2009年02月16日11時32分掲載  無料記事
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TPP/脱グローバリゼーション

オーストラリアで気候変動問題が政治の焦点に(下) 気候変動が弱者を襲う現実と社会運動はどう向き合うか

  オーストラリア市民グループや環境NGOによる「気候変動アクション・サミット」二日めの2月2日の午後は、「気候変動とグローバルな公正」というワークショップに参加した。前日、AFTINET(公正な貿易と投資のためのオーストラリア・ネットワーク)の活動家であるアダム・ウォルフェンデンさん(http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200809111230094)と偶然に会って、誘われたワークショップである。この会合は急きょセッティングされたもので、当初のプログラムの中にはない。事前に準備されたワークショップ以外にも、参加者がオープン・スペースで自由にワークショップを主催できるようになっている。会合では、1999年シアトルでのWTO閣僚会議への抗議行動を端緒とするグローバル・ジャスティス運動の歴史と成果と、参加者たちによる気候変動への取組みの経験とを交差させるような議論がなされた。ほぼ同時期にブラジルのベレンで開催されていた世界社会フォーラムでの気候グループの声明を紹介しながら、地球温暖化をめぐるローカルな行動を世界の動きとつなぎ合わせるような工夫がなされた。(キャンベラ=安藤丈将) 
 
【キーワードは「気候正義」】 
 
  このワークショップでキーワードになっていたのは、「気候正義(climate justice)」という言葉である。これは、たとえ自分が温暖化によってさしたる被害をこうむらなくても、自分の二酸化炭素の排出によって引き起こされる他者の苦しみへの責任を引き受けなくてはならないという考え方である。 
 
  オーストラリア周辺の太平洋に浮かぶ小さな島々は、すでに温暖化で水位が上昇し、島の消滅の危機に瀕している。気候変動の被害が社会的弱者に集中している現実とどう向き合うか。この気候正義という考え方は、初日の全体会合での議論にもうかがうことができた。 
 
  スピーカーの一人であり、長く気候変動に関する活動を続けてきたジョン・ヘプバーンさんは、排出とは「責任」であって「権利」ではないとして、「ラッド・スキーム」の排出権取引を批判した。大企業などの大汚染者は、排出の権利を求めて懸命にロビーイングをする前に、自分たちの過去の炭素排出の責任を取るべきというメッセージである。さらに、全体で討論した政策提案の文書の中には、オーストラリアを含む先進工業国は、「過去の炭素債務(historical carbon debt)」への責任を引き受けるべきであるという文言が挿入された。ここにも気候正義に共通する考え方を見て取ることができる。 
 
【環境エコロジー運動と先住民運動の合流】 
 
  2月3日朝の国会包囲行動の直後には、すぐそばの「テント・エンバシー」の前でアボリジニーへの人権侵害に抗議する集会とデモがおこなわれた。テント・エンバシーとは、先住民社会への侵略に対する政治の不作為に抗議して、アボリジニーたちが30年以上も泊りこんでいるテントのことである。 
 
  この集会とデモの主たる目的は、アボリジニーのコミュニティへの「インターベンション(介入)」に抗議することにあった。ハワード前首相は2007年6月、親による虐待からアボリジニーの子供を守るという名目で、ノーザン・テリトリーの先住民コミュニティへの介入を開始した。「2007年ノーザンテリトリー緊急対応法」では、警察を動員して子供を家族から強制的に隔離したり、飲酒に制限を加えたりすることが許可されている。 
 
  こうした日常生活への介入は、先住民グループの反発を呼び起こした。多くの先住民たちは「ラッド・スピーチ」を歓迎したものの、その後もインターベンションが続いていることに不満を持っている。先住民グループはインターベンションが憲法違反であるとして訴訟を起こしたが、国会の始まる前日の2月2日、最高裁はこの訴えを退ける判決を出した。 
 
  こうした厳しい状況の中で、参加者たちは「この土地は、過去にも未来にも、アボリジニーの土地である」、「インターベンションをやめろ、人権を守れ」と叫びながら、テント・エンバシーから国会前までの道を歩いた。気候アクションの参加者たちの多くも、流れるようにこの行動に参加した。 
 
  オーストラリア緑の党のリーダーであるボブ・ブラウンは、集会であいさつし、アボリジニーの土地を破壊するラッド政権の気候政策と先住民政策を批判した。環境・エコロジー運動と先住民運動とのつながりは、現状の突破口になるのだろうか。集会のスピーカーたちは、ラッド政治を「シンボリジム(象徴の政治)」として、激しく攻撃していた。アボリジニーへの謝罪のような象徴的行為は、それに即した具体的な政策に伴われなければ、ポーズと見られても仕方がないだろう。1年前の熱狂が冷めつつあるいま、オーストラリアの社会運動は、ラッド政権の対応に注目している。 


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