2009年07月16日12時36分掲載
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検証・メディア
多極化時代を迎えたサミットの課題 温暖化防止、核廃絶、反グローバリズム 安原和雄
イタリアで開かれた09年サミット(主要国首脳会議)が残した課題は何か。世界の多極化とともにサミット自体も大きく変質した。なによりも従来の先進国G8が主導する時代は終わったことを印象づけた。肝心の地球温暖化防止の長期目標では参加国の足並みが揃わず、今年末のコペンハーゲン会議に持ち越された。一方、世界の核廃絶へ向けて大きな一歩を踏み出すことで一致した。楽観はできないが、将来に希望を抱かせる。サミットで採択された共同宣言には例年のようにグローバリズム推進の旗が高く掲げられているが、反グローバリズムの根強い動きにも注目しなければならない。多極化時代の到来は、大国による覇権主義、単独行動主義の終わりをも告げている。
▽新聞社説はラクイラ・サミットをどう論じたか
09年7月8日から10日までの3日間、イタリアのラクイラで開かれた地球サミットについて新聞社説はどう論じたか。まず5紙の主なサミット社説の見出しを紹介する。
*朝日新聞社説
11日=ラクイラG8 世界の変化まざまざと
10日=G8核声明 廃絶へ、歴史動かそう
*毎日新聞社説
11日=温暖化対策 「2度以内」の道筋作ろう。サミット 無用論退ける「首脳力」を ― の2本社説
10日=G8サミット 核廃絶へ日米の連携を。G8サミット 麻生外交 成果少なく ― の2本社説
*読売新聞社説
11日=地球温暖化交渉 先進国と新興国との深い溝
10日=G8経済宣言 世界景気の回復は道半ば
*日本経済新聞社説
11日=温暖化交渉の外堀を埋めたサミット
10日=G8だけでは引っ張れない世界の現実
*東京新聞社説
10日=温暖化対策 2度上昇に抑えるには
9日=サミット 新興国への対応が鍵に
さて肝心の地球温暖化防止策についてはどこまで合意できたのか。その骨子は以下の通り。
(1)G8首脳宣言では「気温上昇を産業革命前に比べ2度以内に抑えるべきだ」と「温室効果ガス排出を先進国全体で2050年までに80%以上削減する」との長期目標で合意。
(2)しかし主要経済国フォーラム(MEF)では「2度以内に抑える」ことでは一致したが、長期目標では一致できなかった。この関連で世界全体の排出を「50年までに相当量削減」する世界全体の目標を設定するため、09年12月のコペンハーゲン会議(COP15=国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議)までに取り組む。
以上から主要経済国として具体的にどう削減していくか、その目標については12月のコペンハーゲン会議が注目される。
▽日米欧8カ国(G8)が主役の時代は過去のものとなった
各紙社説の論調から浮かび上がってくるサミットの特色は、従来世界のリーダー役を果たしてきた日米欧8カ国が主役として世界を引っ張っていく時代はもはや過去のものとなったという冷厳な現実である。
朝日新聞は「世界の変化まざまざと」(7月11日付)と題して次のように書いた。
米欧日が合意すれば世界がついてくる時代ではない。ラクイラ・サミットは、そんな多極化時代のG8の限界をまざまざと示した。(中略)
温暖化問題ではG8と平行して開いた主要経済国フォーラム(MEF)が注目された。「先進国が50年までに温暖化ガスを80%以上削減する」とのG8合意をもとに、中国やインドなどに「50年までに全世界で半減」への同意を求めた。だが、反発されて「相当量削減する」との表現にとどまり、この点でも今後に宿題を残した ― と。
日経新聞(7月10日付)もつぎのように指摘した。
G8が世界秩序を主導する旧来の構図が大きく変化している事実を今回のサミットはまざまざと見せつけた。
3日間の日程で本来のG8による話し合いは最初の半日にすぎない。あとは中国やインド、アフリカ諸国などを含めた拡大会合が目白押しですっかり主従関係が逆転した。
米欧はこの流れに対応し始めた。オバマ大統領は9月に米国で開く20カ国・地域(G20)の金融サミットを、温暖化などを含む、より幅広い協議に衣替えしたい意向という。
米は来年3月に30カ国程度を招き「世界核安全保障サミット」を開くと発表した。国際テロ組織への核兵器流出といった現実の脅威を念頭に置くと、中国やインド、パキスタンなどの協力も欠かせない。
ドイツのメルケル首相も「G8体制ではもはや不十分なことが明白になる」と、英国などと同様、G20重視の姿勢に転換した。日本はなお慎重だが、より多くの国々で話し合うという流れは止まらないだろう ― と。
ここでサミットの多様な枠組みの変化とその意味について説明したい。
従来主役であったG8は1975年に6カ国(日、米、英、ドイツ、フランス、イタリア)で始まり、その後、カナダ、ロシアを含めたG8に広がった。これに新興5カ国(中国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカ)と韓国、豪州、インドネシアの3カ国を加えた主要経済国フォーラム(MEF)が新たに登場してきた。さらにアルゼンチン、トルコ、サウジアラビア、欧州連合(EU)を加えた拡大会合がG20である。
先進8カ国合計の経済規模(GDP)は1992年には世界のなかで7割もあったが、現在は、世界の6割に満たない。一方、G20は世界経済の9割近くを占める。これがG8の地位が低下し、拡大G20が重みを増してきた背景である。
私(安原)自身の経験でいえば、直接取材する立場にあったのは、1978年の第4回ボン(旧西独)・サミット(日本から福田赳夫首相が参加、首相専用機で同行取材)と翌79年の第5回東京サミット(大平正芳首相)で、当時はサミットが始まって間もない頃で、世界における先進諸国の存在感も大きかった。30年前の当時からみると、今日の拡大サミットは隔世の感がある。
もう一つ、日経社説が指摘している「ドイツのメルケル首相も、英国などと同様にG20重視の姿勢に転換した。日本はなお慎重だが・・・」の含意をどう読みとるかである。各紙とも一様にわが日本国の麻生太郎首相のサミットにおける存在感が希薄だったことを伝えているが、麻生政権は時代が急速にしかも大きく変化しつつあることを認識できないためではないのか。このままでは日本だけが時代に取り残されかねないだろう。
▽核廃絶を実現していくためには核抑止力論への批判を
今回のサミットでの新しい動きは、やはり核廃絶である。毎日新聞社説(7月10日付)は「核廃絶へ日米の連携を」と題してつぎのように指摘した。
G8首脳会議は、核のない世界への条件整備に努めることで一致した。6日に米露首脳が新たな核軍縮条約の枠組みに合意したことも含めて、世界に核廃絶の機運が高まっていることを歓迎したい。(中略)
G8を構成する核保有国の米露英仏が同じ目標(核廃絶)に向けて足並みをそろえた意義は大きい。G8に属さない中国も同調してほしい ― と。
朝日新聞社説(7月10日付)も「廃絶へ、歴史動かそう」というタイトルで、「G8の指導者たちが(核軍縮を進めるための)協調を確認した意義は大きい」と歓迎している。
「歓迎」の主張は大いに評価したいが、指摘しておきたいことがある。それはこれまで各紙社説は繰り返し核不拡散を説いてきたが、核廃絶を正面から論じることは少なかったという点である。ブッシュ前米大統領時代にはその可能性がなかったためでもあるが、核拡散を防ぐためにも、米、露、英、仏、中国という核保有大国の核廃絶こそが本筋であることに変わりはない。
オバマ米大統領が「アメリカには核兵器を使った唯一の国として行動する道義的責任がある」と述べた上で、「核兵器のない平和で安全な世界を求める」宣言(09年4月)を行って以来、流れは核廃絶へ大きく変化しつつある。その流れに乗ることは決して悪いことではない。
ただ、オバマ大統領自身が核廃絶について「自分が生きている間にやりきれるかどうか分からない」とも指摘していることを見逃してはならないだろう。だからこそ被爆国日本のジャーナリズムとしては核廃絶への流れを加速させるよう努力する責任がある。
日本政府は従来から広島・長崎の平和記念式典(毎年8月)での首相挨拶のなかで核廃絶を唱えてきたが、これは建前にすぎず、現実にはアメリカの「核の傘」を前提にする核抑止力論を信奉する立場に固執している。最近外務省元次官らが「米国の核搭載艦船の日本寄港を認める日米間の密約」が存在していることを公然と語るようになっているが、その意図は何か。
密約の存在からも分かるように日本の非核3原則(核兵器を持たず、つくらず、持ち込まさず)のうち「持ち込まさず」は事実上空文化して、すでに非核2原則に変質しているわけで、この変質を公然と認めようという意図が「密約存在」発言には見え隠れしている。核廃絶を実現する条件として、こうした核抑止力論の迷妄を批判し、そこから脱出する必要がある。なぜなら核抑止力論に執着する以上、核廃絶は空疎なお題目にすぎないからである。この点でも日本ジャーナリズムの責任は大きいといわねばならない。
▽グローバリズムよりもローカリズム重視を
社説ではないが、朝日新聞(09年7月9日付)に「G8こそ災い ローマでデモ」という見出しの小さな一段記事が載った。その趣旨はつぎの通り。
地震被災地ラクイラでの主要国首脳会議(G8サミット)を控えた7日夜、反グローバリズムを訴える活動家や学生約5000人(主催者発表)がローマ中心部でデモをした。十数人が逮捕・拘束され、治安警察隊が進路を阻むなか、デモ参加者は「G8こそ地震、災いだ」などと訴えた。
社説だけでは真実が十分にはつかめないことを示す一例で、この小さな記事を見逃すわけにはゆかない。なぜデモ隊がローマの中心部で「G8こそ、災いだ」などと叫ぶことになったのか。
グローバリズムすなわち世界規模の市場開放、自由貿易の推進をうたう文言を首脳宣言などからいくつか拾い出してみると ― 。
・開放的な市場が経済成長と開発にとり、重要なことを強調し、保護主義に対抗する決意を再確認した。(G8議長総括)
・開放的な市場を維持・促進するとの約束を再確認し、貿易と投資におけるすべての保護主義的措置を拒否する。(サミット拡大会合共同宣言)
・(世界貿易機関=WTO)ドーハ・ラウンド(多角的貿易交渉)について2010年に野心的で均衡のとれた妥結を追求する。(同共同宣言)
・国際投資は成長、雇用、技術革新及び開発の主要な源泉だ。(同共同宣言)
ここで指摘されている「ドーハ・ラウンド」(農産物、鉱工業品、サービス取引の貿易自由化交渉)の交渉が始まったのは、約8年も前の01年11月のことで、これまで何度も決裂、そして交渉再開を繰り返してきた。その根っこには、農業をめぐって、一方に世界規模のグローバリズム、すなわち貿易自由化、相手国の市場開放を求める多国籍企業など大企業、他方に地域中心のローカリズム、すなわち地域経済の発展、食料と雇用の確保のために農業を守ろうとする農民など、との対立抗争がある。
日本の場合、「環境を守る豊かな水田は日本の宝」という認識も強い。水田を維持し、発展させるためには、価格の割安な農産品であれば、海外から輸入すればよいという自由貿易論を単純に受け容れるわけにはゆかない。グローバリズムに対し、ローカリズムの側から反旗をひるがえしているのが、ローマのデモ隊だったのではないか。地球環境の保全を重視する立場からは、むしろローカリズムこそが時代の先兵ともいえるだろう。ローカリズムは単純な保護主義とは異質である。大手紙の社説にこういう視点が皆無に近いのはどういうわけなのか。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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