2009年04月03日10時08分掲載
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中国
香港のスターや文化人の文化遺産をもっと大切に ジャッキー・チェンが政府を批判
『亜洲週刊』は3月22日号で「香港失宝記」と題する特集を掲載し、香港が生んだスターたちや文化人たちのゆかりの文物を政府が積極的に保護していないことを批判した。米プリンストン大学名誉教授で世界的に知られる中国思想史研究者の余英時を生んだ新亜書院の旧校舎が土地開発のために解体され、テレサ・テンが住んでいた瀟洒な高級住宅も当時の姿を残していない。伝説的な映画スター、ブルース・リーは没後37年たってやっと記念館を建てる話が出た。世界的な映画スター、ジャッキー・チェンは、父の出身地である安徽省の古民家を収集してきたが、それらを香港政府に寄付しようとしたところ、政府の対応はのらりくらり。結局、シンガポールがコレクションの受け入れに手を挙げた。特集のうちジャッキー・チェン氏へのインタビューを紹介する。(納村公子)
ジャッキー・チェンの徽州木造建築コレクションは、昨年亡くなった父親との深い親子愛にまつわる。本籍が中・安徽省の彼の父親は20年ほど前、息子によく漏らしていた。「歳をとったら故郷に戻って暮らしたい」と。ジャッキーはその願いを片時も忘れず、中国本土で撮影するときは必ず、父のために四合院(訳注:中庭を囲む4棟からなる伝統家屋)や古風な家屋を探した。
しかし、一緒に帰省した安徽省で父親の気に入ったのは、ぼろぼろの木造家屋。ジャッキーはこれも親孝行と、父に代わってぼろ屋の修繕を始めた。思いがけず現れたのは優美なたたずまい、世に聞こえた徽州木造建築だった。ジャッキーが古木に愛着をいだくようになったのはこの時からだ。
20年前、築100年以上の木造家屋に、世間は「使い道はないが、壊すのは惜しい」と処置に困っていた。しかしジャッキーは、それらを一棟一棟香港へ運んだ。1997年、安徽省の人民代表大会がようやく『安徽省皖南古民居保護条例』を公布し、徽州古建築の保護を開始。2007年には、安徽木造古建築を含む1911年以前の古文物の輸出を禁止した。しかし徽州木造建築、木彫りの扉や窓、その他のパーツなどの売買は国内に限り今も可能で、窓一枚が数十万元もの値段で売りに出されることもある。
古い木造建築7棟を香港に運ぶのは、とてつもない大プロジェクトだった。「建材の一つ一つに番号をふって船積みするんです。重いものは担ぐのに何十人も必要ですから、本当に大変で、ずいぶん苦労しました」。ジャッキーはこれらを香港政府に寄付して、徽州古民家群を再現するというプランを思い描き、図面まで用意していた。「政府側に全部説明しましたよ。土産物屋や軽食店も入れて、撮影道具など自分のコレクションを収蔵するスペースも欲しいと」。
徽州古建築はいまや、文化的にも芸術的にも貴重な遺産となった。ジャッキーのコレクションだって、市民はじっくり観賞したいはずだ。彼のコレクションの最終的な落ち着き先は? 香港はまたもこのチャンスを逃すのか? 以下はジャッキーへのインタビューの概要である。
――あなたはずっと正々堂々としていて、香港の観光大使でもあります。政府のこのような対応には腹が立ちませんか?
腹は立ちませんが、なぜあんなに対応が遅いのかわかりません。シンガポール政府は文化財を重視していますが、香港の問題は制度が伝統的すぎることです。イギリス領のときのほうがまだましだったように思います。今は制度でがんじがらめになっていて、右もダメ、左もダメで、何をやっても怒られます。
――古建築の寄付をめぐる、香港政府との10年という長きにわたる問題のいきさつは?
そう、10年も前! 適当な場所に国宝級の木造古建築7棟を移築して、市民に公開しようと考えたんです。あちこち見に行きましたが、条件に合う土地が見つからない。博物館のことなんて何もわからないから、僕の計画を説明する手紙を政府に出したら、これはあの部に掛け合え、それはまた別の部の管轄だというふうな具合で、一向にきりがない。けっきょくどこも積極的に動いてくれませんでした。
前行政長官の董建華氏と現行政長官の曽蔭権(ドナルド・ツァン)氏に助けを求めたこともあります。土地を貸してくれるだけでいいからと。でもそれっきりでした。西九龍に建てる提案もしました。土地が見つかるまではとりあえず青馬大橋(訳注:香港の青衣島と馬湾島を結ぶ吊り橋。2層構造で上層は道路、下層は鉄道路になっており、国際空港と香港中心部を結ぶエアポート・エクスプレスもここを通る)付近の空き地に建てておいて、空港から車で来る旅行客に見てもらい、土地が見つかったらまた考えようと。
海洋公園にもあたってみましたが、責任者は10,000平方フィート(約929平方メートル)なら貸しましょうと言う。でも、狭いところに7棟がひしめいていたら、古建築群の意味がなくなってしまいます。ですからこれも、それっきりでした。
――古建築の寄付だけでなく、撮影道具も展示したいと政府に表明されたのですね? 政府はあなたの意向を理解していなかったのでは?
はっきり言いましたよ、古建築群の中の一部屋をコレクションの展示のために空けてくれと。それに自分でコレクションの出し入れができるよう、ゲートの鍵が欲しいとも言いました。ですから、僕が映画コレクションを展示するつもりだということは、向こうも知っていました。
――政府側はあなたの木造建築コレクションの貴重さがわかっていなかったのでしょうか?
手紙を書き、図面も送り、何人もの役人にも会い、国立博物館の許認可も含め、必要な許可もすべて取りました。コレクションの中のあずまやを自宅の庭園に建てて、皆さんに見てもらおうと考えたこともあります。でも当局と消防署から、安全確保のため、木材にモルタルを注入しろと言われたんです。悲しくて、庭に建てるのはすぐにやめました。
――古建築は今はどのように保管されているのですか?
倉庫を借りていて、そのレンタル料だけでもすごい金額になっています。毎回、倉庫のドアを開けるたびに、木が虫に食われていないか、腐っていないかと心配でなりません。点検できるのは一部だけで、下のほうは見えませんから(建材はうずたかく積み上げられている)。
――10年たっても解決せず、今後はどうなさるのでしょう?
香港では糸口が見つかりません。一昨年シンガポールで、あるチャリティーに参加し、あちらの政府の方と会う機会があって、古建築コレクションの話をしました。香港に帰ったら写真を送ってくれと頼まれたので送ったところ、それをご覧になって「これは宝だ! すぐシンガポールに寄付してくれ」と。びっくりしました! 資料館の建設、古建築の組み立ても引き受けてくれたうえ、1週間後には土地が用意できたと返事が来たんですから。大学の構内というのがとてもいい。中国とシンガポールの文化交流の中心になってもらいたいですね。
――香港島南端の赤柱(スタンレー)にあったテレサ・テンの旧居は今はもうなく、ブルース・リー記念館の建設には長い時間を要しました。国際的なビッグ・スターであり、香港人でもあるジャッキーさんはどう思われますか?
香港はこれまで文化資産を軽視し、たくさんあった素晴らしい文化財も処分してしまいました。ですから友人が来ても、連れて行く所がありません。今ようやく香港は徐々に文化財の保護に目を向けるようになってきました。避風塘(台風の際に船を待機させる入り江)は保存すべきだと思いますね、とても特色がありますから。映画関連について言えば、韓国には後山があり、中国本土には横店(浙江省にあるアジア最大の映画撮影所)がある。では香港には? 何もないんですよ。
原文=『亜洲週刊』09/3/22 朱一心記者
翻訳=佐原安希子
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