2009年05月03日10時22分掲載
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戦争を知らない世代へ
憲法施行62年:日本は平和の使徒に徹すべし 我が人生、終末期を迎えて遺す言葉
大正九年生まれの私は今年八十九歳になる。既に中学同期生三百余名中、生存者は十人前後となった。同世代男子が異常に少ないのは戦争の後遺症である。四分の一以上が戦争の犠牲になった。彼等は避けることの出来ない国家権力によって生きる権利を奪われた。運命は選ぶことが出来ない。軍国少年であった私は十九歳で志願して日中戦争に従軍し、七年後に生還したが、勉学を志して一流大学に進んだ優秀な同期生の多くは、非情にも国家権力によって戦争末期、フィリピンの激戦場に送られ人生を断たれてしまった。その無念は如何ばかりであろうか。(中谷孝)
戦争を体験した世代は既に大半、世を去り、高度成長以後に育った現代人との意識のギャップを感じることも多い。戦後間も無く新憲法を見て、それが占領軍の指導のもとに作られたと知っても、日本の未来に希望を与えるものであることに感激した。これで日本の進路は決まったと安堵したのは当然であった。
然し乍ら近年、戦争を知らぬ世代の日本人の間に、国防軍備の必要が論じられ、次第に国連軍参加を求める声も聞かれるようになった。国際貢献の一環として軍事力参加も必要と云う論理である。正義の為に武器を執ることの正当性はもっともらしく聞こえるが、既に外敵侵入阻止のレベルをはるかに超えるレベルの戦力を有する自衛隊を保持する日本が一旦海外に派兵すれば予想外の事態に進展する危険を孕んでいるのは当然である。
如何に国連の要請と云う形式をとったとしてもにほんは自衛隊を海外に派遣してはならない。たとえ如何なる外部圧力を受けても憲法を枉(ま)げることはゆるされることではない。
嘗て暴支膺懲、鬼畜米英、八紘一宇と標語を変え乍ら突き進んだ私達の若き日、アジアの国々に莫大な損害を与えたことを忘れてはならない。表向きの発表とは裏腹に日本軍は破壊殺りくに終始した。その反省から自覚した軍国主義の恐ろしさである。我々は如何なる理由が有ろうとも軍事力に頼ってはならない。あくまで日本は平和の使徒に徹するべきである。
私は若き日、貴重な七年間を戦場に臨み、敗戦の結果その過ちに驚いた。以後ひたすら勤労の生活を送り、今人生の終末期に達し、日本が再び大きな過ちを犯すことのないことを願うのみである。
祖国日本の平和を守ることが出来るのは軍事力ではない。平和を貫く信念であり、そして人類愛である。今この勇気を持つことにより自らの平穏も保たれる。
此の老人の声が果たして日本社会に通じるであろうか。
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