2009年08月31日14時00分掲載  無料記事
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政治

政権交代のなかでの社会運動の課題   武藤一羊さんに聞く 

  8月30日の総選挙は民主党の圧勝となり、政権交代が現実のものとなった。平和や人権、貧困などの諸問題に取り組む社会運動やNGOは、この状況をどう評価し、どう向き合うかが改めて問われることとなった。戦後さまざまな社会運動にかかわり、いまも国際・国内の運動の第一線で活躍、政治・経済・社会の状況に対する鋭い分析で知られる市民運動家、武藤一羊さんに今回の政権交代が持つ意味、これからの政治状況をどうみるか、それに対する社会運動側の対応などについて聞いた。武藤さんはその中で民衆の側が主体的に争点(アジェンダ)をつくりだし、運動の側に政治を引きずり込んでいくことの重要性を指摘した。。(聞き手:日刊ベリタ編集長大野和興) 
 
◆原則が見えない政治が続く 
 
−今回の政権交代をどう見ますか。 
 
「半世紀にわたる自民党支配を終わらせる局面の変化として歓迎、下からの介入の必要性と余地が拡大することは疑いないと思います」 
 
−とりあえずは歓迎ということですね。 
 
「手放しということでは決してありません。自民、民主、傾向的ちがいはあるが、民主のマニフェストは原則によるものでなく、機会主義的に、また党内諸潮流の力関係によって選択された政策の羅列にすぎません。なにより憲法、対米関係、ネオリベなど原則的問題について立場が不確定です。他方、過半数が右翼である自民党は、選挙で敗北すれば政権党の責任がなくなるので、右翼的に純化する可能性が高いでしょう。すでに麻生氏は選挙演説など手放しの本音を言いまくっていました。その状況で、草の根右翼運動の巻き返しが本格化する見通しが高いと思います」 
 
−政治の軸足の置き所が見えないということ。 
 
「自民、民主とも日本をどちらにもっていくかのビジョンは欠如しています。民主は候補者のアンケートでみるかぎり、憲法、軍事、沖縄、労働などで微弱にリベラル左派的傾向を示していることは確かですが、党の実態はもっと右です」 
 
−共産、社民がほぼ現状維持で、埋没の危険性が言われていますが。 
 
「社民などと連立して権力に参加することを優先すれば、安保や憲法など原則的な社民の路線を曖昧にすることを余儀なくされ、状況はちがうけれど、かつての村山社会党の轍を踏む可能性があると私は見ています。共産党は、大企業=ネオリベ批判と対米べったり批判(これもオバマ評価で薄まったこうしてようですが)はありますが、なぜか右翼を戦略的要素と数えていません。共産党には一国的展望しかないうえ、囲い込み的体質から脱皮していないので、大きく状況を主導することはむずかしいでしょう」 
 
−全体的に政治の浮遊状況が続くと。 
 
「全体として、日本列島社会から政治的原則が消失し、したがってビジョンも失われている状況で政権交代だけが行われるということになります(いわゆる「ぶれ」とは無原則の表現)。そこから二つの可能性が生じるでしょう。(A)世論の流動性の危険な増加―政権の失政(これは必ず起こる)をついた急速な社会の右傾の可能性(製氷皿モデル※)。それに乗って、原則なき政権の右へのシフトの危険;(B)他方、民主の分裂を含む「政界再編」による議会政治勢力の極右、右、中間、左(社会運動が相対的に支持しうるある程度有力な議会勢力)への再編・整理の可能性。(A)を食い止めつつ、(B)をうながすことが必要になります」 
 
−「製氷皿モデル」というのは? 
 
「わたしの造語ですが、冷蔵庫に入れる製氷皿には内部に区切りがついていますね。だから水を入れて45度に傾けてもそれぞれの区切りでさえぎられて半分は残ります。しかし区切りがない製氷皿だと一気に流れ出て、最後の枠のところでさえぎられるほんの少しの水しか残りません。区切りがない皿とは、原則がない社会ということです。原則がないから一気に右傾化する可能性がある。いまわたしたちの前にあるのは、そんな政治状況です」 
 
◆「原則に基づく民衆のアジェンダ」を 
 
−では、(B)をうながすにはどうすれば。 
 
「社会運動と社会的世論による『原則にもとづく民衆のアジェンダの形成』が、決定的に重要な要素として表面に出てくるでしょう。それは、(1)政治への介入のテコとしてばかりでなく、(2)社会の中に自立した対抗的民衆力の形成の要素としての意味をも持ちえるでしょう。(2)の方が本来の長期的意味ですが(1)は政権交代という現在の状況下で特殊な役割をもちます」 
 
−「原則にもとづく民衆のアジェンダの形成」と一言で行っても、政党のマニフェストづくりとは違ってとても難しい。 
 
「いま、わたしのまわりで平和や貧困、人権、労働、農業、地域などの問題に取り組む第一線の活動家やジャーナリストが集まり、これからの社会のありようを描く模索が始まっています。この模索は今回の総選挙とは関係なく始まっていたのですが、民主党への政権交代が起こり、わたしたちのこうした取り組みも新しい意味を帯びてきたと感じます。マスコミの世論調査項目の作り方やテレビで評論家が開陳するあれかこれか式の問題設定が、それ自身真の問題を隠蔽する役割を果たしてきたことを私たちはいやというほど味わってきました。アジェンダ(そして争点)の形成権を、権力、マスコミ、右翼、財界などからどうやって取り戻すか、逆に民衆運動が形成した争点を、私たちの行動や情報チャンネルをつうじて、またマスコミをも媒介に、いかに社会に逆作用させていくかが決定的な意味をもちます。「集団自決」の教科書記述をめぐる沖縄の大闘争や派遣村(象徴的意味で)、また薬害肝炎訴訟の運動など、アジェンダの下からの形成は、個別運動の経験として蓄積されてきました。だが『政権交代』期には日本列島社会全体をめぐる原則にもとづくアジェンダがいやおうなく問われ、求められることになります」 
 
◆日本列島の変革をグローバルな変革とつなぐ 
 
−それをどのように社会に問うのですか。 
 
「民主党への政権交代が起こり、提言の環境も新しくなりつつあると感じられます。私たちは討論の結果をオルタナティブな社会をつくるための提言として、新しい流動状況のなかに投げ込まれる一石にしたいと思います。今のような状況のなかでは、いくつものレベルの提言がありうるし、行われるでしょう。個別政策の提言、新政権の総合政策への提言、政党政策への提言など。私たちの提言は原則的なレベルでの提言を基礎にし、そこから当面の政策が引き出されるという性格のものであろうと私は考えています。一方では、政党レベルの政策とはちがって、われわれのオルタナティブは、日本列島の変革で完結しない開かれたものです。それはグローバルな変革、アジアの変革に連動するような日本列島社会の変革ビジョンでしょう。(直接グローバルな変革を提唱するものではないという意味では日本についてのオルタビジョンですが、この変革は帝国と資本主義の頽勢のなかでそれ全体をくつがえし、『もう一つの世界』をつくりだす運動の中に位置づけられるという意味で一国的には未完結です)。同時にそれは夢のようなビジョンではなく、政権のプログラム、現実政治と切り結び、それへの評価や批判の基準となり、それに影響を与えるものになるでしょう」 
 
−それは具体的にはどういう形になりますか。 
 
「私たちの提言は日本列島社会の在り方について原則を立てるものだと私は思います。原則的とは、日本社会の抱える重要なテーマについて、はっきりした立場を取るという意味です。まったく未整理で、思いつくままの羅列にすぎませんが、例えばどのような種類の領域について、立場と提案を表明することが必要と考えられるかを仮に例示してみますと、次のようになります。 
 
◆日本列島住民(日本国民ではない)主体の民衆自治・民主主義 
◆列島社会の多元的構成。国内植民地としての沖縄、先住民、在日、移住労働者 
◆グローバル資本主義+国内社会―労働、家族、ケア、女性、性的少数者、地域、教育 
◆開発モデル、経済成長モデル、貿易構造、産業構造、都市と農村、エコロジー 
◆生存権、平和的生存権―普遍的と「一国的」 
◆非軍事化―日米安保同盟、東北アジア 
◆歴史総括と脱植民地化 
◆日本国憲法への態度、1条、9条、25条、国民国家の位置づけ 
◆国際的な人権保障との接続 
◆国境をこえた民衆のつながりへの展望と手だて 
◆列島住民の運動とたたかいによって獲得されたパワー 
◆〈共〉(コモンズ)の形成と〈公〉(国家)の相互作用 
 
−ありがとうございました。 


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