2010年01月23日12時02分掲載  無料記事
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ロシアン・カクテル

(16)“スヴャーテキ” の年占い<上> 結婚・収穫・家畜の多産は? タチヤーナ・スニトコ

  スヴャーテキ(Святки;神聖な日;1月6日―19日)に占いをしないのはロシア人ではないと言われています。 占いというのは、現代のキリスト教の立場からは良くないこととされているけれども、古代スラブ人は占いの神を尊崇していたのです。 
 
 人生何が起こるかわからないと言います。それで、人は自分の将来のことを事前に知りたいと思っています。人間というのは前向きに人生を歩めば運も又向こうから近づいてくるのです。自分の将来を占うということは人生の成功の一手段なのかもしれません。 
 
 「占い」は、ロシアの冬の一番重要な “神聖な祭りの12日である時期の「スヴャーテキ」”には欠かせません。「スヴャーテキ」は1月6日の「ロシア正教のクリスマス前夜」に始まり、19日の「Крещенье;クレシェニイェ“イエス洗礼祭”」の日まで続くのです。昔は、悪いことが起こることを恐れて12日間の間、誰も何の仕事もしませんでした。 
 
 キリスト教以前の昔は、「スヴャーテキ」というのは、新しい年の祈りと吉兆の占いの儀式でした。「スヴャーテキ」の時には、結婚・収穫・家畜の多産などについて占いをしたのです。 
 また、同じその時期には「коляда;コリャダ」ということをしました。「コリャダ」というのは、人々が熊・馬・山羊・牛などの仮装をして町を歩いてあちこちの家の前で「コリャヂキ」という歌を歌ったり、みんなの幸せと健康を祈る詩を吟唱したりする儀式なのです。訪問を受けた家々では仮装をした人たちにお祝いの料理や果物を差し上げたのです。又、町を回った後で、仮装した人たちはみんな、家々からいただいた料理で小宴を張ったのです。 
 
 「コリャダ」という言葉はラテン語の「calendae;カレンダー」と言う言葉から来ています。 
 
 スラブ民族では、占い「“гадание”ガダニイェ」は「гад;ガヅ」という“運と幸せの神様”を礼拝する儀式の中で一つでした。 占いの方法は世代から世代へと伝えられてきました。一年のうち、皆で占いをする時が2回ありました。それは冬と夏の神聖な時期である「スヴャーテキ」でした。夏の時期の占いはとても簡単なもので皆一緒の遊びのようなものでしたが、冬には大変しばしば夜中に、それも一人だけで占うこともたびたびあったのです。占いをする前には、飾りものは取り外して,洋服の結び目はほどき、場合によってはすべての洋服をぬいで、髪をたらし,靴をぬいだのです。 
 
 最も占いをするのに良い日は“旧正月前夜”(ヴァシリイの夜;1月13日)と“クレシェニイェ「イエス洗礼祭」の前夜”(1月18日)です。旧正月の前夜には特別の料理「Васильев вечер;“クチヤ”と“ヴァリェーニキ”)を作ります。“クチヤ”というのは干した果物、クルミ、蜂蜜が入った玄です。殻のままの小麦で作った“カシャ”と“ヴァリェーニキ”はクリームチーズかサクランボを入れて煮た餃子のようなものです。 
 “ヴァリェーニキ”には思いがけないものが入っていることがあります。その思いがけないものとは、その年を占うものです。例えば、“キャンディー”は“恋が成就する”、“きゅうり”は“健康である”、“クルミ”は“恋人ができる”、“一本のマカロニ”は“海外旅行へ行ける”、“お米”は“うれしいニュースがある”などです。 
 
多くの人たちは1月14日がお正月の最後の日と考えており、1月15日になると正月飾りのモミの木をかたずけます。 
 
 キリスト教の教会は、悪魔と交流すると言われる占いには反対であるけれど、その人を止めることはしません。1月19日に行われる冷水浴は占いの罪を洗い流すと信じられています。日没後、真夜中、日の出前の早朝は、占いには一番いい時間であると言われています。又、占いをするのに一番適した場所は、人がいなくて鬼が住んでいるようところだと信じられています。例えば、荒ら家、バーニャ(баня;ロシア式蒸し風呂)、家畜小屋、地下室、シェーニ("сени”)といわれる家の入口の間、屋根裏、お墓などです。ペーチカ(ロシア式暖炉)、家の敷居、家の隅、道路の交差点、氷の穴、井戸などの人間の住む世界と魂のある世界の境界なども占いするには良い便利なところだと考えられています。 
 
 昔は道路の交差点の中でのとても危険な呪いや治療の占いをしました。又、門に上っての運命占いもしました。それは、門の上からいろいろな音を聞いて、その音をさまざまに解釈して占うのでした。又、門の前に立って人が通り過ぎるのを待ちました。もし通り過ぎた人が男性だったら、それは幸運を意味しました。女性だったら不運を意味しました。又ある場合は、若い女性が夜外に出て通りがかりの人に名前をたずねました。その名前により自分のこれからの運命を占いました。その名前が将来の婚約者の名前だとか、その人と同じ様に将来の婚約者はハンサムだとかお金持ちだとかを占うのでした。もし最初の通りがかりの人が女性だったら、自分の将来の姑さんの名前はその人と同じ名前であると占いました。 
 
 その昔、ヤロスラヴェリ州には次のような習慣がありました。女性はブリーン(блин;ロシア風パンケーキ)を頭の上に乗せて(ブリーンはガヅ神さまの贈り物でした)自分のこれからの運命を聞くために家から外へ出るのでした。もし現代のロシアでこんなことをする人がいたら、みんなビックリしてしまいますよ! 
(つづく) 
 
写真:http://fotki.yandex.ru/users/smprokhorov2008/view/182453/ 


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