2009年12月31日13時40分掲載
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文化
【お正月読書案内】これで歴史はもう恐くない! 独断による歴史本 10日間コース 村上良太
いよいよお正月。テレビを見てのごろ寝もいいが、たまにはまとめて読書もいい。ということで、独断的歴史書案内。今年、レヴィ・ストロース氏が亡くなりました。人類学のフィールドワークから線的に発展する歴史観にあえて異議を唱え、未開の民族の持つ循環的な歴史観にも存在理由があると訴えたのです。歴史には目的があるのか、ないのか。ないとすれば発展しつづける必然性はどこにあるのか。こうしたテーマが21世紀の今、立ち上がってきているように思われます。そこで、もう一度歴史書を読み直すことにも意味があるように思えます。
<金曜日>
アラン・コルバン著『記録を残さなかった男の歴史〜ある木靴職人の世界〜』
今身の回りにはビデオカメラやパソコンなど、個人の記録を残すツールが無数にあり、記録を加速度的に増やしています。こうした文明はどこに向っているのでしょうか?
フランスの歴史家アラン・コルバンの「記録を残さなかった男の歴史」はそれに対する興味深いアンチテーゼのように見えます。コルバンは19世紀、フランス農村に生きた木靴職人ルイ=フランソワ・ピナゴの生活を推理します。ピナゴを主人公に据えた理由はピナゴが文盲で戸籍簿の出生と死亡欄以外に一切の記録を残していないためです。
コルバンは記録を残さなかった人間を注意深く選び、その人間の足取りを周囲の地理、歴史、人口動態、経済などの記録に基づき徹底したリサーチと想像力で描いたのです。「記録を残さず消えてしまった人々について我々は一体何を知ることができるのか?」
コルバンはそんな新しい歴史学を提唱しました。
<土曜日・日曜日>
ナヤン・チャンダ著『ブラザー・エネミー〜サイゴン陥落後のインドシナ〜』
ベトナム戦争終結後、インドシナ半島で一体何が起きていたのか?これを考えることは戦争と革命の20世紀を考えることにもつながります。インド人ジャーナリスト、ナヤン・チャンダは700ページに及ぶ本書で、なぜアジアで社会主義国同士戦いあったのか、その理由を各国指導者にインタビューを繰り返し、考えます。ソ連と中国、中国とベトナム、ベトナムとカンボジア。さらにその背後でアジアの分断を画策するアメリカ。これらパズルの断片を1つ1つ集め組み合わせることで1970年代半ばから90年頃にかけて起きた一連の悲劇が浮上してきます。東アジア共同体を考える上でも、失敗から学ぶことは多々あると思われます。
<月曜日・火曜日>
ハンナ・アレント著『全体主義の起源』
ハンナ・アレントは今、金融恐慌のアメリカで再び注目を集めています。アメリカがこれからファシズム国家に転落するかどうか。またなるとしたら、どのようなファシズムなのか?そうしたことを考えるベースにアレントの主著『全体主義の起源』があります。
『全体主義の起源』の見所は帝国主義から全体主義への転換がどのようなプロセスで起きたのか?という点です。その柱こそ人種差別主義(レイシズム)です。アレントによると大英帝国経済から脱落した貧困層が南アフリカに渡り、そこで黒人を動物のように扱うことを学習します。これらの人々をアレントは「モッブ」‘mob’=〔暴徒・ギャング団〕と呼んでいます。英国以外の国の貧困層も同様に植民地で有色人種に出会い、暴力と差別を身につけます。後に欧州に戻ったこれらの人々の人種意識がナチズムの土壌になったとアレントは言うのです。資本が国境を越えて投下される帝国主義の裏で、繁栄から疎外された人々が人種差別主義に賛同していく「差別の連鎖」のプロセスは確かに現在と通じるものがあります。
<水曜日・木曜日>
ヘロドトス著『歴史』
古代ギリシア諸都市とペルシアの戦いを描いたヘロドトスの「歴史」は今の欧米とイランの確執を思い出させます。しかし、この本は歴史学者の本、というより歴史に題材を取った物語という特徴が強く、挿入されるちょっとしたエピソードに魅力があります。
たとえばペルシア王クセルクスの后が、クセルクスが浮気をした娘の母親(マシステスの妻)を拉致し、両乳房を切り取らせて犬に与え、鼻・耳・唇も同様にし、さらに舌も切り取った後、家に帰した、というくだりがあります。なぜ虐待されたのが当の娘でなく、娘の母親なのか?というと、もともと王が最初に横恋慕したのは娘のこの母親で、人妻である彼女がなびかなかったから、王は彼女の娘に恋をしたのです。
あるいは逃走するクセルクスの船が嵐で沈没の危機にあったとき、ペルシア人の家臣たちが船を軽くして王を救おうと一斉に海に飛び込んだ、というような記述もあります。
こうした小さなエピソードの中にも「欧米の歴史家」ヘロドトスのアジアを見る眼差しが感じられます。
<金曜日・土曜日>
『旧約聖書』
ナチズムの悪を経験したユダヤ人がなぜパレスチナで虐殺行為を行いえたのか?
この謎を考えるとき、「旧約聖書」を読むと、ユダヤ人が約束の地を得るためすさまじい戦いを繰り返してきたことがわかります。右派イスラエル人の歴史感覚は近代以降の歴史感覚とかなり違うのかもしれないとすら思えます。
コーエン兄弟の映画「バートン・フィンク」の中で、アメリカの第二次大戦参戦前夜、ハリウッドに招聘された新進劇作家の主人公がフォークナーを彷彿とさせる作家に映画スタジオで出会います。作家が最近書いた小説のタイトルは『ネブカドネツァル王』となっていました。旧約聖書に登場するバビロン王の名前にコーエン兄弟はどんな意味を込めたのでしょうか。
<日曜日>
姜在彦著『日本による朝鮮支配の40年』
来年2010年は韓国併合(1910年)から100年目に当ります。姜在彦氏の『日本による朝鮮支配の40年』によると、併合後まず日本が力を入れて着手したのは土地調査事業だったと言います。
1910年3月に始め、完了するのが1918年11月。明治初期に沖縄を日本領に併合した時もまず土地調査事業に着手したのです。
「朝鮮人民の絶対多数は農民ですから、土地を把握し、農民を把握すれば、朝鮮経済の命脈を握り、民衆をも把握したことになるわけです」
こうして小作農と地主の関係を近代的な地租制度に組み込んだ結果、3.3%の大地主が全農地の半分以上を所有し、50%〜70%の生産物が小作料として小作農から徴収されることになりました。その米は日本に輸出されたのです。朝鮮人小作農が半ば飢えつつ納めた米です。
「昔、朝鮮人といえば何となく薄汚くて貧しい、無学で非衛生的という感じが、第一印象としてありました」と書く姜氏は、「すべて根源をたどれば、土地における所有関係が規定したといわざるをえないのです」と書きます。こうして食えない小作農の子弟が都会に来てルンペン化し、彼らの多くは満州やシベリアに流れていった、とあります。
フランスの歴史家アラン・コルバンにならえば、彼らの中にも無数のピナゴを発見することができるでしょう。
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