2009年10月24日11時39分掲載  無料記事
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政治

刺殺された浅沼稲さん最後の演説 日米安保、米軍基地、金権を告発 安原和雄

  浅沼稲次郎・元日本社会党委員長の名を知る人はもはや少数派であるに違いない。その浅沼さんが東京・日比谷公会堂で演説中に暴漢に刺殺されてから来年2010年でちょうど半世紀を迎える。演説できなかった部分も含めて当時の演説草稿をこのほど入手した。浅沼さんにとっては最後の演説で、当時の自民党政治への手厳しい告発状ともなっている。その内容は日米安保、米軍基地、さらに金権政治、国民生活悪化など今日的テーマと共通するところが多い。 
 折しも政権交代によって誕生した民主党連立政権は自民・公明政権の悪しき遺産の改革に取り組んでいる。半世紀という時代の隔たりはあるにせよ、浅沼さんの告発状は、民主党政権の改革路線への助言・激励状ともいえるのではないか。 
 
▽ 女たちが語る「平和といのちの集い」 
 
 浅沼稲次郎さんの遺志を受け継ぐために、女たちが語る「平和といのちの集い」が先日(10月9日)、東京・千代田区の総評会館で開かれ、参加者は200人を超えた。 
 その女たちとは、四谷信子(元都議会議員)、石坂 啓(漫画家)、新谷のり子(歌手)、中原道子(早大名誉教授)、吉武輝子(評論家)、古今亭菊千代(落語家)、内海愛子(早大大学院客員教授)、チェ・ソンエ(ピアニスト)、吉岡しげ美(音楽家)、上原公子(前国立市長)、星野弥生(翻訳家、「軍隊を捨てた国コスタリカに学び平和をつくる会」世話人)らの皆さん。四谷さんが「ヌマさん」の想い出を語り、石坂さんが「平和といのち」と題して講演、司会進行役は星野さんが務めた。 
 
 福島瑞穂社民党首(消費者・少子化担当相)、辻元清美社民党国会対策委員長(国土交通副大臣)も参加し、あいさつした。 
 
 今から半世紀前の1960年10月12日、当時の日本社会党委員長、浅沼稲次郎さん(注1)は東京・日比谷公会堂で開かれたNHK主催の三党党首立ち会い演説会で、演説中に右翼の暴漢山口二矢に刺されて絶命した。このため演説は中断を余儀なくされた。 
(注1)浅沼さんは1898(明治31)年三宅島生まれ。早稲田大学経済学部卒後、戦前は農民労働党書記長、衆議院初当選などを経て、戦後は日本社会党書記長、同委員長を歴任。1959年の訪中演説「アメリカ帝国主義は日中両国人民の敵」は有名。 
 狭いアパートで長年暮らし、多くの庶民に「ヌマさん」と呼ばれて親しまれた。愛犬家でもあり、飼っていた秋田犬ジローは、ヌマさんが刺殺された後、餌を食べずに死亡した。「まあまあのヌマさん」といわれたように調整役が得意で、社会党右派でありながら共産党からも信頼された。刺殺直後の抗議デモには全国で40万人が参加した。 
 
 「平和といのちの集い」の席上、配布された浅沼演説(演説されなかった予定稿も含む要旨)を以下に紹介する。 
 
▽ 浅沼演説 ― 米軍基地の返還こそが独立国家の条件 
 
 諸君、政治とは、国家社会の曲がったものを真っ直ぐにし、不正なものを正しくし、不自然なものを自然の姿に戻すのが、その要諦である。しかし現在のわが国には、曲がったもの、不正なもの、不自然なものが沢山ある。 
 第一は池田内閣が所得倍増(注2)を唱える足元から物価はどしどし上がっている。月給は2倍になっても、物価が3倍になったら、実際の生活程度は下がる。 
 最近は社会保障と減税は、最初の掛け声に比べて小さくなる一方である。他方、大資本家を儲けさせる公共投資ばかりが脹らんでいる。 
 
 第二は日米安全保障条約(注3)の問題である。アメリカ軍は占領中を含めて、今年(1960年)まで15年間日本に駐留しているが、今回の安保条約改正によってさらに10年駐屯しようとしている。外国軍隊が25年の長きにわたって駐留することは日本の国はじまって以来の不自然な出来事である。 
 インドのネール首相は言っている。「われわれは外国の基地を好まない。外国基地が国内にあることは、その心臓部に外国勢力が入り込んでいることを示すもので、常にそれは戦争のにおいをただよわせる」と。私どももこれと同じ感じに打たれるのである。(拍手) 
 
 日本は戦争が終わってから偉大なる変革を遂げた。まず主権在民の大原則である。つぎに言論・集会・結社の自由、労働者の団結権・団体交渉権・ストライキ権が憲法で保障されている。さらに憲法9条で戦争放棄、陸海空軍一切の戦力の不保持、国の交戦権の否認を決めている。これによって日本は再軍備はできない、他国に対し、軍事基地の提供、軍事同盟は結ばないことになったはずである。ところが日米安保条約によって日本がアメリカに軍事基地を提供し、その基地には日本の裁判権が及ばない。(拍手) 
 これは完全なる日本の姿ではない。沢山の外国基地(水面利用も含めれば全部で350カ所)があるところに日本がアメリカに軍事的に従属している姿が現れているといっても断じて過言ではない。(拍手) 
 だから日本が完全独立国家になるにはアメリカ軍隊には帰って貰う、基地を返して貰う、その上、積極的中立政策を実施することが日本外交の基本でなければならない。 
 
 安保条約の改正によって日本がアメリカに対し、防衛力拡大強化の義務(注4)を負うことによって増税という圧迫を受け、言論・集会・結社の自由も束縛されるという結果を招いている。 
 さらに防衛力増大によって憲法改正、再軍備、徴兵制が来はしないかを心配する。われわれはこの際、アメリカとの軍事関係を切るべきだと思う。そうして日本、アメリカ、ソ連、中国の4カ国が中心になって、新しい安全保障体制をつくることが日本外交の基本でなければならない。(拍手) 
 この新しい安全保障体制は、お互いの独立と領土を尊重すること、内政干渉をしないこと、侵略をしないこと、互恵平等の原則に立つこと ― を基本としなければならない。 
 
 第三の問題は、日本と中国の関係である。(略) 
 第四は、議会政治のあり方である。重大なことは、新安保条約のような重大案件が選挙で国民の信を問わないで、ひとたび選挙で多数をとったら、公約しないことを多数の力で押しつけることに大きな課題がある。(拍手、場内騒然) 
 
(ここで演説はいったん中断し、司会者から「会場が騒々しい。静粛にお話をうかがいたい」旨の発言があり、浅沼さんが演説を再開した。「選挙の際は国民に評判の悪いものは全部捨てて、選挙で多数を占めると・・・」と述べたとき、暴漢が壇上に駆け上がり、浅沼委員長を刺した。再び場内騒然) 
 
 つぎの(注)は私(安原)が付記した。 
(注2)新安保条約を強行採決によって成立させた岸内閣は総辞職し、池田内閣が発足 
1960年7月)、国民所得倍増計画を決定(同年12月)した。10年間で所得を倍増させるプランで、俗に「月給倍増プラン」とも呼ばれた。 
(注3)日米安全保障条約とは、旧安保条約に代わる新安保条約のことで、1960年6月発効した。10条(条約の終了)「10年間効力を存続した後、いずれの締約国も条約終了の意思を相手国に通告することができ、その1年後に条約は終了する」などの規定が新たに盛り込まれた。つまり1970年6月以降はいつでも条約を一方的に破棄できる規定である。 
(注4)「防衛力拡大強化の義務」とは、新安保条約3条(自衛力の維持発展)の「締約国は武力攻撃に抵抗する能力を維持し発展させる」という規定を指している。この規定を受けて日本は軍事力増強への道を突き進み、現在、世界有数の軍事強国となっている。このため日本国憲法9条(非武装)の理念は空洞化している。 
 
▽ 幻に終わった浅沼演説内容 ― 金権政治を正すとき 
 
 以下は浅沼さんが倒れたため、聴衆に向かって語り、訴えることができず、幻に終わった演説(予定稿要旨)である。 
 
 新安保条約にしても、調印前に衆議院を解散し、主権者の国民に聞くべきであった。しかしやらなかった。(1960年)5月19日、20日に国会内に警官が導入され、安保条約改定案が自民党の衆議院単独審議、単独強行採決がなされた。あの強行採決がそのまま確定しては、憲法の大原則、議会主義を無視することになるから、解散して主権者の意志を聞けと2000万人に達する請願となった。しかし参議院で単独審議、自然成立となり、批准書交換となった。かくて日本の議会政治は、5月19、20日をもって死滅したといっても過言ではない。 
 
 最後に日本の政治は金権政治であることを申し上げたい。この不正を正さなければならない。現在わが国の政治は選挙で莫大なカネをかけ、当選すれば、それを回収するために利権をあさり、カネを沢山集めた者が自民党総裁、総理大臣になる仕組みである。 
 その結果、カネ次第という風潮が社会にみなぎり、希望も理想もなく、その日暮らしの生活態度が横行している。戦前に比べて犯罪件数は十数倍にのぼる。これに対し政府は道徳教育とか教育基本法改正とか言っているが、必要なことは、政治の根本が曲がっているのを直してゆかねばならない。 
 
 政府みずから憲法を無視して再軍備を進めているのに、国民に対しては法律を守れといって、税金だけはどしどし取り立ててゆく。これでは国民は黙ってはいられない。 
 政治の基本はまず政府みずから憲法を守って、清潔な政治を行うこと、そして青少年に希望のある生活を、働きたい者には職場を、お年寄りには安定した生活を国が保障する政策を実行しなければならない。日本社会党が政権を取ったら、こういう政策を実行することをお約束する。社会党を中心に良識ある政治家を糾合した、護憲、民主、中立の政権にして初めて実行しうると思う。 
 
▽ 浅沼さんの「遺言」=マニフェストは生かされるか 
 
 私(安原)事になるが、実は大学生だった頃(1957=昭和32年)、創刊間もないある総合月刊誌が浅沼さん(当時、社会党書記長)を囲む座談会を企画し、大学生3人の出席者のうちの1人として参加した。テーマはたしか「社会党が政権の座についたら」で、学生の立場から率直にもの申してほしいというのが雑誌編集者の狙いであったように記憶している。 
 そういう縁で浅沼さんとは直に接した体験があるだけに「浅沼さん、刺殺される」のニュースには暗澹(あんたん)たる想いであった。浅沼さんの「遺言」ともいうべき最後の演説を今読んでみて、感慨もひとしおというほかない。この「遺言」は今日どこまで生かされるのか、そこに大きな関心を抱かないわけにはゆかない。 
 
 浅沼演説は当時の現状認識についてつぎの諸点を挙げている。半世紀も前の演説だが、今日の状況をほぼそのまま言い当てているといっても見当違いではあるまい。ついこの間まで自民・公明政権が推進してきた政策と大差ない。 
*社会保障は小さくなる一方であり、他方、大資本家を儲けさせる公共投資ばかりが脹(ふく)らんでいること 
*日本の政治は金権政治であること。このためカネ次第という風潮が社会にみなぎっていること 
*政府みずから憲法を無視して再軍備を進めていること 
*政府は税金だけはどしどし取り立ててゆくこと 
*希望も理想もなく、その日暮らしの生活態度が横行し、犯罪も増えていること 
 
 以上のような当時の自民党政治の現状認識に立って浅沼委員長は、「日本社会党が政権を取ったら」として、つぎのことを約束した。これは遺言となったが、今風にいえば、浅沼さんのマニフェスト(政権公約)でもあった。 
*政治の基本として政府みずから憲法を守って、清潔な政治を行うこと 
*青少年に希望のある生活を、働きたい者には職場を、お年寄りには安定した生活を国が保障する政策を実行すること 
 
▽ 基地撤去論を今どう受け止めるか(1) ― 穏健派の気迫 
 
 浅沼演説の主眼は日米安保への批判に置かれている。具体的には日米安保条約の破棄、在日米軍基地の撤去、さらに日本、アメリカ、ソ連(当時)、中国の4カ国を中心とする新しい多角的安全保障体制の創設 ― である。 
 
 特につぎの指摘に着目したい。「アメリカ軍は占領中を含めて、今年(1960年)まで15年間日本に駐留しているが、今回の安保条約改正によってさらに10年駐屯しようとしている。外国軍隊が25年の長きにわたって駐留することは日本国はじまって以来の不自然な出来事」と。 
 文中の「安保条約改正によって(米軍が)さらに10年駐屯しようとしている」の含意はつぎのように理解したい。新安保条約10条は「この条約は10年間効力を存続した後は、条約を終了させる意思を相手国に通告することができる」と定めている。これによって1970年までの10年間は米軍駐留は我慢するとしても、それ以降はお引き取りを願おうと考えていたのではないか。ところが現実には10年どころか今日まで半世紀も続いている。この現実を浅沼さんが知ることになったら、あの世で「日本人の独立国家としての気概はどこへ消え失せたのか」と慨嘆するに違いない。 
 
 当時、浅沼さんは決して急進派であったわけではない。社会党内では左派ではなく、右派に属していた。気迫は人一倍であっても、思想的には穏健派であった。その人物にしてすでに日米安保破棄・米軍基地撤去論者だったのだ。 
 
▽ 基地撤去論を今どう受け止めるか(2) ― 腹が据わっている琉球新報 
 
 さて半世紀後の今、米軍基地の再編成が日米間の大きな焦点として浮上している。ゲーツ米国防長官がこのほど来日し、沖縄の普天間基地の辺野古への移設を主張し、この計画が実行されなければ在沖米海兵隊のグアム移転もない旨を述べたと伝えられる。 
 この問題について新聞社説はどう論じているか。ここでは大手5紙と沖縄の琉球新報を紹介する。各紙の見出しはつぎの通り。 
 
*朝日新聞社説(10月22日付)=普天間移設 新政権の方針を詰めよ 
*読売新聞社説(10月22日付)=米国防長官来日 普天間問題を先送りするな 
*日本経済新聞社説(10月22日付)=日米同盟の危機招く「安保摩擦」を憂う 
*東京新聞社説(10月22日付)=普天間移設 あらゆる選択肢を探れ 
*毎日新聞社説(10月23日付)=「普天間」移設 政権の意思が見えない 
*琉球新報社説(10月22 日付)= 国防長官来日 交渉はこれからが本番だ 
 
 各社説を熟読した上で感想を述べると、読売と日経の主張は、見出しから察しがつくように米国防長官の代理人かと勘違いさせられるような主張である。浅沼さんが生存していたら、仰天するのではないか。 
 一方、朝日の「方針を詰めよ」、東京の「選択肢を探れ」、毎日の「政権の意思が見えない」などの見出しから推察できるように明確な独自の主張を述べているわけではない。単純化して言えば、「あーでもない、こうでもない」という類の一時逃れの解説である。ただ東京は「国民の意思」「国民の理解」を重視しており、その点で抜きん出ている。 
 
 沖縄地元紙の琉球新報は他の5紙とは切実感が異なっている。それに米軍基地の実態にもくわしい。だから腹が据(す)わっている印象である。社説を以下のように結んでいる。 
 「基地への反発の強い沖縄に基地を新設するのは、不満の爆発を準備するようなもので、解決策には程遠い。県内移設は見直した方が持続可能な日米関係になる。政府は毅然(きぜん)とそう主張してもらいたい」と。 
 開き直りの印象さえ受ける。しかしそうだとしても、正当な開き直りといえよう。「持続可能な日米関係」という着想に注目したい。望ましい着地点は米軍基地の日本列島からの撤去以外に妙策はない。基地存続にこだわるための脅迫のような言動も、それに屈する卑屈な姿勢もどちらにも持続性はない。この琉球新報社説を読めば、浅沼さんも「日本はまだ健在なり」とあの世で安眠できるかもしれない。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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