2009年08月05日16時51分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200908051651303

戦争を知らない世代へ

“名誉の戦死”の悲惨な実態 兵士は靖国神社に祭られることを望んだのか?

  靖国神社には大東亜戦争の213万人をはじめ計250万人近い戦死者が祭られている。私達の世代は、戦場で死を恐れず勇敢に戦えば死後神になって靖国神社に祭られ、年に一度の例祭には天皇に拝んで戴けると教えられた。戦争末期、ニューギニア、ガダルカナル島等、南方戦場の死者の大半は餓死であったが全員神様になった。幸い生きのびることができた私は戦場でいわゆる“名誉の戦死”の実態を多く見たが、何れも親族に伝えることの出来ない悲惨な状態であった。当然靖国神社に祭られることを望む兵士などいる筈はなかった。(中谷孝) 
 
 明治政府は軍隊の創設と共に兵士に天皇の軍隊であると云う自覚を徹底的に教育し、天皇の名に於いて軍人勅諭を発布して、戦場で死ぬことが最高の忠義であり名誉であると教育した。又、戦場で死を恐れず勇敢に戦わせる為に靖国神話を宣伝し、国民を聖戦に駆り立てた。然し、靖国神社に戦死者を祭り、天皇が部下の霊を拝むという規定の起案に参画した明治の元勲の多くが無神論者であったと伝えられている。 
 
 戦死者の遺族の心情を憶い私は敢えて此の説を控えていたが、私自身米寿と呼ばれる齢を過ぎ残る時間も少なく、又戦争犠牲者親族も近親者は既に多くが世を去った今、不運にも戦場に散った友を憶い敢えて此処に真相を述べた次第である。 
 
 私の受けた戦前の教育で、天皇は神であると教えられた。天皇は天照大神の直系で天下を統一すべき存在であった。 
 
 大東亜戦争(太平洋戦争)の初期、南方地域に進駐した日本軍は此の戦争は八紘一宇を実現するための聖戦であると宣伝した。八紘一宇とは天皇のもとに世界を統一することを意味していた。 
 
 占領地の中で反抗が少なく最も協力的であった蘭印(現・インドネシア)のジャワ島で最初の皇民化教育が行われた。一方的に押し付ける日本の神話や八紘一宇がジャワの小学生に理解できたとは思えないが、毎朝皇居遥拝を命じて、皇民化の第一歩と自己満足に陥っていた。資源奪取の目的を糊塗する為の八紘一宇であるから、現地人が形式的に従えば満足していた。 
 
 戦場で死ねば靖国の神になると決めた明治の政治家が無神論者であった様に、占領地に神社を建てた軍人に信仰心が有ったとは思えない。中国で私の所属した隊の所在地でも在留民間人数百人の街に神社を建て、三年後の敗戦で放棄した。 
 
 指導者自身が無信仰であり乍ら惟神(かんながら)の教えを愛国心を示す道具にしたのが、ジャワ島を始めとする占領地の日本神道教育であった。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。