2010年02月08日21時23分掲載
無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201002082123201
社会
マイカーから公共交通重視へ転換を 高速道無料化の過ちを考え直すとき 安原和雄
国土交通省が「社会実験」として6月頃から始める一部高速道での無料化プランが話題を呼んでいる。その是非をめぐる論議の決め手は何か。利用者の負担軽減が決め手なら、高速道に限らず、新幹線も無料化したらどうかという理屈も成り立つだろう。目下の焦点は利用者の負担軽減ではない。わが国の総合交通体系を現在のマイカー中心から公共交通機関中心にどう転換していくかが焦点であるべきであろう。
マイカー中心では温暖化対策、いのち尊重にも反する。にもかかわらずそれを容認することを意味する無料化は政策として見当違いである。その過ちを考え直して、公共交通重視の社会へどのように転換していくかに知恵を出すときである。
▽大手紙社説は高速道無料化をどう論じたか
国土交通省の発表によると、高速道路料金無料化実施の対象となるのは、地方の2車線区間を中心に37路線の50区間で、合計距離は1626キロ。無料化の対象外としていた首都高速と阪神高速を除く全路線の約18%にあたる。6月をめどに始める。
まず大手5紙の社説(2010年2月4日付)の見出しを紹介する。
*朝日新聞=高速無料化 小規模でも賛成できない
*毎日新聞=高速無料化 社会実験と言えるのか
*読売新聞=高速道無料化 ほかに予算の使い道がある
*日本経済新聞=高速道無料化の実験は疑問が尽きない
*東京新聞=高速道路無料化 『社会実験』になるのか
以上の見出しからも分かるように各社説ともに高速道無料化には疑問、問題点を指摘している。読み比べてみると、その主張にはかなり重複もあるので、ここでは疑問点を網羅的に論じている朝日新聞社説を以下に紹介する。
〈朝日社説〉の大要
多くの問題点を置き去りにして進めるやり方で、賛成はできない。
高速無料化は、昨夏の総選挙で民主党が政権公約の柱の一つにした政策だ。
無料化プランの責任者である馬淵澄夫国土交通副大臣は「地域に貢献するであろう路線を選定した。一定程度の経済効果を生むのではないか」と、利点を強調した。
ドライバーには朗報で、対象地域の観光施設などにもプラスだ。しかし、政策には光と影の両面がある。さまざまな世論調査で、高速無料化に反対の声が多いのも、マイナスの影響を心配すればこそだろう。
高速無料化は基本的に自動車利用を増やす政策で、鳩山政権が力を入れようとしている温暖化対策と矛盾する。これはマイカーによる二酸化炭素の排出が増えるだけではない。
競合する鉄道や路線バス、フェリーなどの公共交通機関の経営にも響く。これらは本来、温暖化対策として強化すべきものだが、逆に圧迫されてゆく。存続が危ぶまれている地方の公共交通機関の経営には即座に深刻な影響が及び、通学や高齢者など地域住民の足が奪われる心配もある。
たとえば全国のJRで最小規模のJR四国は、路線維持のために節電など涙ぐましい経費削減の努力を続けてきた。高速を無料化されたら、「これまでの努力はひとたまりもない」と、松田清宏社長はいう。
深刻な財政難のなかで巨額の財源を投じ続けなくてはならないことも、高速無料化の大きな問題だ。
来年度の無料化に必要な予算は1千億円。鳩山政権は実験で効果や影響を検証し、2012年度に首都高速と阪神高速などを除く全国で原則無料化に移行する構えだが、それには毎年度最大1.8兆円の財源が必要となる。
経済効果といっても、高速道路沿線がにぎわう代わりに在来線沿いの地域がさびれるかもしれない。
鳩山政権は、この巨額のお金で社会保障や教育の強化など、もっとほかにすべきことがあるのではないか。
国の財政が赤字を垂れ流し続けている現状を考えれば、まずは高速無料化という政策を事業仕分けの対象として吟味することが先決だ。
無料にしてきた欧米の国々でも、環境対策から有料化の流れが強まっていることも考えてほしい。
〈安原の感想〉 ― モーダルシフトをどう進めるのか
朝日社説は、二酸化炭素の排出増、鉄道など公共交通機関との競合とその経営への影響、地域住民の「足」への悪影響、在来線沿いの地域の衰退懸念、国の財政負担増、欧米諸国の環境対策の新潮流―など無料化の問題点を丁寧に拾いあげて、警鐘を鳴らしている。ひとつ一つの問題点は、指摘の通りである。
ただ車社会そのものをどう変革していくのか、という視点が不十分なように読めるが、いかがか。いいかえれば高速道を有料のまま置いていれば、それだけで十分なのか、という問題が残されている。わが国の総合交通体系の転換、今風にいえば、モーダルシフト(modal shift=貨物や人の輸送手段の組み替え)をどう進めていくのかという課題こそ焦点ではないか。
▽ 米国のクルマ社会に始まったカーシェアリング
米国のクルマ社会に関する最新の一つの報告を紹介したい。毎日新聞北米総局の大治朋子記者による「クルマ社会に微妙な変化?」という見出しつきの記事(毎日新聞夕刊=東京版=2月1日付)で、その大要は以下の通り。
米国といえば、クルマ社会。だが08年秋からの景気悪化で、車を手放したり、買わずにすます人が少しずつ増えている。09の新車販売台数は前年比21%減だった。82年以来27年ぶりの低水準だ。
この流れを後押ししているのが「カーシェアリング(車の共有)」と呼ばれるサービスだ。米最大手「ジップカー」は、08年秋から、前年比70%増のペースで利用者が増えている。現在会員は、都市部を中心に30万人。新規の6割は車を売ったり、購入計画を止めた人だという。
週末ドライバーの私も昨年秋、ジップカーに切り替えた。インターネットで会員登録し、年会費50ドル(約4500円)。近所の駐車場などに駐車されたジップカーから好みの車を選ぶ。利用料は首都ワシントンの場合、普通車は1時間7ドル(保険料、ガソリン代込み)、週末に1日借りると、77ドル(同)。自宅近くで借りられるので、レンタカーの店舗に行くわずらわしさがない。
私の場合、車を保有していた時に払っていた毎月の駐車場代(約2万円)、保険料(年間約16万円)、税金(同約7万円)が不要になった。
ジップカーは、米ハーバード大などに勤務する女性2人が「環境に優しく経済的」という触れ込みで2000年に起業した。車を所有する場合に比べ、年間走行距離は4割減と推計されている。欧州では同様のサービスはかなり普及しているが、車好きの米国人の間では広まらなかった。
米フォード社を除くと、ジップカーに車両を提供しているのは、欧州や日本の大手メーカー。フォード社のビル・フォード会長は米メディアの取材に「交通の未来はジップカー、公共交通機関、マイカーを混ぜ合わせた形になる。私はそれを恐れていないし、マイカーの性質を変えていくチャンスだと考えている」と語っている。米レンタカー大手も、業界への本格参入に動き始めた。
〈安原の感想〉 ― 米国クルマ社会にも変革の波か
大治記者は記事を「米クルマ社会は、微妙な変化を見せ始めているような気がする」で結んでいる。それが記事の見出しにもなっているわけだが、いささか控えめすぎる評価、展望とはいえないか。
私が注目したいのは、フォード社会長が米国の交通未来図に触れた後、つぎのように指摘している点である。「私はそれを恐れていないし、マイカーの性質を変えていくチャンスと考えている」と。「私はそれを恐れていない」の真意は、今ひとつつかみにくい。マイカーの地位はいずれ低下していくことを覚悟しているという意味なのかどうか。いずれにしてもフォード社会長は「変化」は避けがたいという展望を持っていることが、読み取れる。米国においてマイカー社会が突出した形でいつまでもつづくことは好ましいことではないという判断ともいえる。
最初は微妙でささやかな変化であっても、大方の予測を超えて、それが大きな質的変化につながっていくことは、歴史の教えるところである。
▽ 公共交通が主役の社会を目指して
現在のマイカー中心の交通社会を維持していくのか、それとも大量輸送ができる公共交通機関(鉄道、バス、路面電車、フェリー、船舶など)中心の交通社会を新たに構築していくのか、その選択が目下の大きな課題となっている。二者択一ではなく、どちらが主役になるのが望ましいかという選択である。マイカー中心の社会にはマイナス面が多いことを考えれば、公共交通機関が主役となる社会を目指すべきであることはいまさら指摘するまでもない。
マイカー中心社会のマイナス面のうち2点だけ列挙すれば、以下のようである。
*環境汚染型であること
一人が同じ距離を移動する場合、マイカーは鉄道に比べ約6倍、バスに比べ約2倍の石油エネルギーを浪費し、それだけ地球温暖化の原因である二酸化炭素(CO2)を大量に排出する。このことは環境対策にはマイカー依存症からの脱却、マイカーの規制強化が不可欠であることを示している。
*人命破壊型であること
2009年の交通事故死者数は4,914人(前年比241人減。事故から24時間以内に亡くなった犠牲者)で57年ぶりに5千人割れとなった。事故死者数が減ること自体は望ましいが、今なお年間約5千人もの多くのいのちが奪われている悲惨な事実は消えない。阪神・淡路大震災の死者数は6400人余を数える。こちらは犠牲者を悼む集団行事があるが、交通事故死の場合、公的行事は聞いたことがない。いのちの尊さに変わりはないはずだが、交通事故死には一種の慣れが社会に広がっているのではないか。
鳩山首相の施政方針演説「いのちを守る」を読み直してみたが、多数の交通事故死に言及するところはない。交通事故死者の「いのち」は政治・社会から見捨てられているといっても過言ではない。マイカー社会を維持するための「必要悪のコスト」という認識なのか。仮にもそうであるなら、奇怪にして理不尽というべきである。
以上のような車社会のマイナスを考えれば、公共交通主役の社会の設計とその構築は急務である。そのためにはマイカー社会にお墨付きを与えるような高速道無料化政策の実施は見当違いである。石油エネルギーの枯渇はもはや時間の問題ともいわれる。ガソリンに依存するクルマ時代の「終わり」が始まっていることを認識したい。
だからこそ総合交通体系の中でマイカーの比重をいかに下げるかに知恵を使いたい。その一策としてむしろ鉄道料金の引き下げこそ奨励すべき時である。米国の新潮流に見習ってカーシェアリングの普及にも力を入れたい。公共交通機関が少なく、マイカーに依存せざるを得ない地方では地域内を循環するコミュニティ・バスの普及も不可欠である。
もう一つ、もっと歩くことを重視したい。徒歩は交通の原点であり、健康にも良い。私自身はクルマを持っていないし、日常生活ではできるだけ歩くように努めている。旅は鉄道と決めている。
たしかに高速道無料化は民主党のマニフェスト(政権公約)の柱の一つに掲げてある。だからといって、それにこだわる必要はない。民主党政権発足後の世論調査では、高速道無料化を疑問視する声がむしろ多数派である。鳩山首相が尊敬するインドのマハトマ・ガンジー師の言葉ではないけれど、「過ちは改むるに憚(はばか)ることなかれ」(中国の論語=あやまちを犯したら、ためらわずにすぐ悔い改めよ)というではないか。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/
Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。