2009年10月10日11時33分掲載  無料記事
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【テレビ制作者シリーズ】(6)  共に生きて共に撮る、長谷川まり子さん  村上良太

  今年3月15日に放送された「内偵員〜インド・人身売買との闘い〜」(NHK・BS世界のドキュメンタリー)は衝撃的な話でした。ネパールの農村から少女が「カトマンズの工場で仕事がある」など言葉巧み騙され、インドの売春宿に売りとばされているのです。その数、年間推定7000人。幼いほど人気があり、なんと5歳の少女まで売られていました。売春宿では窓のない一畳ほどの狭い空間に閉じ込められ、外出も禁じられています。1日50〜60人から多ければ百人もの客を取らされ、収益も少女には還元されません。HIV感染も蔓延していました。番組はこうしたネパールの少女救出に命を賭ける人々の物語です。 
 
  ディレクターの長谷川まり子さんは「少女売買〜インドに売られたネパールの少女たち〜」(光文社)の著者です。NGO「ラリグラス・ジャパン」の代表をつとめ、ネパール人少女の支援活動を行って10年以上になります。毎年数百万円の寄付金を集めて送っているほか、ネパールにある少女の支援施設と日本人との交流会も企画しています。その取り組みから見えてきた世界を凝縮したこの本は2008年、新潮ドキュメント賞を受賞しました。 
 
「1回取材して終わり、という取材は私にはできません。取材協力者にプラスの効果がない取材もできません」 
 
  これが長谷川さんの取材の基本です。ドキュメンタリー番組「内偵員」もそんな長谷川さんだから実現できたと言えます。内偵員は売春宿に潜入し、少女達の証言をビデオに収めなくてはなりません。本人から「無理やり働かされている」という証言を取らないと警察は動かないのです。隠しカメラが見つかると内偵員の命も危険にさらされます。 
 
  内偵を行っているのはインドのNGO「レスキュー・ファンデーション」。年間100人もの捜索願が寄せられ、過去10年で1200人以上の少女を救出しました。舞台はムンバイにあるインド最大の歓楽街カマチプラ。売春宿600軒が軒を連ねます。売春宿の経営者は「警察に連れて行かれると恐ろしいことになる」と世間知らずの少女たちを洗脳します。内偵員はその呪縛を解くために2度、3度と通い、話しかけ、心のこわばりを解きほぐさねばなりません。この危険な取材を現地NGOスタッフ達は快く協力してくれました。それは10年におよぶ長谷川さんたちの支援に対する感謝と、日本で放送されることが少女達をさらに救うことにつながるという理解があって実現したことです。 
 
《プロフィール》 
 
  長谷川さんは1965年、岐阜県に生まれました。インドに関する旅情報を書く、トラベルライターから業界人生を始めたと言います。「インドへ行こう」(双葉社)、「女ひとりアジア辺境240日の旅」(双葉社)「アジア路地裏紀行」(徳間文庫)などの著作があります。アジアの辺境への関心はどこから来るのでしょうか? 
 
「先進国には年を取ってからでもいけます。でもアジアの極限には今しかいけない。ぎりぎりの状況で暮らしている人々の、そのサバイバルを見たかったのです」 
 
  長谷川さんは20代でバブル経済の絶頂と崩壊を間近に見た世代です。そこには極限状況があり、人間の本質があらわになります。長谷川さんも実際にそうした姿を間近に見た経験を「少女売買」に書いています。過酷な状況で人間が欲望をむき出しにし堕ちていく。そこからどうすれば人間は生還できるのか。長谷川さんはそんな根源的な好奇心を持っているようです。 
 
  インドの売春宿から救出された少女はネパールに帰っても汚れた存在と蔑まれ、HIV感染した場合はあと何年生きられるかもわからない日々を生きなくてはなりません。そんな彼女達も恋をしたり、家庭を作ることに憧れたりと普通の少女と同じ願いを持っています。その厳しい矛盾に生きる少女たちを支援するのは簡単ではないようです。年に2回しか訪れることができない自分は何なのだろう、と長谷川さんは自分に問いかけながら今も支援を続けています。 
 
  NGO活動を通して長谷川さんがネパールに築き上げた信頼は新たなスクープを生みました。2006年8月放送のTBS報道特集「潜入!ヒマラヤの‘’テロ’’拠点」です。 
  王政廃止などを掲げる‘マオイスト’と呼ばれるネパール共産党・武装闘争グループの山岳拠点に世界で初めてカメラを入れたのです。さらにリーダーのプスパ・カマル・ダハル議長(通称プラチャンダ=恐ろしい奴)の潜伏先インドでのインタビューにも成功しました。この取材のすぐ後、マオイストは首都カトマンズを制圧します。しかし長谷川さんはこう言います。 
 
「実権を握ってからのインタビューでは政治的妥協が入って面白くないのです。潜伏している時だからこそ、純粋な思いが聞けるはずです」 
 
  長谷川さんは潜伏中のインタビューに賭け、「撮るまでは日本に帰らない」と3週間粘りました。この世界的スクープが実現した理由は長谷川さんがネパールの少女たちを支援してきた日本人だということをマオイスト幹部が知っていたことです。長く時間をかけ、信頼関係を築く。 
 
  取材の王道がここにあると思いました。 
 
★NGO ラリグラス・ジャパン http://www.laligurans.org/ 
 
村上良太 


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