2009年06月28日19時05分掲載  無料記事
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仏教を生かす日本の変革構想 人生の四苦をどこまで癒せるか 安原和雄

  私は先日、「仏教を生かす日本変革構想 ― 〈四苦〉緩和への必要条件」と題して講話する機会があった。仏教経済思想の視点に立って日本の政治、経済、社会をどう変革すべきかを述べたもので、変革構想の主な柱は、(1)平和憲法と仏教経済思想、(2)簡素な持続型社会をめざして、(3)非暴力(=平和)の世界を求めて ― である。 
 これらの変革構想が多くの人々の努力で実現すれば、「この世に生まれてきてよかったなあー」といえるだけの現世をつくることはできる。だから現状の変革はどうしても必要だが、釈尊が説いた「人生の四苦=生老病死」を変革によってどこまで癒すことができるか、そこが一人ひとりに遺された切実なテーマであることも指摘した。 
 
 私の講話は、東京・小金井市の高齢者の集い、「クリスタル」(森田萬之助会長)で行った。「クリスタル」は同市公民館主催の「シルバー大学」講座受講者の有志が「親睦と学習・意見交換を通じて自らを高め相互のコミュニケーションを深め合うこと」を目的に1996年に発足した。この学習会は今回の私の講話で230回を数える。 
 
 講話の内容は以下の柱からなっており、その概略を紹介する。 
▽仏教経済学の特質 ― 八つの柱と菩薩の精神 
▽日本の変革構想(1)― 平和憲法と仏教経済思想 
*石橋湛山が憲法9条の平和思想を絶賛 
*21世紀版「奴隷解放宣言」が必要 
▽日本の変革構想(2)― 簡素な持続型社会をめざして 
*経済成長主義よ、さようなら 
*病人を減らし、健康人を増やす医療・教育・社会改革 
▽日本の変革構想(3)― 非暴力(=平和)の世界を求めて 
*自衛隊を非武装の「地球救援隊」(仮称)へ全面改組すること 
*地球救援隊構想の概要 ― 非武装・「人道ヘリ」の大量保有を 
▽変革プランの実現は人生の「四苦」を癒せるか ? 
*「この世に生まれてきてよかったなあー」・・・ 
 
▽仏教経済学の特質 ― 八つの柱と菩薩の精神 
 
 まず仏教経済学の特質は以下の諸点である。 
・一般の大学経済学部で教えられている現代経済学(新自由主義経済論など)への批判から出発している。 
・仏教経済学は信仰に基づくものではなく、真理の追究であり、その実践である。 
 釈尊(仏教の開祖)は実在の人物であり、神ではない。キリスト教、イスラム教などが絶対神を想定して崇めるのとは本質的に異なる。仏教経済学は仏教思想を応用する実践学で、社会科学の新しい分野を切り開く思想である。 
 例えば仏教の説く「縁起論=空観」、すなわち(イ)諸行無常(万物流転=すべてのものは変化し、移り変わること)と(ロ)諸法無我(相互依存=宇宙をはじめ、地球、自然、人間、政治、経済、社会さらに様々な事物などすべては独自に存在しているのではなく、相互依存関係のもとでのみ存在していること)は、信仰ではなく、客観的な真理である。 
・既存の現代経済学と違って、教科書が完成しているわけではない。ここでは私(安原)が構想する「仏教経済学・政策論」(骨子)を提示したい。 
 
 仏教経済学の八つの柱(キーワード)はつぎの通り。 
一)いのち尊重(人間は自然の一員) 
二)非暴力(平和) 
三)知足(欲望の自制、「これで十分」) 
四)共生(いのちの相互依存) 
五)簡素(美、節約、非暴力) 
六)利他(慈悲、自利利他円満) 
七)持続性(持続可能な「発展」) 
八)多様性(多様な自然、人間、社会、文化と個性) 
 
 ここでは八つ(漢数字の八は末広がりを意味しているので、あえて八を使っている)の柱のうちの「いのち尊重」と「利他」に限って若干の説明を加える。 
・いのち尊重=現代経済学(いのち尊重という観念はない)とは異質であり、ここが仏教経済学の最大の特色でもある。人間と自然(動植物など)のいのちは平等対等であり、人間だけが特別上位にあるとは考えない。人間は自然の一員ととらえる。 
・利他=「世のため人のため」の行動が回り回って自分のためにもなるという思想で、仏教経済学はこの利他主義的人間像を前提にして組み立てる。一方、現代経済学は私利、すなわち自分さえよければいいという利己主義的人間像を想定している。 
・仏教経済学のいのち尊重と利他は、非暴力、知足、共生、簡素、持続性、多様性につながっていく。一方、現代経済学はいのち無視、私利重視であり、非暴力ではなく暴力(戦争など多様な暴力)、知足ではなく貪欲、共生ではなく孤立、簡素ではなく浪費、持続性ではなく非持続性、多様性ではなく画一性をそれぞれ特質とする。 
(くわしい説明は08年10月13日付のブログ「安原和雄の仏教経済塾」に掲載の「仏教経済学と八つのキーワード」=これは「仏教経済学・原論」に相当=を参照) 
 
 仏教思想にも深い理解を示したイギリスの歴史家、アーノルド・J・トインビー(1889〜1975年)は、「21世紀に要請される人間像は、大乗仏教で説く菩薩の精神を持った人間」、つまり「慈悲と利他」を実践する人間だと言っている。 
 
▽日本の変革構想(1)― 平和憲法と仏教経済思想 
 
 21世紀は、地球環境保全を優先する地球環境時代であり、持続型社会、すなわち持続的発展を基調とする社会を創ること、同時に非暴力(=平和)の世界を構築していくこと ― が緊急の課題となっている。 
 仏教経済学の視点では、上記の課題を達成するための変革構想は、現下の「貪欲社会」、すなわち「暴力社会」から「非暴力・知足・共生社会」、すなわち「平和社会」へと転換していくこと。そのためには平和憲法に盛り込まれている以下の6項目の理念を生かす変革プランが求められる。 
 
憲法前文の平和的共存権 
9条「戦争放棄、軍備及び交戦権の否認」 
13条「個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重」 
18条「奴隷的拘束及び苦役からの自由」 
25条「生存権、国の生存権保障義務」 
27条「労働の権利・義務、労働条件の基準、児童酷使の禁止」 
 
*石橋湛山が憲法9条の平和思想を絶賛 
 
 特に前文の平和的共存権と9条「戦争放棄、軍備及び交戦権の否認」の平和理念は仏教の平和思想の反映ともいえる。 
 1946年3月幣原内閣が「マッカーサー草案」(2月)をもとに練り直し、公表した「憲法改正案要綱」の9条について日蓮宗の仏教者、石橋湛山(注)は、当時つぎのように述べて、9条を絶賛している。 
 
 独立国たるいかなる国もいまだかつて夢想したこともない大胆至極に決定だ。この一条を読んで、痛快きわまりなく感じた。我が国民が「全力を挙げてこの高邁なる目的を達成せんことを誓う」ならもはや日本は敗戦国ではない、栄誉に輝く世界平和の一等国に転ずる。これに勝った痛快事があろうか ― と。 
(注)石橋湛山=1884〜1973年。日蓮宗の仏教哲学と欧米の自由主義思想を背骨とするジャーナリストの大先達。1956年12月首相の座につくが、わずか2か月間で、病のため首相の座を去った「悲劇の宰相」として知られる。 
 
 もう一つ、「9条の会」(憲法9条の改悪に反対する自主的な会で、その数は全国ですでに7000を超えている)に多くのお坊さんたちが参加している事実も指摘しておきたい。 
 
*21世紀版「奴隷解放宣言」が必要 
 
 上記の6項目すべてに説明を加えるのは割愛して、ここでは18条「奴隷的拘束及び苦役からの自由」について説明しておきたい。 
 18条全文は「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。また犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」 
 
 本条は「奴隷制または自由意思によらない苦役」を禁止するアメリカ合衆国憲法修正条項をモデルとして制定されたとされる。 
 ここでの「奴隷的拘束」(英文ではbondage)とは、「自由な人格を否定する程度に人間の身体的自由を束縛すること」、「苦役」とは、「強制労働のように苦痛を伴う労役」を意味している。 
 特に憲法で「奴隷的拘束」という文言を明記したこの条項をどれだけの人が自覚して認識しているだろうか。 
 新自由主義経済路線の下では長時間労働、サービス残業で酷使され、一方新自由主義破綻に伴う大不況とともに、大量の解雇者が続出する現状では奴隷同然、人権無視の扱われ方というほかないだろう。サラリーマンの場合、企業内で自由な批判的意見を表明することは歓迎されない現実がある。この18条の含意を玩味して尊重し、「奴隷的拘束からの自由」の精神を身につけなければ、何よりもわが身を守ることができないだろう。日本の現状では21世紀版「奴隷解放宣言」が必要ともいえるのではないか。 
 
▽日本の変革構想(2)― 簡素な持続型社会をめざして 
 
 現代経済学は経済成長主義に今なお執着している。この「成長」には、石油などエネルギーの浪費が必要であり、アメリカのブッシュ前政権が2003年イラク攻撃に踏み込んだ狙いの一つは石油確保であった。 
 日本の自民・公明政権が自衛隊によるインド洋での米国艦船などへの給油に執着しているのも、また東アフリカのソマリヤ沖海上へ海賊対策の名の下に海上自衛隊を派兵しているのも、中東石油(日本の石油消費量の9割を依存)の確保につながっている。戦争を肯定し、石油をがぶ飲みするような「貪欲社会」に別れを告げるのが持続型社会とシンプルエコノミー(簡素な経済)をめざす変革プランである。 
 
 具体的な変革プランの主要な柱はつぎの通り。 
イ)経済成長主義よ、さようなら 
ロ)循環型社会づくり 
ハ)自然エネルギー活用型へ 
ニ)クルマ社会の構造変革 
ホ)ワークシェアリングの導入 
ヘ)「食と農」の再生と食料自給率の向上 
ト)病人を減らし、健康人を増やす医療・教育・社会改革 
 ここではイ)経済成長主義よ、さようなら、ト)病人を減らし、健康人を増やす医療・教育・社会改革 ― に絞って以下に概略紹介する。 
 
*経済成長主義よ、さようなら 
 
 経済成長とは経済の量的拡大を意味しているにすぎない。1960年代までのモノ不足の時代には経済成長も必要であった。また経済成長が必要な発展途上国は多い。しかしわが国のGDP(国内総生産)はすでに約500兆円で、米国(約1000兆円)に次ぐ世界第2の巨大な規模で、成熟経済の域に達している。 
 人間でいえば、熟年で、これ以上体重を増やす必要はない。むしろスリムになった方が健康によいし、なによりも人格、智慧を磨くべき熟年である。 
 21世紀の日本経済に必要なのは、量的拡大を目指す経済成長主義ではなく、環境も含む生活の質的充実である。 
 経済成長を万能と考える時代はとっくに終わり、脱「成長主義」の時代に入っている。にもかかわらず現実には政治家も企業経営者もサラリーマンたちも、その多くが今なお経済成長主義にこだわっている。有り体に言えば、「経済成長=豊かさ」という錯覚の奴隷となっている。 
 
 米国ワールドウオッチ研究所編『地球白書二〇〇八〜〇九』はつぎのように指摘している。 
 時代遅れの教義は「成長が経済の主目標でなくてはならない」ということである。経済成長は自然資本(森林、大気、地下水、淡水、水産資源など自然資源のこと。人工資本=工場、機械、金融などの対概念として使われる)に対する明らかな脅威であるにもかかわらず、依然として基本的な現実的命題である。それは急増する人口と消費主導型の経済が、成長を不可欠なものと考えさせてきたからである。しかし成長(経済の拡大)は必ずしも発展(経済の改善)と一致しない。一九〇〇年から二〇〇〇年までに一人当たりの世界総生産はほぼ五倍に拡大したが、それは人類史上最悪の環境劣化を引き起こし、(中略)大量の貧困を伴った ― と。 
 
*病人を減らし、健康人を増やす医療・教育・社会改革 
 
 政府主導の医療改革は国が負担する医療費の削減が目的で、その結果、患者負担が増大する一方、病人はむしろ増えている。病人を減らし、健康人を増やすためには従来の薬・検査漬けの治療型医療から食事・暮らしのあり方の改善を含む予防型医療への転換が急務である。 
 
 そこで以下の医療・教育・社会改革案を提起したい。 
・70歳以上の高齢者の医療費は、原則無料とする。高齢者の前・後期の差別を廃止する。 
・健保本人の自己負担は1〜2割に引き下げるが、糖尿病など生活習慣病は、自己責任の原則に立って自己負担を5割に引き上げる。この引き上げには最低2年間の猶予期間をおく。 
〈データ〉糖尿病患者は07年現在2210万人。20歳以上では3人に1人の割合となっている。なお遺伝子型の糖尿病に苦しむ人々には自己責任の原則を適用すべきではないので適切な配慮が必要である。 
 
・一年間に一度も医者にかからなかった者には、健康奨励賞として医療保険料の一部返還請求の権利を認める制度を新設する。「健康に努力した者が報われる社会」づくりの一つの柱として位置づける。 
・「いのちと食と健康」の密接な相互関連について小学校時代から教育する。 
食事の前に「いただきます」を唱えるのがかつては普通だったが、今は少ない。「いただきます」は「動植物のいのちをいただいて、自分のいのちをつないでいる」ことへの感謝の心を表す言葉である。こういう意識が小学生の頃から社会に浸透すれば、いのちを尊重する風潮が広がり、犯罪も減るのではないか。 
 
▽日本の変革構想(3)― 非暴力(=平和)の世界を求めて 
 
 第一回地球サミット(1992年)で採択した「リオ宣言」は「戦争は持続可能な発展を破壊する。平和、発展、環境保全は相互依存的であり、切り離すことはできない」とうたっている。これは地球環境保全のためには平和こそ不可欠であり、軍事力は有害であるという認識を示しているものと読みとることができる。 
このリオ宣言の精神を生かして非暴力(=平和)の世界をつくるうえで日本が貢献するためには何が求められるか。 
 
*自衛隊を非武装の「地球救援隊」(仮称)へ全面改組すること 
 
 私は自衛隊を非武装の「地球救援隊」へ全面改組することを提案したい。 
 日米安保=軍事同盟は、憲法の「戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認」という平和理念と矛盾しているだけではない。日米安保体制を「平和の砦」とみるのは錯覚であり、むしろ平和=非暴力に反する軍事力を盾にした暴力装置というべきである。だから日米安保体制=軍事同盟は解体すべきであり、それこそが平和への道である。 
 しかもいのち・自然を尊重し、多様ないのちの共生を希求する仏教思想から導き出される日本の政策選択が自衛隊の全面改組による非武装の「地球救援隊」創設である。このような地球救援隊の意義は何か。 
 
 第一は今日の多様な非軍事的脅威に対応すること。 
 脅威をいのち、自然、日常の暮らしへの脅威ととらえれば、主要な脅威は、地球生命共同体に対する汚染・破壊、つまり非軍事的脅威である。非軍事的脅威は地球温暖化、異常気象、大災害、疾病、貧困、社会的不公正・差別など多様で、これら非軍事的脅威は戦闘機やミサイルによっては防護できないことは指摘するまでもない。もちろん軍事力の直接行使は地球、自然、人命、暮らしへの破壊行為である。 
 第二は巨大な浪費である軍事費を平和活用すること。 
世界の軍事費は総計年間1兆ドル(約100兆円)超の巨額に上っており、限られた財政資金の配分としては不適切であり、巨大な浪費である。この軍事費のかなりの部分を非軍事的脅威への対策費として平和活用すれば、大きな効果が期待できる。 
 
 以上から今日の地球環境時代には軍事力はもはや有効ではなく、むしろ世界に脅威を与えることによって「百害あって一利なし」である。武力に依存しない対応策、すなわち地球の生命共同体としてのいのちをいかに生かすかを時代が求めているというべきであり、そこから登場してくるのが非武装の地球救援隊構想である。 
 
*地球救援隊構想の概要 ― 非武装・「人道ヘリ」の大量保有を 
 
 地球救援隊構想の概要(理念、目標、達成手段)は次の諸点からなっている。 
・地球のいのち・自然を守り、生かすために平和憲法9条の理念(戦争放棄、軍備及び交戦権の否認)を具体化する構想であること。 
・地球救援隊の目的は軍事的脅威に対応するものではなく、非軍事的な脅威(大規模災害、感染症などの疾病、不衛生、貧困、劣悪な生活インフラなど)に対する人道的救助・支援さらに復興・再生をめざすこと。 
・活動範囲は内外を問わず、地球規模であること。特に海外の場合、国連主導の国際的な人道的救助・支援の一翼を担うこと。 
 
・自衛隊の全面改組を前提とする構想だから、自衛隊の装備、予算、人員、教育、訓練などの根本的な質の改革を進めること。 
 具体的には兵器類を廃止し、人道救助・支援に必要なヘリコプター、輸送航空機、輸送船、食料、医薬品、建設資材などに切り替える。特に台風、地震、津波など大規模災害では陸路交通網が寸断されるため、空路による救助・支援が不可欠となる。それに備えて非武装の「人道ヘリコプター」を大量保有する。 
 特に教育は重要で、利他精神の涵養、人権尊重に重点を置き、「いのち尊重と共生」を軸に据える新しい安全保障を誇りをもって担える人材を育成する。 
 
▽変革プランの実現は人生の「四苦」を癒せるか ? 
 
 釈尊は「人生は苦なり」と説いた。苦とは仏教では「四苦八苦」を指しているが、ここでは四苦〈=生(生まれること)、老、病、死〉について考える。 
 念のため指摘すれば、「苦」を「苦しみ」、というよりも「思い通りにはならないこと」と理解する方が分かりやすい。生老病死にしても何一つ思い通りにはならない。例えば自分の意志でこの世に生を享けた者は誰一人存在しない。老病死にしても、拒否したいと思っても、いつの日かは人それぞれであるにしても、必ずわが身に迫ってくる。 
 
 問題は仏教経済思想による日本の変革構想が四苦の解決にどの程度貢献できるのかである。結論からいえば、変革構想がそのまま実現したとしても、四苦が全面的に解決できるという性質のものではない。いいかえれば四苦を癒すうえで必要条件ではあるが、決して十分条件にはなりえない。 
 
 変革構想の実現は、私が提唱する仏教経済学の八つのキーワード(いのち尊重、非暴力、知足、共生、簡素、利他、持続性、多様性)の現世における実現を意味する。地球規模で混乱、破壊、殺戮が広がっている現状からみれば、いのち尊重、非暴力がそれなりに定着する未来社会ではそれぞれの人生は安穏、幸せに向けて質的な変化が生じるだろう。 
 貪欲(あるいは強欲)な資本主義的市場経済や貪欲な生き方が、2008年秋の世界金融危機、世界大不況の発生による新自由主義路線(私利追求を第一とし、弱肉強食の競争を強要)の破綻を境にして知足、すなわち「足るを知る」経済、生き方に変化し、それが広がっていくことを時代は求めている。 
 そういう社会では共生、簡素、持続性、多様性を尊重し、それを経済、日常の暮らしの中に生かしていくことも期待できる。貪欲な私利追求ではなく、利他、すなわち「世のため人のために」をモットーにして生きていく人、利他こそが結局は自分の幸せ、人生の充実感をもたらしてくれると思い直す人も増えてくる。 
 
*「この世に生まれてきてよかったなあー」 
 
 こういう世の中になれば、「この世に生まれてきてよかったなあー」と感謝せずにはいられない人が増えることは間違いないだろう。こうして仏教経済学がめざす「現世での幸せ」に大きく歩み寄ることはできる。しかし四苦の生老病死のなかの老病死はどこまでも思い通りにはなりにくい。 
 それを承知の上でやはり仏教経済思想を生かす変革を進めなければならない。昨今の現世は地獄そのままの様相を呈しているからである。変革に精進を重ねるのが大乗仏教でいうところの利他の実践であり、衆生済度(しゅじょうさいど・人間に限らず、いのちあるもの一切の救済)への努力にほかならない。 
 
 ここで明恵上人(みょうえしょうにん・1173〜1232年、鎌倉時代初期の名僧、京都市の栂尾で高山寺を再興)の臨命終(りんみょうじゅう)説法に触れておきたい。これは今の一瞬一瞬がわが命が終わるときだと思って真剣に生きなさい、という教えである。臨命終に精進を重ねていれば、死も平常心で迎えることができると説いた。 
 
〈ご参考〉今回の仏教経済学講話の「仏教を生かす日本変革構想」と昨(08)年10月13日付でブログ「安原和雄の仏教経済塾」に掲載されている講話「仏教経済学と八つのキーワード」の下敷きになっているのが、以下の論文である。 
*「二十一世紀と仏教経済学と(下)― 仏教生かす日本変革構想」(駒澤大学仏教経済研究所編『仏教経済研究』第38号、09年5月刊) 
*「二十一世紀と仏教経済学と(上)― いのち・非暴力・知足を軸に」(同上『仏教経済研究』第37号、08年5月刊) 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/ 


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