2009年01月05日08時19分掲載
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二極化社会を問う
「派遣村」に押され、厚労省、都内4箇所を12日まで開放 国と企業の責任を問い、「派遣村」と村民の闘いは続く
日比谷公園に設置された「年越し派遣村」も、今日5日に撤収となる。それまでに残された時間は僅かとなり、実行委員および約500人の村民らはそれ以後の行き場の確保に不安を募らせていた。実行委員らは、3日に5日以降の対策を要請する要望書を提出している。
そして4日の午後8時、2時間に及ぶ実行委員らと厚生労働省との交渉の結果、都内4箇所の宿泊施設が5‐12日まで開放されることが決定した。これにより村民全員の受け入れは可能とのことである。(村上力記者)
開放される施設は、中央区京華スクエア体育館(京華小学校の廃校)、中央区十思スクエア体育館(十思小学校の廃校)、東京都石神井学園用体育館、山谷地域越年越冬対策援助事業なぎさ寮の4箇所。交渉では厚生労働省は、「緊急避難所」としてのこれらの施設の開放を強調していたという。食事は弁当が支給されるとの話だが、厚生労働省はまだはっきりしたことを言っていない。いずれの施設でも生活相談、労働相談、貸付相談を受けることができるが、相談はハローワークやその他民間団体などが行う。なおこれらの施設は12日までの開放であるが、期限が来ても行き場がない者に対して、「追い出すことはしない」と述べたという。
日比谷に設置された「年越し派遣村」は事実上今日で撤収となるが、実行委員らは今後の村民500人の問題の解決のためのバックアップの体制を整え、行政との情報共有をしていくという。実行委員の関根秀一郎派遣ユニオン書記長は「派遣村はここに来た500人の問題を可視化することができたが、こういったことは本来ならば行政がやるべきであり、厚生労働省がもっとこの問題に取り組むように働きかけていく」と話す。つまり今後は「派遣村」が担ってきた 役割を、厚生労働省に移管するようなことを働きかけるのである。
加えて関根氏は、大量の村民を生み出した原因である企業の「派遣切り」などの対策には、緊急立法の必要性を強調した。
この知らせを受け、日比谷野外音楽堂前にて、4日午後9時に緊急の村民集会が催された。暗がりの中に、たくさんの人々が群がる。村長の湯浅誠さんが報告した。
「今日までの一週間は、みんなで命を支える一週間でした。明日からは、再就職を目指す人、生活保護を申請する人、住宅を探す人、ひとりひとりのたたかいになります」
「人が物のように捨てられて、居場所が無いまま放り出される。年度末にはさらに大きな解雇が予想されています。こういう制度や法が変わらない限り、次の就職先も安心とは言えません。こうした状況を変えていかなければならない」
「それについては、みなさんのこれからの就職状況、生活の状態がこの後の状況を決めていく。水先案内的な役割を持つことになります。みなさんの活動の成果が、今後の政治の方向を左右すると言っても過言ではないと思います」
「そういった役割を幸か不幸か、私たちは負ってしまった。それを私たちが活用して、社会に伝えていくことで、ここでの活動が一時のものに終わらない。次に繋がる、こういう世の中を変えていく、そういう第一歩になることを私は望んでいます」
「2008年はひどい年でした。2009年は、この派遣村をスタートに、こういう世の中はおかしい、もっと活き活きと安心して暮らしていける社会に変えていくための、第一歩としたいと思います」
今日5日は開放された施設への村民の大移動と、生活保護の一斉申請、デモなどが予定されている。
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