2010年02月20日10時12分掲載  無料記事
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環境

「もったいない」で地球を守ろう 相互につながる環境・資源・平和 安原和雄

  ノーベル平和賞受賞者で、日本語の「もったいない」の普及運動をすすめているワンガリ・マータイさんがアフリカのケニアからまたもや日本へやってきた。多忙な日程の一つ、シンポジウム「21世紀の環境と平和を語る 〜 いま、私たちに何ができるか 〜 」でマータイさんは「もったいない」の世界における一層の普及に尽力することを約束した。さらに現下の世界が直面している「環境・資源・平和」についてこの3つのキーワードは相互につながっているという認識を示した。これは「もったいない」精神で地球を守ろうという呼びかけにもなっている。 
 
 ワンガリ・ムタ・マータイさんは1940年ケニア共和国生まれ。植林によるグリーンベルト運動の創設者として知られる。2005年2月、毎日新聞社の招きで初来日したときに日本語の「もったいない」に出会って感銘を受け、世界に向けて「MOTTAINAI」キャンペーンを始め、現在キャンペーン名誉会長。 
 ケニアの環境・天然資源省副大臣、ケニア共和国国会議員などを歴任し、2004年に環境分野で初のノーベル平和賞を受賞した。09年4月「MOTTAINAI」キャンペーンの国際的な活動が評価され、日本の旭日大綬章を受賞、さらに09年12月コペンハーゲンで開かれた国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議の場で国連事務総長から国連平和大使に任命された。 
 
 マータイさんは今回、京都、広島なども訪ね、広島市では原爆資料館や原爆ドームを視察、原爆被災者とも会った。秋葉忠利広島市長と懇談し、「核廃絶に向けた世界的な世論をつくっていくことが重要」などと語った。 
 
 シンポジウム「21世紀の環境と平和を語る 〜 いま、私たちに何ができるか 〜 」(2月18日、国連大学=東京・渋谷区神宮前=で創価大学、毎日新聞社の共催)ではまずマータイさんの基調講演があり、パネルディスカッションではパネリストとしてマータイさんのほか、浅井慎平(写真家)さん、山本修一(創価大学教授)さんが参加し、コーディネーターは斗ヶ沢秀俊(毎日新聞社科学環境部長)さん。 
 
(1)マータイさんの発言内容 
 マータイさんの基調講演、パネルディスカッションでの発言の趣旨は以下の通り。 
 
*人類は森林なしには生きられない 
 私は森林保護がきわめて大切だと考えている。なぜかというと、森林、緑の植物は二酸化炭素を貯え、その一方、酸素をつくり出す。だから人類は森林なしには生きていくことができない。仏教のリーダーたちは、昔からこのことを認識していた。つまり環境と宗教とが一体となっている。ところが欧米ではこのことは忘れられており、環境と宗教とが分離された状態にある。 
 温室効果ガス(二酸化炭素など)の20%は森林伐採が原因といえる。だから森林を守らなければならない。森林をその劣化から守り、植林していく必要がある。 
 
*環境と資源と安全保障(=戦争と平和)は相互につながっている 
 環境と安全保障問題がつながってきているのが近年の特徴といえる。その影響を一番強く受けているのがアフリカだ。 
 アフリカでは昔から原始的自給自足の農業に依存してきた。これが土地の劣化を起こしやすい。それに焼畑農業は土壌を破壊していくことで、砂漠化が進む要因にもなっている。かなりの人が家畜とともに遊牧民の生活をしてきたが、最近では気候変動の影響で雨がなくなり、干ばつが広がって、多くの家畜が死んでしまった。 
 
 アフリカでは放牧、農業のための土地がなくなり、そこから紛争が起こる。ケニアの場合、耕作可能な土地は全体の3分の1で、残りの3分の2が耕作不能となっている。土地が乾いているためだ。耕作可能な土地をめぐって部族間の抗争にもなる。 中東では水が不足し、これが紛争の原因になっている 
 石油、石炭に限らず、森、土地(土壌)、水などの資源が劣化し、不足すると奪い合いが起こり、緊張を招く。このように環境が悪化し、資源が不足すると、戦争や紛争が起きる。環境と資源と平和(=安全保障)の問題は相互につながっていることを見逃してはならない。だからこそ環境や資源を大切に守ることが重要な課題になってきた。 
 
 ヒマラヤの氷河が溶けてきている。北極圏の氷も同じように溶けている。やがてこの地球という惑星上で水の奪い合いが起きて、戦争を誘発する事態にもなりかねないだろう。この惑星ではお互いのいのちがつながっている。だから水の奪い合いは自分たちのいのち相互の問題であり、日本の問題にも発展していくだろう。資源の管理をきちんとしなければならないときである。 
 
*「もったいない」と「腹八分目」は日本人の素晴らしい価値観 
 日本語の「もったいない」は環境用語の3R(=Reduce・削減、Reuse・再使用Recycle・再生利用)ともう一つのR(Respect・尊敬)を意味してもいる。モノを大切にし、感謝するという日本人の素晴らしい価値観である。 
 日本の何度でも使える風呂敷やお箸(はし)、さらに古い着物を新しい着物に縫い変えるのも素晴らしい。シャワーの使い方も、世界で水をめぐって争いが起きているのだから、沢山の水を使わないようにしよう。 
 ケニアのナイロビ大学研究所でこの「MOTTAINAI 」という欧米にはない価値観を教えたいと考えている。 
 さらに京都で日本人から学んだ言葉に「自然との共生」を意味する「共生」(ともいき)がある。これも日本の素晴らしい遺産といえる。もう一つ、「里山と暮らす」という生き方も教わった。 
 「もったいない」のメッセージをもっと世界に発信していきたい。幸いインターネットがあるので、これを活用して普及に努めたい。 
 
 もう一つ、京都のお寺で「腹八分目」のお話を聞いた。残りの二分を他の分野に貢献できるわけで、この「分ける」という発想は「抑制し、コントロールすること」を意味しており、素晴らしい。 
 インドのマハトマ・ガンジーは説いた。「自然(大地)は一人ひとりの必要を満たすだけのものは与えてくれるが、貪欲は満たしてくれない」と。 
 
(2)写真家と大学教授の発言内容 
 ここではパネルディスカッションでの2人のパネリストの発言(趣旨)を紹介する。 
 
 写真家の浅井さんは次のように述べた。 
・昔は、水を買って飲むとは、考えてもいなかった。日本の水の様々な姿を写真にとってリポートを書く仕事をやってきたが、今、日本の水は相当深刻な状況になっている。まさに自然環境のテーマとつながっている。 
・言葉を使うときは、その人の人格が問われていることを認識しなければならない。「もったいない」は女性(祖母と母)から教わった。この言葉については怒鳴らないことが肝要だ。「もったいない」を怒鳴って言うことはできない。知足(=足るを知ること)もそうだ。文明をコントロールすることが大切な時代となってきた。 
 
 創価大学教授の山本さんは以下のように発言した。 
・仏教が環境問題にどういう風に貢献できるかを考えるときである。テレビで大食い競争などを映している。飢えている人が世界に沢山いるのに、これは世界に対して恥ずかしいことだ。現代は、文明が問い直されているのではないか。豊かな生活、幸せとは何かを問うときである。今の文明は満足することを知らない。 
・「腹八分目」など素敵な言葉が日本には沢山ある。好い言葉は引き継いでいかねばならない。モノやカネではなく、目に見えないもの、例えば徳などの大切さを自分で意識すること。環境問題もまず意識することが大切で、そこから自分の行動を変えていくことができる。 
 
〈安原の感想〉― マータイさんの心意気に学ぶとき 
 
 マータイさんを含む3氏の発言は、シンポジウムの趣旨にふさわしい内容であった。特にマータイさんが繰り返し強調したのは次の2点である。 
・日本には「もったいない」、「腹八分目」、「共生(ともいき)」など素敵な日本語が多い。なかでも「もったいない」を世界で普及させることに今後とも力を注いでいく。 
・環境と資源と平和(=安全保障)の問題は相互依存の関係にある。だからこそ平和な地球を創っていくためには環境や資源を大切に守ることが重要な課題になってきた。いいかえれば環境や資源を粗末にし、劣化させ、不足状態になると、地球上に紛争や戦争が絶えない。 
 
 私は以上の2点も相互につながっていることを強調したい。水を含めて環境や資源を守り、大切にするためには、一人ひとりの日常生活のありようを変革しなければならない。そのためにはマータイさんが感嘆している日本語の「もったいない」、「腹八分目」、「共生」の感覚を日常生活に生かして、地球を守っていくことが不可欠といえよう。 
特に水不足は深刻で、日本にとっても身近なテーマになってくるだろう。どう対応していくか。例えばシャワーの使い方についてマータイさんの次の助言に耳を傾けよう。 
「世界で水をめぐって争いが起きているのだから、沢山の水を使わないようにしましょう」と。おもわず「納得・・・」と首をすくめる向きも少なくないのではないか。日常の無造作な行為、所作が自分自身の首を絞める結果にもなりかねない、とマータイさんは警告している。 
 
 マータイさんはすっかり日本(語)贔屓(びいき)になった印象がある。仏教思想に裏打ちされた「もたいない」などの日本語を世界に向けて発信する伝道者でもある。そのことには感謝したいが、それにしてもなぜ我々日本人が、自ら進んで発信者にならないのか。 
「ならない」というよりは「なれない」のではないか。それは想うに明治維新以来の欧米の文明、文化の模倣の習性から今なお抜け出すことができないためではないか。考えてみれば、何とも恥ずかしい姿勢といわなければならないような気がする。 
 
 マータイさんは、欧米の植民地として踏みつけにされ、恵まれないアフリカの一角で生まれ、育ったからこそ欧米を越えて日本の文化に大きな関心を払っているようにも想える。 
現下の民主党政権も、多くのメディアも「日米同盟の深化」などという見当違いの執着心を捨てて、地球規模の視野で日常的に実践していくマータイさんの心意気にこそ学ぶ必要があるのではないか。 
 
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です 
http://kyasuhara.blog14.fc2.com/ 


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