2009年07月30日20時07分掲載
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8.30総選挙のもう一つの争点 「安心社会」をどう実現するか 安原和雄
民主党など各党が8.30総選挙を目指すマニフェスト(政権公約)を公表している。盛り沢山で、とかく焦点がぼけやすいが、有権者にとって一番気になるのは「安心社会」をどう実現していくか、ではないか。これは〈平和と暮らしを壊す「日米同盟」〉と並ぶ総選挙のもう一つの争点というべきである。
麻生太郎自民党総裁は8.30総選挙を「安心社会実現選挙」と名づけている。このスローガンが見当違いであるわけではない。しかし自民党にその実現能力を期待するのは無理ではないか。といって一方の民主党に十分な信頼を寄せてよいのかどうか。政権交代を意識するあまり、「現実的政党」として自民党ににじり寄るようでは期待薄である。望ましい「安心社会」実現へのシナリオを描いてみる。
自民党のホームページによると、麻生太郎総理(自民党総裁)は、衆院を解散した7月21日夕、総理官邸で記者会見を行い、今回の総選挙を「安心社会実現選挙」と位置づけた。「子供たちに夢、若者に希望、高齢者に安心」が目指す安心社会の姿である。同時に「景気回復後、社会保障と少子化に充てるための消費税率引き上げを」と述べた。
以下、望ましい「安心社会」実現のための必要条件を考える。
▽「成長で安心は得られぬ」は正論
毎日新聞の今松英悦・論説委員が社説の下段の「視点」(09年7月27日付)欄で「成長で安心は得られぬ」と題し論じている。これは7月24日に閣議報告された09年度経済財政白書に関連した「視点」で、なかなかの正論と評価できる。その大要を以下に紹介する。
日本が資源制約を実感することになった石油危機から35年余り、バブル崩壊からでも20年近く経過した。ともに経済のありようや成長の内容が問われた。環境制約や人口減少なども重なり、経済発展が最高段階に達している社会では量的拡大に限界があることは容易に想像できる。それにもかかわらず、日本はひたすら量的成長を追求してきた。小泉改革が「改革なくして成長なし」を旗印に、市場原理主義に基づく経済社会作りを目指したのも、企業部門の強化が国内総生産(GDP)拡大の早道と判断したからだ。
ただその顛末(てんまつ)は格差社会の定着や将来への不安増幅など惨憺(さんたん)たるものだった。ここ1、2年、国民の安全の実現や格差是正が政策課題となってきたことは当然である。
09年度経済財政白書は、今回の経済危機の背景には国際的な不均衡の拡大など外的要因と並んで、派遣労働者の解雇や雇い止めの急増、格差の拡大など国内要因があることを明確にした。
成長の中身に踏み込むべきなのだが、量的成長の魔力には勝てない。短期では景気の大幅な落ち込みをどうしていくかが課題であることは間違いない。しかしその先を展望すれば、経済社会の仕組みそのものを問題にしなければならない。09年1〜3月時点で企業内の余剰雇用は607万人と試算しているが、成長率が高まったからといって、すべては解消しない。こうしたところにこそ目配りしなければならない。
安心社会実現には、思い切った雇用対策や医療制度改革をやるしかない。今、必要なことは、大胆な歳出の組み替えとそれを支える歳入構造の構築だ。格差拡大に対しては所得再配分を大胆に実施すること、所得税を含め応能原則を回復することだ。
日本の1人当たりGDPは07年で、3万4326ドルだ。経済協力開発機構(OECD)加盟国中19位にばかり目を向けがちだが、なかなかの額なのだ。為替相場が円高に少し動けば、ドルベースの順位はすぐに上がる。量的拡大に踊らされる必要はない。
〈安原の感想〉市場原理主義を超えて
特定の論説記者の主張をわざわざくわしく紹介したのは、それが正論だというだけの理由ではない。昨今の新聞、テレビを含めたメディアにこの種の主張が少ないからである。
重要なことは、世界的危機の根因となった市場原理主義=新自由主義を強要した権力を批判する視点に立っていることである。市場原理主義をどう克服し、超えるかという視点が欠落し、単なる景気対策の枠に視野を限定した記事は今や読むに値しない。権力批判というジャーナリズムの原点を見失っているメディアが少なくない現状に私は危機感を抱いている。
▽「安心社会」を実現するには(1) ― 「経済成長」の正しい理解の共有を
ここでは「安心社会」実現のためには経済成長は必要不可欠なのかを考えたい。今なお経済成長へのこだわりがあちこちにみられる。例えば日本経済新聞(7月22日付)は企画記事「選択09衆院選 何が問われるのか」で「責任ある成長政策を」という見出しでつぎのように書いた。
次期政権は今春に続くもう一段の経済対策を念頭に置かざるを得ないだろう。それも急場をしのぐ需要追加だけでなく、成長戦略を立てて各種改革を進める必要がある。カネがカネを生む金融資本主義には限界が見えた。だが従来型の工業重視、もの作り信仰だけでは新興国の追い上げが激しい。米欧は環境・情報技術を軸とした産業革新を目指している。この潮流をどう受け止めて成長戦略を練り直すのか。このあたり、自民党政権も民主党もはっきりしない面がある ― と。
この例に限らず、一般に経済成長概念について誤解があるのではないか。技術革新に裏打ちされた産業革新、すなわち新産業の創出と経済成長とは異なっている。産業革新がそのまま経済成長につながるわけではない。
経済成長とは、GDP(国内総生産=個人消費、公共投資を含む財政支出、民間設備・住宅投資、輸出入差額など)の量的拡大を意味するにすぎない。いいかえればプラスの経済成長がそのまま暮らしの質的充実につながるわけではない。むしろ相反する場合も多い。
例えば生産の増大によって環境破壊が進めば、経済成長は実現するが、環境悪化によって生活の質は低下する。また経済成長によって雇用が保障され、貧困、格差が解決されるとは限らない。むしろあの市場原理主義=新自由主義路線の強行は、経済成長もそれなりに実現し、大企業の利益をふくらませたが、雇用の破壊と貧困・格差の増大をもたらした。このように経済成長は安心社会の実現に貢献するどころか、むしろ破壊しかねない。
かつてのモノ不足を背景とする高度経済成長時代は、日常生活に必要な新製品の普及によって成長の果実をもたらしたが、今日の成熟経済の域に達した日本経済は、もはや成長に伴って生活充実の果実を期待することはできない。経済成長への正しい理解を共有し、「経済成長こそが幸せの原点」などという幻想を棄てるときである。
▽「安心社会」を実現するには(2) ― 生活の質的充実へ転換を
日本経済の年間GDPは現在約500兆円で、米国に次いで世界第2位の巨大な経済規模となっている。もっとも近く中国に追い抜かれて第3位に下がるが、大騒ぎするようなテーマではない。いずれにしても人間で言えば、すでに熟年であり、もはや量的拡大つまり体重を増やすことが目標ではない。人間としての人格、品格、智慧を磨くときである。 同様に日本経済もむしろ「ゼロ成長、つまり500兆円の経済規模を毎年維持することで十分」と考えて、成長よりも経済や生活の質的改善・充実に専念するときである。
そのためには1980年代の中曽根政権から21世紀の小泉政権まで30年近くにわたって続いた米国主導の市場原理主義=新自由主義路線から根本的に転換する必要がある。
具体的には雇用対策、医療改革、財政・税制の思い切った組み替え、貧困・格差を是正するための所得再配分、税制面での応益負担原則(受益に応じた税負担で、所得の低い者の負担が重くなる)から本来の応能負担原則(所得や資産など能力に応じた税負担)への転換・回復 ― など。
ここでは「安心社会」実現のため、国レベルの財政・税制(歳出と歳入)の望ましい大幅な組み替えの大まかな事例を以下に挙げる。この程度の事例は、総選挙後の新しい時代を担うに足りる政党であるための必要条件にすぎない。これに満足すべきものではないことを指摘しておきたい。
〈歳入面での事例〉
*消費税は引き上げず、据え置く(自民党は「景気回復後に引き上げる」ことを公言しており、民主党も「4年間は引き上げない」として、その後の引き上げに含みを持たせている)
*大企業や資産家・金持ちへの優遇税制の廃止・見直し(応能負担原則の適用)
*温暖化防止など地球環境保全のための新政策の一つとして環境税(炭素税)の導入
〈歳出面での事例〉
*防衛費(年間約5兆円)、公共事業費(高速道路・ダムなど)の大幅な歳出削減
*「早くあの世へ往け」と言わんばかりの後期高齢者制度を廃止し、さらに高齢者と子どもの医療費無料化を図るなど年金、医療、生活保護など社会保障制度の充実
*教育、雇用・労働、中小企業などの分野の充実
*食料自給率向上、田園環境保全 ― など農業分野の充実と雇用の創出
*自然エネルギー(太陽光、風力、水力など)の開発投資の促進。従来の化石(石油・石炭など)・原子力エネルギー依存型からの大幅な転換
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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