2009年04月07日10時18分掲載  無料記事
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中国

天安門事件20周年 「共産党の謝罪なしに和解はありえぬ」 元学生リーダーの王丹氏

  学生らの民主化要求運動が中国共産党によって弾圧された「天安門事件」からまもなく20年。共産党エリートで、80年代の言論活動のリーダー的存在だった戴晴女史がこのほど、真相究明の調査を行い、正義を認めたのち、社会の和解を実現することを関係者らに呼びかけた。この提案に対して、当時の学生リーダーで、現在も中国の反体制派リベラル知識人のリーダー的存在として海外で活躍する王丹氏は、亡命先の米国で『亜州週刊』のインタビューに応じ、党の人民虐殺の罪への謝罪が先決であり、被害者側からの「和解提案」はばかばかしいと一蹴した。 
 
 天安門事件20周年を前にして、アメリカに亡命して十数年になる、89年当時、学生運動のリーダーだった王丹氏は多忙を極めている。去年はハーバード大学歴史およびアジア言語の博士号を取得、今年はイギリスのオックスフォード大学セント・アントニー校で1年間の研究生活を送っている。いま彼は、当時の運動参加者全員をワシントンに集めようと、天安門事件20周年記念活動の準備に追われている。 
 彼は講演活動では常に「民主化運動」の主張を続けている。本誌の取材を受けたとき、王丹氏は、これはすべて「天安門事件の民族の記憶を消さないための努力だ」と言った。 
 
 20年の時は過ぎたが、王丹氏は「海外の民主化活動家が天安門事件について一貫して主張しているのは、中国共産党が行った虐殺の決定で「混乱を収拾して正常化」できたとすることは、人民に対して行った罪業を認めることだというものだ。具体的行動をもって歴史の傷を治し、民主化推進プロセスを主導的に行って歴史への責任を果たすことを呼びかけている。そして人民に歴史の記憶をなくさないよう、天安門事件を忘れることのないように呼びかけている。この立場はいまも変わっていない」 
 
 先日、作家、戴晴氏が天安門事件の評価をめぐって二者が対立していることについて、真相究明の調査を行い、正義を認めたのち、社会の和解を実現することを呼びかけた。王丹氏は講演の場でこの主張に対する自身の意見を表明した。あるメディアが「王丹氏、天安門事件和解には条件がある」という見出しで報道したところ、彼はそれを認めず、本誌に言った。 
 「私の一貫した考えの中で、‘和解’などとばかばかしい主張を出すわけがない。ところが見出しで私が和解を受け入れる意思があるようになってしまった」 
 
 3月13日、王丹氏はオックスフォードで天安門事件に関する講演を行った。講演は盛況で300人近い学生や各地からの学者が集まり、空席もなく、席のない人は階段に座った。聴衆は全体的に当時の中国人学生たちの姿勢に肯定的だったが、大陸から来た中国人学生の中には異なる意見もあった。 
 王丹氏は、事件の被害者に和解を求めるとは「ばかばかしい」と言った。「人が傷つけられたのに、被害者の側から和解を求めるだなんて、どこにそんな話しがある?」「私には自分の最低ラインがある。和解するとしても、絶対に自分からは出さない。いま現在、何も見えていないのに、私に和解を受け入れろという」 
 
 王丹氏は質問に答え、20年前の天安門事件は中国の現代公民社会の始まりに当たると述べた。事件を振り返って、彼は悔やんではいないが、二つの過ちを認めた。 
 「第一に、学生運動を続けるうち、その純粋性を過度に重要視しすぎたことだ。断食を始めた5月11日以降、だんだんと大衆運動になっていったのに、我々はほかの人の助けを拒み、政府内の開明派とも協力しなかった。そうでなければもっとよかったはずだ。第二に、断食の時期はちょうどゴルバチョフ訪中直前で、我々は一両日中に政府が広場をかたづけに来ると思っていた。ところが誰も現れないうえに、その後、各地から天安門広場での断食に参加する人が増えていき、制御できなくなってしまった」 
 
 20年前の理念を堅持し続ける王丹氏だが、「私が中国政府へ求めている要求は実に低い。彼らが何かできるかとは期待していない。ただ、何かしないでほしいと願っているだけだ。たとえば劉暁波、彼は人権擁護に関する提言(08憲章)をしただけで逮捕された。こうした行いをやめるだけで民主の基本である寛容が取り戻せるのだ」 
 
 以下がインタビューの概要である。 
 
 ──「和解」という提案にどう思うか。 
 
 いま我々から和解問題を提示することはばかばかしいと思う。双方の力関係にこんなに落差があるのに、和解は被害者の側から出すものではないんだ。AがBに暴力を受けていながら、Bに「友達になろうよ」と言うようなもの。この世の中にこんなばかばかしい話があるか? 和解の基礎は真相と正義だ。当局はいまも当時の弾圧が正しかったと主張し、極力真相を隠そうとし、天安門事件に関するいかなる公開の討論をも許していない。いったい和解する基礎がどこにある? 基礎的な状況がまったくないのに、和解問題を出すとは、片思いというものだ。 
 
 ──「和解」という考え方は受け入れられるか。 
 
 「和解」の考え方は受け入れることができる。しかし、考え方は現実化しなければならない。戴晴氏が提示した和解問題はただのスローガンにすぎない。もし我々が和解に同意したら、我々の側から具体的にどう和解したらいいのか。もう天安門事件は語らないとか、中共を批判しないとか? 私には、我々の側が和解プロセスの具体的提案が見えてこない。こんな和解の提案など空言ではないか。我々は拘留され、亡命させられ、中国で言論を発表する機会をいっさい奪われた。我々にはどんな話し合いや和解の条件を持っていない。 
 
 ──客観的に見て、本当に「和解」の条件はないのか。 
 
 なんの基礎もない状況で、相手も当時の虐殺を正しいと主張している前提のもと、こっちから和解を申し出るなんて、あまりにけじめがなさすぎる。天安門事件問題が歴史的に公正に見られなくなるだけではない、是非が転倒してしまう。社会の基本的価値の原則も立てられない。戴晴氏が提起した問題についてはそれぞれ考え方があり、私はそれを尊重する。私の考えは、第一に、いまは和解の時期ではない、第二に、和解は我々の側から無条件で出すべきではないというものだ。 
 
 ──どういう状況になったら「和解」を考慮するか。 
 
 私は決して急進的ではない。堅持すべき最低ラインの基礎の上で、妥協するどんな可能性についても論じるし、和解の可能性もだ。しかし、当局の次のことを見るまでは和解問題は考えられない。第一に、天安門事件犠牲者への賠償、第二に亡命者の帰国、第三に、天安門事件関連で投獄されたすべての人を釈放すること。 
 
 ──戴晴氏が「和解」を提示したことについてどう思うか。 
 
 戴晴女史の話について、私は彼女の立場を尊重する。しかし、指摘したいのは、戴晴氏が言ったのは白黒双方の声だけであって、双方とも真相を話すことが許されていない。これは実情と合っていない。1989年6月4日のことにはさまざまな見方が公表された。論調もたくさんある。一方、権力を持っていなかった学生側が、どうやって他人の口をふさげる? 人の口に戸を立てることなんかできない。20年来、民主化運動はずっと語られてきた。あることについて、語りたくない人もいれば、語りたい人もいる。語りたくない人に語ることを強制はできない。 
 政府はこのことについて真相を語らせようとしていない。政府には人の口を封じる権力がある。SARSの英雄、蒋彦永医師(訳注:中国政府がSARS感染を隠蔽している事実をアメリカのメディアを通じて明らかにした人物。天安門事件の再評価を求めた)のような人まで拘束した。戴女史は表面上は中立だが、実際、その「客観」そのものが不公平だ。 
 
 ──アメリカ亡命の十数年間で、あなたがなした最大のことは何か。 
 
 この何年か、自分でできた最大のこというと、天安門事件という民族の記憶を消さないよう努力したことだ。自分の言論を公開し、講演して歩いた。それはすべてこの目的のため。人が私の立場を認めようと認めまいと、この過去だけは認めてくれる。 
 政府が20年来なんとかして消そうとしてきた。これは政権を担う党としてはあるまじきこと、人民に対しても無責任だ。20年来、人民から知る権利を奪い、あるいは騙してきた。当時の運動をどう評価するかどうかに関係なく、この歴史を隠蔽しようとするやり方は受け入れられない。 
 
 ──海外の民主化運動の環境はきびしくなっているようだが、続ける自信はあるか。 
 
 民主化運動はきびしい状勢にあるのかもしれない。しかし、民族には理想を持ち続ける人が必要だ。そうした人は、状勢がよい時期にだけ出るものではない。状勢が悪いからこそ堅持していかれるのだ。現在の中国ではほとんどの人は傍観するだけで、理想を持とうという人はごくわずかだ。私は後者の一人。まわりの環境がどうか、運動そのものの是非がどうか、それはすべて外のことだ。 
 私にとって、理想を持ち続けることは人格としての計画であって、目的が達せられるかどうかは必ずしも重要ではない。最も重要なのは、自分の良心に恥じることがないかどうかだ。この一点だけ堅持すれば、環境がきびしいかどうかは関係ない。たとえ、環境が外界に思われているほどきびしくないとしても、我が身をもって経験したことが教えてくれる、沈黙する中国人のほとんどは民主を求めていると。この自信さえあれば、失望することもない。 
 
 ──個人として今後はどうするか。 
 
 私個人は、卒業後、オックスフォードに半年進み、4月には終了する。そのあと就職の問題に直面するが、もともと民主運動で食べていくつもりはないので、自分の専門で仕事を見つけ、生活の心配をなくしたい。もちろん、適当な仕事を見つけることはものすごくたいへんだ。だけど、がんばって探す。 
 
 ──香港で仕事をするつもりはあるか。 
 
 もちろん香港でなら喜んで仕事をしたい。しかし、いまそういう条件がない。中共はパスポートの延長をしないから、香港には行かれない。仕事はもちろんできない。 
 
原文=「亜洲週刊」09/4/5 紀碩鳴記者 
翻訳=納村公子 


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