2009年05月29日15時28分掲載
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社会
難病問題の取り組むNGOが臓器移植法改正で緊急声明 「弱者の生きる権利を脅かさないでください」
5月27日から衆議院・厚生労働委員会で審議が開始された臓器移植法改正案について、障害者問題に取り組む二つの社会団体・NGOが緊急声明を発表した。自らの生命のあり方に意思表示ができない、あるいは困難な人たちの生存権を問う声明であり、生命の重さを訴えている。「コミュニケーションをするすべを失ってしまった人がいる。しかし、本人は生きている。周りの人が本人の意思を汲み取ることができなくても、意思のある生きている人間であり、死体ではない」と声明は訴え、「このような状態にある仲間達(事前の意思表示なく、突然そういった状態になった人も含め)に、第三者の指示や、脳死の基準、死体であるかどうかの判定を行い、生きる権利を脅かすことがないようにしてください」と問いかけている。以下、二つの声明を紹介する。ひとつは難病をもつ人の地域自立生活を確立する会(山本創代表)、もうひとつは特定非営利活動法人・障害者インターナショナル(DPI)日本会議(三澤了議長)の声明である。(日刊ベリタ編集部)
《脳死基準や判定、第三者の指示により、意思表示できない人の生きる権利を脅かさないで下さい》
2009年5月28日 難病をもつ人の地域自立生活を確立する会
私達はどんな難病、どんな重度の障害があっても自分の望む地域で生活ができ、生きていくことができるように当事者同志が集まり、活動している団体です。難病の中には、呼吸器障害、筋肉や神経などの病気の進行が早く、人工呼吸器をつけながら地域生活する人、目のかすかな動き、体のわずかな微動等でコミュニケーションをとる仲間がいます。進行がすすめば、トータル・ロックトインといった、本人からコミュニケーションをするすべを失ってしまう人もいます。
しかし、本人は生きています。周りの人が本人の意思を汲み取ることができなくても、意思のある生きている人間です 。死体ではありません。
このような状態にある仲間達(事前の意思表示なく、突然そういった状態になった人も含め)に、第三者の指示や、脳死の基準、死体であるかどうかの判定を行い、生きる権利を脅かすことがないようにしてください。介護や生活の過酷さから、家族と本人(子供も含む)の意思が相反すことはよくあり、無理心中などの事件も後を絶ちません。障害者権利条約の趣旨にそった、本人の立場にたった権利擁護は日本でも急務です。その瞬間に本当は生きたいと思っている人が、生きている状態であるにもかかわらず、命を救うべき医療の現場で、医師の手によって命を奪われることは、たとえ数%の確立でもあってはなりません。つきましては、下記の要望いたします。
1、お互いが生きる道からの議論、対策を医療機器や再生医療等の開発に国の予算を大幅にとり、治療研究、対策を積極的に進めるといった、まずは他人の死を前提としない、お互いが生きる道から議論し、進めてください。厳しい立場に置かれている両当事者の対立構造を解消すべきです。論議すべき順序を逆転し、安易な結論を国会がせまることがないように、丁寧に、慎重に議論してください。
2、意思表示できない(していない人)の生きる権利を侵害しないでください。意思表示のできない人(事前に臓器提供等の意思表示をしていなかった人も含む)に、脳死基準や判定、第三者の指示をおしつけ、生きる権利を脅かすような法改正はしないでください。
3、子どもや意思表示の難しい人の「生死」を親や家族が決めないでください。 親や家族であっても、本人にかわって「生死」は決められません。介護や生活の困難さから、本人の意思と異なる選択をした例は後を絶ちません。選択は、その時々の社会の環境整備しだいで変わってきます。
4、生きたい人の命が奪われることがあってはなりません。
本人の意思もその時々、環境により変遷します。事前に臓器提供するとしていても、その場になり意思が変わる人もいます。本人からのコミュニケーション手段を失った場合であっても、本当は生きたいと思っている等の意思確認を、死の瞬間まで丁寧に模索すべきです。起こりうる事件等の検証もないまま結論を急ぐことがないように、丁寧に、慎重に審議してください。
《臓器移植法「改正」に反対する緊急声明》
2009年5月28日 特定非営利活動法人 障害者インターナショナル(DPI)日本会議
DPI(障害者インターナショナル)は、「われら自身の声」を掲げて、障害当事者主体の活動を進めている国際組織として、国連にも認められているNGO組織である。私たちDPI日本会議は、その国内組織として、1986年の結成以降、障害者の人権と地域での自立生活の確立を目指して活動を続けてきた。この間、国際的には国連・障害者権利条約の策定には力を注ぎ、国内的には「障害者自立支援法」やバリアフリー法等への取り組みを進めてきた。
DPI日本会議には、身体・知的・精神障害や難病等、障害種別を超えた当事者団体が結集している。特に、脳性マヒ等の全身性障害やALSなどの難病など、どんなに重い障害があっても地域で暮らせる社会を目指している。また、「障害者=あってはならない存在」とする優生思想に反対し、「優生保護法」撤廃等の動きをつくりだしてきた。
いうまでもなく、どんな障害があっても地域で暮らせる社会をつくる前提は、その生命の価値が等しく認められることである。臓器移植法の「改正」案について、昨日(5月27日)、衆議院・厚生労働委員会で審議が開始された。以下、DPI日本会議として反対の緊急声明を行うものである。
(1)「脳死」については世界の色々な実例から見ても明らかなように脳死と診断をされながら十何年も生き続けた事例や、時間が経って意識が戻り周りの人たちの声が聞こえていた等という症例まである。心臓が動き、まだ暖かい体温のある人間を「死」と決めつけ臓器を取り出すことはどうしても納得が出来ない。
「脳死」状態にある人を「人の死」と定義する時、「回復しても障害が残る」等の障害者の命を軽視する価値観が潜んでいるのではないかとの疑念が生じる。
生きる可能性を尊重される命と、生きる可能性を全否定される命を選別することは、紛れもない優生思想であり、障害者の人権尊重の立場からは到底認められない。
(2)特に今回の改正の動きは、WHOでの外国渡航による臓器移植制限の動きを背景にして、ドナーの年齢引き下げや「脳死」の定義拡大を図るためのものであり、私たちとしては容認できない。
これまで障害者は「自らの意志をもたない」との偏見のもとに長い間おかれ、その主体的な意志を無視され続けてきた歴史がある。また、重度障害があるために、時には自らの意志を伝達することが、障害のない者の「通常」の方法では困難な状況になることもありうる、そうした立場から、私たちは大きな恐怖すら感じざるを得ない。
特に、最近の福祉・医療の財政抑制が続いてきている日本の社会状況を前にする時、私たちの命が軽く見られ、何時、治療停止や一方的に「ドナー」にされるか分からない時代が到来する、その予兆として懸念するものである。
(3)今求められているのは、「他人の死」を前提にするのではなく、どんなに重度の障害や難病等があっても生き抜いていけるための適切な医療を確保することである。また、「障害=不幸」との差別意識の根深さの背景には、社会的な支援体制の欠如がある。どんな障害があっても、一人の人間として自立して当たり前に地域で暮らせる介護等福祉サービスの充実を進めていくことが必要である。
(4)国連では2006年12月に障害者権利条約が採択され、2008年5月に正式発効している。わが国においても、その批准に向けた国内法の整備が火急の課題となってきている。障害者権利条約の基本精神は、「私たち抜きに、私たちのことを決めないで!(Nothing About Us, Without Us!)」である。
そうした点からも、私たち障害当事者の人間の命の平等性を守る立場からの意見を十分ふまえた上での対応を強く求めるものである。
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