2009年12月27日16時41分掲載  無料記事
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政治

国民の生存権をどこまで生かせるか 民主党政権最初の予算を採点する 安原和雄

 「命を守る予算」が民主党政権として初めて手がけた来年度予算のキャッチフレーズである。この「命を守る予算」が目指すものは何か。それは「コンクリートから人へ」、いいかえれば「生活重視」であり、子育て、雇用、医療、環境などに重点を置く政策への転換である。このような政策転換は、これまで軽視されてきた「国民の生存権」を生かすことに取り組もうとする最初の予算ともいえるのではないか。その意味で評価したい。 
 ただ問題は、国民の生存権が予算によって現実にどこまで生かせるか、である。そのためには批判を許さぬ聖域にメスを入れる必要がある。民主党政権が日米安保体制下の在日米軍基地、軍事費、さらに大企業・資産家優遇の税制を横目で眺めながら素通りしているようでは「命を守る予算」も大幅減点に採点しないわけにはいかない。 
 
▽鳩山首相が語った2010年度予算の骨格 ― 「命を守る予算」 
 
 鳩山首相が12月25日、2010年度政府予算案を閣議決定した後、記者会見で語った同予算の骨格は以下の通りである。(首相官邸のホームページから) 
 
*予算の基本的性格 
「命を守る予算」と呼びたい。そのために3つの変革を行った。 
 まず「コンクリートから人へ」の理念を貫いた。子育て、雇用、医療、環境など人の命を守る予算を確保することに全力を傾注した。 
 2つ目は政治主導の徹底で、従来のような財務省が予算原案をまとめることはやめた。税制改正についても「税は政治なり」という考えの下で、税制調査会委員はすべて政治家とした。 
 3つ目は予算編成プロセスの透明化で、事業仕分けの結果、大幅な無駄の削減ができた。 
 
*予算の具体的な中身(1) ― その骨格 
 総額92.3兆円(過去最大)、歳入面では特別会計や公益法人の見直しにより、約11兆円の税外収入(過去最大)を確保し、国債発行額は44.3兆円に抑えた。経費別にみると、社会保障費が10%増と大幅な伸びとなる一方、公共事業費は18%減と2割近い削減をした。まさに「コンクリートから人へ」である。 
 
*予算の具体的な中身(2) ― その主要事項 
・子ども手当=子ども一人当たり月1万3,000円、年間15万6,000円を支給し、所得制限は設けない。 
・高校授業料の無償化=公立高校は国が授業料相当額を負担し、実質無償化する。一方、私立高校は、高校生のいる世帯に年額12万円、低所得世帯に24万円の支援を行う。 
・雇用対策=収益が減っても雇用を維持する会社に賃金の一部を補助する。雇用調整助成金を前年度比10倍以上に増額し、来年度中に合計約230万人(大企業約75万人、中小企業約155万人)の雇用を守る。 
・医療や介護の充実=診療報酬の10年ぶりのプラス改定、介護施設内の保育所の整備促進など。 
・国民の健康=たばこ消費抑制のため、1本当たり5円程度の増税を行うなど。 
・環境対策=命を考えるとき、人の命だけではなく、私たちが生きている地球の命を守ることも大切である。わが国が環境分野で世界をリードしていくため、二酸化炭素(CO2)を回収、貯蓄する技術、燃料電池など環境技術開発の推進、電気自動車の普及、グリーン・イノベーションなどの重点的、効率的な投資を行う。 
・農業=農家に対する戸別所得補償制度の創設。 
・ガソリン税などの暫定税率=現行10年間の暫定税率は廃止するものの、税率水準は維持する。 
・地方交付税交付金=5.5%アップ。地方が厳しい。命を守るというのは、地方を守ることに等しい。 
 
*中長期戦略について 
・経済成長=雇用、環境、子ども、科学技術、アジア等に重点を置いた新たな成長戦略を策定する。 
・財政規律=2010年前半に複数年度を視野に入れた中期財政フレームを策定し、財政健全化への道筋を示す。 
・消費税=今後4年間は上げない。 
・「新しい公共」=官だけでなく、市民、NPO、企業などの民間が公共的な財、サービスの提供主体となり、教育・子育て、まちづくり、介護・福祉など身近な分野での活躍を期待したい。 
 
▽「命を守る予算」が含意するもの ― 環境と自然と地方と 
 
 鳩山首相が来年度政府予算案の閣議決定後の記者会見で、冒頭「今回の予算は、私は命を守る予算と呼びたい」(上述の記者会見内容を参照)と語っているのをテレビで聞いて、私(安原)は、非常に新鮮な印象を受けた。私は経済記者としてその昔、田中角栄首相時代に予算編成の取材に駆け回った経験もあるが、これまでの歴代首相は誰一人として、こういうセリフは口にしなかった。「景気回復に貢献できる」といったあまりにもありふれた魅力の乏しい発想を超えることはなかった。 
 それだけに鳩山首相発言には、これが「政権交代」、「政策転換」ということなのか、と感じないわけにはいかなかった。翌日の新聞がどう料理し、味付けするかに期待もしていた。 
 
 ところがである。大手新聞数紙(12月26日付最終版)を読んでみたが、記事にも社説にもほとんど一行も触れるところがない。正直言って唖然とした。有り体に言えば、現役の記者諸氏は政権交代、政策転換の意味が十分には理解できていないのではないかとさえ思わざるを得ない。「お坊ちゃん首相」などと揶揄(やゆ)することも無用とはいわないが、だからといって自らの「記者の目」を曇らせてはなるまい。 
 鳩山政権のもう一つのキャッチ・フレーズ、「コンクリートから人へ」は新聞紙上でもしばしば引用されている。それはそれでいいが、「命を守る」が含意するものは、これとは異質であると理解すべきテーマである。どう異なるのか。前者が「人間中心」の言葉であるのに対し、後者は「命中心」の認識である。 
 
 鳩山首相は記者会見で環境対策に関連してつぎのように指摘している。 
 「命を考えるとき、人の命だけではなく、私たちが生きている地球の命を守ることも大切である」(上述の記者会見参照)と。この「地球の命」という認識を欠いては、環境保全に十分に対応することはできないことを弁(わきま)えておく必要があるだろう。 
さらに首相は地方交付税交付金に関連してつぎのようにも語った。 
 「地方が厳しい。命を守るというのは、地方を守ることに等しい」(上述の記者会見参照)と。この発言の含意について記者は質問すべきであるが、それがない。私の想像では、「地方が荒廃している。日本本来の豊かな自然の命が粗末に扱われ、命を育てる産業である農業も衰退している。命を守るためにも地方の再生を図らなければならない」と胸の内では考えているのではないか。 
 
 さて問題は政権交代後の民主党政権が初めて創り上げた政府予算の特質をどう捉えたらいいか、である。これこそ諸説多様であって当然だが、私は「国民の生存権」に戦後史上、いやもっと正確にいえば日本の近現代史上初めて取り組もうと努力した予算と理解したい。そういう視点に立てば、来年度予算がその生存権なるものをどの程度生かすことに役立っているかが最大の焦点となるはずである。 
 
▽わが国における生存権の歴史を追跡すると ― 大正時代の先駆的論文から一世紀 
 
 生存権に関するわが国の先駆的業績としては、今から一世紀近くも昔の福田徳三博士(注)の論文「生存権の社会政策」(大正5年=1916年)があり、つぎのように主張している。 
・社会政策の根本思想は生存権の主張にあるべきこと 
・生存権の要求を有するものはまず第一に幼児であり、次いで老年者、病廃者などであり、さらに成年者、特に労働者である。この労働者の取り扱いがもっとも困難である。 
 
(注)福田博士(1874〜1930年)は東京商科大学(現・一橋大学の前身)の前身・東京高商の出身で、ドイツ留学を経て母校の教授などを歴任、多くの優れた学問上の弟子を育てた。『貧乏物語』などの著作で知られる京都大学の河上肇博士との論争は当時話題を呼んだ。レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)の学士院200年祭に参列し、イギリスの経済学者ケインズとともに講演を行った。論文「生存権の社会政策」は、福田徳三著『生存権と社会政策』(講談社学術文庫、1980年刊)に収録されている。 
 
 「国民の生存権」という権利(社会権)は、周知のように現・平和憲法(1947年5月施行)25条(生存権、国の生存権保障義務)でつぎのように規定されている。 
・すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 
・国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 
 
 以上のように生存権は現行憲法で明確に保障されることになったが、これは福田論文から数えて30年後のことである。しかしその生存権も特に1980年代初めから始まった「弱肉強食、貧困、格差拡大」を強いる新自由主義(=市場原理主義)路線で事実上骨抜きにされた。特に2001年以降の小泉政権時代にはマイナス面が顕著になり、その傾向が今なお続いている。 
 
以下のデータがそれを物語っている。 
・自殺者は09年も11月末までにすでに3万人を超えて、12年連続の年間3万人台で推移している。 
・完全失業率(09年11月)は5.2%と依然高水準で、完全失業者(同)も331万人で、前年同月比75万人増を記録した。 
・相対的貧困率(全国民の中で低所得者が占める割合を示す指標で、全国民一人一人の所得を順に並べて、真ん中の人の所得額=中央値=を求め、その半額以下の人の割合)は厚生労働省の発表によると、06年時点で15.7%だった。中央値は228万円で、半額の114万円に満たない人が国民全体のうち、7人に1人いることが分かった。経済協力開発機構(OECD)によると、03年には日本は加盟30カ国の中でビリから4番目に悪い27位の14.9%で、06年はそれよりも悪化し、貧困化が進んでいることを示している。 
 
 国民の生存権は、現行の平和憲法上の規定にもかかわらず、福田論文(1916年)から指折り数えてみると、なんと一世紀以上も無視あるいは軽視され続けてきた。先進国としての資格に欠ける異常な光景というべきである。生存権を冷遇してきた自民・公明党政権に代わって登場した民主党政権がつくった最初の予算は、国民の生存権をどこまで生かせる予算となっているだろうか。 
 
▽今日の生存権に不可欠な視点 ― 聖域をつくらないこと 
 
 さて今日的な生存権を生かし、実のあるものにするためには、単に社会保障の支出拡大に限らず、もっと視野を広げる必要があると考える。それは批判、変革を許さぬ聖域をつくらないことである。具体的には日米安保体制下の軍事予算・在日米軍基地、さらに大企業・資産家優遇の税制にメスを入れる必要がある。そういう政策転換がなければ、民主党政権が唱える「生活重視」は、その財源にも事欠き、実現しにくいだろう。 
 
 藤井裕久財務相は12月25日の記者会見で「公共投資が大きく減り、国民生活に直結したものが大きく増える。国の資源配分のあり方は、過去の政権と全く違う」と語ったと伝えられる。その通りであるだろう。しかし言い忘れていることがあるのではないか。それは日本の防衛費(軍事予算)は従来の5兆円規模が維持され、削減の対象になっていないこと、大企業・資産家優遇の税制も変革のメスが加えられていないことである。 
 
 来年度防衛費の中で見逃せないのは、海上自衛隊最大の新型護衛艦(ヘリ9機搭載可能の巨大ヘリ空母)の建造費1208億円、新型戦車13両に187億円、北朝鮮の弾道ミサイルに備えるという名目で地対空誘導弾パトリオットシステムの能力改良に766億円 ― などがそれぞれ計上された点である。いずれも「兵器の技術革新」が理由で、防衛費が削減できない口実とされ、聖域として持続される。しかも日本の防衛力は、米軍との一体化が進み、日米安保体制下に組み込まれていることに着目することが必要である。 
 
 沖縄県の米軍・普天間基地の移設問題ではもはや国外への移設以外に打開策は難しくなっている。在日米軍基地問題は今や生存権を侵害する典型例となっていることを認識する必要がある。それは周辺住民がいのちと日常生活を危険にさらされているだけではない。何よりも軍事力そのものの打開力が無力となっていることは、米兵の犠牲者が増えて、米国のイラク攻撃、アフガン増派(在日米軍基地がその拠点として機能している)への疑問符が広がっていることからもうかがえる。 
 にもかかわらず民主党も、日米同盟を日本防衛の抑止力として聖域視する傾向があるが、それは錯覚というものである。日米安保体制下の日米同盟は、いまでは「世界の中の安保」として機能しており、在日米軍基地を足場とする米海兵隊群は世界各地へ侵攻することを任務としている。「世界の中の安保」が日本国民の生存権とは両立できない、その真相に気づいてもいいときではないか。 
 
 もう一つの大企業・資産家優遇の税制が維持されることが、なぜ今日的な生存権を脅かすことになるのか。それはいのちと暮らしの土台を守るための「税制の所得再分配機能」が働かないからである。 
 まず大企業はこの10年間に法人税率の引き下げ、賃金の削減などで内部留保を倍増させ、数百兆円の規模になっているという試算もある。一方、証券優遇税制など大資産家向けの「金持ち優遇」減税も実施された。いずれも自民・公明政権時代に実施された大企業・資産家優遇の税制である。これは弱肉強食のすすめ、貧富の格差拡大を招く市場原理主義(=新自由主義)路線の悪しき遺産といえる。政策転換を唱える民主党政権が、ここにメスを入れないまま、悪しき遺産を温存しているのは解せない。 
 
 「生活重視」を本物に育てるためには在日米軍基地の国外への撤去を含む軍事費の削減のほか、大企業・資産家優遇の税制を改めて新たな財源を確保し、税制の所得再分配機能の再生を図る必要がある。しかしそういう感覚が不透明であるところが、民主党政権の物足りないところであり、その弱点が今回の予算にそのまま映し出されている。 
 「命を守る予算」が本物になって、「国民の生存権」の尊重が日本列島に行き渡る日が近いことを期待したい。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 
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