
▽毎日新聞=日本版「緑のニューディール」を 
 
・今後数十年にわたる「国のかたち」を考えれば、環境投資の比重が限りなく重い。時代は大きく転換しようとしている。米国発の世界不況が明らかにしたのは、実は資源・エネルギーの大量消費を前提とする成長モデルの破綻(はたん)である。世界はそれに代わる新しい成長モデルを求めている。 
・米国のオバマ次期大統領は環境投資をパッケージにした「グリーン・ニューディール」をオバマノミクス(オバマ大統領の経済政策)の柱のひとつとする考えという。大恐慌からの脱却をめざしてフランクリン・ルーズベルト大統領が打ち出したニューディール政策の環境版である。10年で中東石油への依存を断ち切るために総額1500億ドルを投資、再生可能エネルギーの開発・普及を推進する。これによって500万人の新規雇用を見込むという。 
 
・政府資金を環境に集中投資して需要不足を穴埋めし、中長期的に環境産業と環境技術が日本の成長を先導する経済・社会システムをめざすべきだ。燃費世界一の日本の自動車産業が世界を席巻したように、「グリーン化」の度合いが競争力に直結し、繁栄と安定を決定する時代になったからでもある。 
・石油など化石燃料に依存する成長は長期的に持続不可能だ。化石燃料の消費と経済成長をできるだけ切り離す必要がある。 
 ここでは、実用段階の太陽光発電と次世代自動車を飛躍的に普及させることを提案しておきたい。 
 
〈コメント〉「グリーン化」の度合いが競争力に 
 〈日本版「緑のニューディール」を〉という主張を掲げて具体的に論じているのは、ひとつの見識といえる。「グリーン化」の度合いが競争力に直結、という指摘も評価したい。環境分野で先進的な企業はすでにそういう感覚で取り組んでいる。「グリーン化」が今後の日本社会のキーワードになるのではないか。そういう新しい流れをつくっていくことにメディアとしてどう貢献するか、これはメディア自身の競争力にも直結してくるのではないか。 
 
 若干気になるのは成長主義をどう考えているのかである。「米国発の世界不況が明らかにしたのは、実は資源・エネルギーの大量消費を前提とする成長モデルの破綻(はたん)である」という指摘は適切である。ところが一方で「世界はそれに代わる新しい成長モデルを求めている」と指摘しているのは、合点がいかない。なぜ成長モデルにこだわるのか。 
 
 「成長モデルから脱成長モデルへ経済モデルを転換させよう」というスローガンこそを新自由主義破綻後の新時代は求めていると考える。「新しい成長モデル」ではなく、「グリーン化を軸とする新しい経済モデル」の構築こそが特に先進国での中心テーマであるべきだろう。 
日本のGDPはすでに年間500兆円規模で、米国に次ぐ世界第2位の成熟経済の域に達している。人間でいえば熟年同然である。もはや体重を増やす必要はない。人格を磨く年齢である。同様に日本経済も量的拡大を意味する経済成長ではなく、生活の質的充実を目指す適正な分配に重点を置き換えるときであろう。その大きな柱が「緑への分配」である。 
 
▽読売新聞=内需拡大に知恵絞れ 
 
・世界経済の混迷は、数年間は続くという見方が多い。早急に、新たな商品の開発、新市場開拓などによる輸出戦略の立て直しに取り組まなくてはならない。 
・景気の底割れを防ぐため、内需拡大を急ぐ必要がある。ただ、少子高齢化、人口減少が進行する中で、従来通りの公共事業を中心とする手法では限界がある。財政事情も厳しい。 
 
〈コメント〉内需拡大のための必要条件 
 米国発の世界金融危機、世界的な大不況とともにわが国の輸出依存型の経済運営が行き詰まりに直面していることは改めて指摘するまでもない。その対策として「景気の底割れを防ぐため、内需拡大を急ぐ必要」を力説するだけでは従来通りの景気対策の域を出ない。「経済成長の持続に全力を」という従来の紋切り型の掛け声と大差ない。問題は今、どういう新しい時代に直面しているのか、どういう新たな政策が求められているのか、である。 
 
輸出依存型から内需拡大への転換は基本方向としては望ましい。ただし以下の条件が必要である。 
・地球環境保全を基本柱として据えること 
・軍事や高速道路などへの巨大投資・支出を大幅に削減すること 
・スウェーデン型に学び、福祉、教育などの充実に重点を置くこと 
 
▽日経新聞=企業の活力をそぐお節介な政府は不要 
 
・小泉政権の下で郵政事業の民営化などに踏み出したものの、医療、農業、教育、運輸など成長につながる多くの分野で、民間の力をいかすための改革が足踏みしている。この歩みはさらに遅れるのだろうか。 
・賢くて強く、社会的弱者を守れる政府は必要だが、企業の活力をそぐお節介な政府や、国を借金漬けにする放漫な政府は要らない。経済の面では、市場経済がうまく回るような環境づくりを過不足なく進めるのが本来の役割だ。「大きな政府」待望論が強い今、あえて強調したい。 
 
〈コメント〉郵政の民営化では飽き足りないのか 
 新自由主義は民営化の推進と貪欲な私利追求が大きな特徴だが、郵政の民営化ではまだ飽き足りないらしい。医療、農業、教育、運輸なども私利追求の猟場にせずにはおかないという主張である。 
 しかし新自由主義路線を意味する小泉構造改革なるものが何をもたらしたか。貧富の格差を広げただけではない。企業社会は数知れない偽装、ごまかし、不祥事が日常茶飯事となっている。貪欲な私利追求の成れの果てにほかならない。市場経済からこの醜悪さを追放するためには市民参加型の適正な公的規制を含む市場経済の再生は不可欠であろう。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/ 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。