2009年02月02日20時14分掲載
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定額給付金反対者は寄付を! 「拒否」して貰うのは筋違い 安原和雄
あの定額給付金問題はもみにもんだ末、国会で通った。支給は3月以降になるらしい。世論調査によると、7割の人が反対していると伝えられる。私は反対論者ではないので、少数意見に属することになるが、反対の多くの国民に肝心なところで錯覚があるのではないかという印象が消えない。
賛否はもちろん自由だが、反対者は給付金を「拒否」しているわけだから、今さら受け取るわけにもいかないのではないか。「もったいない」精神を発揮して、恵まれない人や施設に寄付したらいかがだろうか。それにも反対ならば、主張に一貫性がなくなり、筋が通らないだろう。
▽給付金反対論への疑問 ― 財政・税制の根本的組み替えを
私はこの定額給付金について「遠慮せずにいただきましょう」という視点から昨08年12月、以下のような趣旨を書いた。その要旨を再掲する。(ブログ「安原和雄の仏教経済塾」に掲載の08年12月17日付記事「定額給付金だけがバラマキなのか 財政、税制を根本から組み替えよ」参照)
総額2兆円の定額給付金はバラマキであり、有効な政策ではないから容認できないというバラマキ返上論はいくつかのタイプに分けられる。
(1)景気対策優先説
国庫に2兆円もの余裕があるなら、景気対策に真剣に取り組んで貰いたい。首相は1人当たり1万2000円から2万円の給付金で景気が上向くとでも思っているのか。
〈安原のコメント〉― ささやかなゆとりと幸せを求めて
「景気が上向くとはいえない」は、その通りである。しかし給付金をどう使うかは国民の自由であり、景気回復を目標に掲げて我々は日常生活を送っているのではない。多くの庶民はささやかなゆとりと幸せを求めて生活を営んでいるにすぎない。
少しでも生活費の足しになれば、それで十分ではないか。それ以上のことを大げさに期待するその感覚の方がおかしい。
(2)選挙向けの買収行為説
「定額給付金は選挙に向けての買収行為だ」という不評が聞こえてくる。選挙が近づくと、今回の給付金のような人気取りとしか思えない予算措置がどんどん出てくる。
〈コメント〉― 麻生首相への義理立ては無用
麻生政権側は内心では「選挙向けの買収行為」のつもりかもしれないが、麻生首相のポケットマネーを恵んで貰うわけではない。近い将来の総選挙では現政権を担う面々に1票を投じる義理はない。交付金は、国民が納めた税金のほんの一部の「スズメの涙」が戻ってくるにすぎない。「何の遠慮がいるものか」であろう。
(3)消費税引き上げ誘導説
定額給付金を一時的に支給されても、その引き換えに消費税率を引き上げるというのでは結局、低所得者、年金所得者、中小企業経営者らをますます苦しめることになる。消費税率の引き上げを止めて欲しい。
〈コメント〉― 消費税上げを撤回させるには
こういう疑問は少なくない。だから消費税率引き上げに「待った」を掛けるのは正しい。ただし1回限りの2兆円交付金を止めたからといって、それだけで消費税率引き上げの撤回を期待するのは甘すぎる。お人好しともいえよう。
麻生首相は「3年後の消費税引き上げの姿勢は変わらない」旨を明らかにしている。消費税引き上げを阻み、ひいては将来引き下げるには財政・税制の根本的な組み替えが不可欠である。
(4)2兆円の有効活用説
2兆円の使い道としては、本当に「国民の生活不安」に応える政策を検討してもらいたい。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法25条・生存権)が保障されるよう真剣に考えてもらいたい。
〈コメント〉― 生存権保障のためには発想の大転換を
憲法25条は、国民の生存権と同時に、その生存権を保障する義務が国にあることを定めている。ところが国はその義務の怠り、生存権の保障とはほど遠い寒々とした現実が日本列島上に広がっている。だから2兆円の有効活用説は一見もっともにみえるが、なぜ交付金2兆円にこだわるのか。2兆円程度の資金で国民の生存権が保障できると考えるのはお人好しだろう。
ここは2兆円執着説から発想を大転換させようではないか。それは国の一般会計予算(09年度は総額88兆円台で過去最大、うち政策経費を示す一般歳出も52兆円と初めて50兆円の大台を突破)の根本的な組み替えである。
財政・税制組み替えのいくつかの事例を挙げると―。
*防衛費(年間約5兆円)、公共事業費(高速道路・ダムなど)の大幅な支出削減
*大企業や資産家への優遇税制の廃止・見直し、環境税の導入
*「早くあの世へ往け」と言わんばかりの後期高齢者制度を廃止するなど年金、医療、生活保護など社会保障制度の充実
▽反対者に提案する ― 寄付などに回してはどうか
以上のような総額2兆円の定額給付金問題に関する私(安原)の見解は、今も変わらない。正論だと思っている。ところがこれが少数意見だというのだから、私は不思議な感覚に襲われている。突然、多くの日本人がお人好しになったのではないか、肝心なところで錯覚が生じているのではないかという印象さえある。
世論調査によると、定額給付金を「評価しない」が7割を超えているとも伝えられる。この数字を前提にすると、7割の人が「給付金を貰わない」という意思表示をしたも同然である。いうまでもないが、言論・思想の自由は憲法で保障されている。「貰わない」という拒否の意思表示に反対する理由はない。私はむしろ尊重したい。尊重するからこそ以下の提案をしたい。
いったん受け取った給付金を国庫に返上する理由はない。ここは「もったいない」精神を生かして寄付することをすすめたい。恵まれない人や施設など寄付先は多様であるだろう。これが折角の給付金の有効活用というものではないか。7割の人が寄付すると、概算で2兆円の7割で1兆4000億円にものぼる。寄付先にも歓迎されるのではないか。毎日新聞(1月31日付)によると、寄付を募っている地方自治体(東京都多摩市、大阪府箕面市)もある。
給付金は通常の政策とは異質である。「貰わない」という意思表示をした以上は、あくまでもその主張を貫いて欲しい。それが己の考えや主張に責任を持つということではないか。給付が決まったのだから、受け取るというのでは筋が通らない。「嘘つき」「無責任」という批判を招くかもしれない。
▽大手紙社説は説明責任を果たせ
特にメディア関係者に注文したい。なかでも大手紙社説で給付金に反対の論陣を張った新聞は一社に限らない。その新聞社説は無署名であり、個人としてではなく、論説委員会の共同責任で書かれた社説と理解できる。だから反対論を掲げた新聞の論説委員全員は当然のことながら、自分に対する給付金を寄付などの形で有効活用すべきであると考えるがどうか。寄付などして、言行一致の範を示して欲しい。そうすれば、社説への評価は一段と高まるに違いない。
しかもどういう形で有効活用するかを社説で公開して、例の「説明責任」を果たして欲しい。そういう前例のない新しいスタイルの社説もあっていいのではないか。今や「チェンジ(変革)」の時代である。間違いなく注目されるだろう。
さて一介のささやかな年金生活者にすぎない私(安原)自身はどうするか。反対論者ではないので、遠慮なくいただく。何に使うか、そこが問題である。
私は景気回復、消費増大に貢献しようという感覚には無縁である。景気回復、消費増大は個人の消費行為の結果にすぎない。それを目的にして生活をしている人がどこにいるだろうか。経済のために人間があるのではない。逆に人間のために経済がある。人間が主役であり、経済は手段にすぎないことを再認識したい。
だから使い途は自主的に決める。それが個人として責任ある生き方だと心得ている。税金の支払いに充てるかもしれない。あるいは久し振りに日本の銘酒を味わってみるのもまた一興かと思案している。できることならその時に「説明責任」を果たしてくれるであろう新聞社説を朱筆で採点しながら、ひとときを過ごしたい。その日が来るのを楽しみにしている。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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