2010年03月06日09時55分掲載
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「地球救援隊」の創設を提唱する 宮沢賢治「雨にも負けず」を生かして 安原和雄
カリブ海のハイチ(1月)に続いて、南米のチリ(2月)で大地震が発生、数え切れないほどの多くの犠牲者を出す大惨事をもたらしている。日本政府はハイチでの復興支援のため、国連平和維持活動(PKO)として陸上自衛隊1次隊(約200人編成)を派遣した。
大地震に限らず、地球温暖化に伴う異常気象のほか、疾病、飢餓など地球規模の支援策が求められる脅威が今後強まることは避けられない。この多様な脅威にはいうまでもなく軍事力は無力であるだけではなく、有害でさえある。
この機会に自衛隊を全面改組して、「地球救援隊」(仮称)を創設することを提唱したい。これはわが国の平和憲法本来の「平和と非武装」理念を具体的に実践していくことを意味しており、同時に宮沢賢治の「雨にも負けず」に込められている詩情を地球規模で生かすことにもつながるだろう。
▽自衛隊を非武装の「地球救援隊」へ全面改組すること
(1)なぜ今、地球救援隊なのか
日米安保=軍事同盟は、憲法前文の平和共存権と9条の「戦争の放棄、非武装、交戦権の否認」という平和理念と矛盾しているだけではない。日米安保体制を「平和の砦」とみるのは錯覚であり、むしろ平和=非暴力に反する軍事力を盾にした暴力装置というべきである。諸悪の根源ともいえる。だから日米安保体制=軍事同盟は解体すべきであり、それこそが平和への道である。
いのち・自然を尊重し、多様ないのちの共生を希求する仏教思想から導き出される日本の新たな進路選択が非武装の「地球救援隊」(仮称)創設である。なぜいま非武装の地球救援隊なのか。
第一は今日の地球環境時代における脅威は多様である。脅威をいのち、自然、日常の暮らしへの脅威と捉えれば、主要な脅威は、地球生命共同体に対する汚染・破壊、つまり非軍事的脅威である。非軍事的脅威は地球温暖化、異常気象、大災害、疾病、飢餓、貧困、社会的不公正・差別など多様で、これら非軍事的脅威は戦闘機やミサイルによっては防護できないことは指摘するまでもない。もちろん軍事力の保有自体、資源・エネルギーの浪費であり、軍事力の直接行使は地球、自然、人命、暮らしへの破壊行為である。
第二は世界の軍事費(2009年)は総計1兆4640億ドル(1ドル=90円で換算すると約130兆円、「ストックホルム国際平和研究所」・SIPRI調べ)の巨額に上っており、限られた財政資金の配分としては不適切であり、巨大な浪費である。この軍事費のかなりの部分を非軍事的脅威への対策費として平和活用すれば、大きな効果が期待できる。にもかかわらず巨額の軍事費を支出し続けることは、軍事力の保有による軍事的脅威を助長するだけでなく、むしろ戦争ビジネス(例えば日米の軍産複合体)に利益確保の大きな機会を与える効果しかない。
第三は「9・11テロ」(2001年アメリカの政治、軍事、経済の中枢部を攻撃した同時多発テロ)以降、テロの脅威が独り歩きしているが、最近のテロの背景にアメリカの世界戦略、外交、軍事政策に対する反発、報復があることを認識する必要がある。いいかえればアメリカの先制攻撃論に支えられた強大な軍事力を梃子(てこ)とする覇権主義が、むしろ世界における脅威となっている側面を見逃すべきではない。アメリカの国家権力こそ世界最大のテロリスト集団という見方も成り立つ。このアメリカの戦略、政策を根本から変更しない限り、テロ対策として軍事力を行使することは、むしろ暴力と報復の悪循環を招くにすぎない。
以上から今日の地球環境時代には軍事力はもはや有効ではなく、むしろ世界に脅威を与えることによって「百害あって一利なし」である。こういう事情は、「核兵器廃絶」を唱えるオバマ米大統領登場後の今も大きな質的変化は期待できそうにない。武力に依存しない対応策、すなわち地球の生命共同体としてのいのちをいかに生かすかを21世紀という時代が求めているというべきであり、そこから登場してくるのが非武装の地球救援隊構想である。
中米のコスタリカは1949年の憲法改正で軍隊を放棄し、今日に至っている。日本が自衛隊の全面改組によって地球救援隊の創設に踏み切れば、コスタリカとの連携を深めつつ、世界の平和(=非暴力)を創っていく上で先導的な貢献を果たすことにもなるだろう。
(2)地球救援隊の具体的な姿
さて地球救援隊構想の概要(目的、達成手段)は次の諸点からなっている。
*地球救援隊の目的は軍事的脅威に対応するものではなく、非軍事的な脅威(大地震などの大規模災害、感染症などの疾病、不衛生、貧困、劣悪な生活インフラなど)に対する人道的救助・支援さらに復興・再生をめざすこと。
*活動範囲は内外を問わず、地球規模であること。特に海外の場合、国連主導の国際的な人道的救助・支援の一翼を担うこと。
*地球救援隊の積極的な活用によって、国と国、人々との間の信頼感が高まり、軍事的脅威の顕著な削減を実現できるという認識に立っていること。
*自衛隊の戦力なき「地球救援隊」への全面改組であること。従って地球救援隊と縮小した自衛隊とが併存するものではないこと。
*自衛隊の全面改組を前提とする構想だから、自衛隊の装備、予算、人員、教育、訓練などの根本的な質の改革を進めること。
・装備は兵器類を廃止し、人道救助・支援に必要なヘリコプター、輸送航空機、輸送船、食料、医薬品、建設資材・機械類などに切り替える。特に台風、地震、津波など大規模災害では陸路交通網が寸断されるため、空路による救助・支援が不可欠となる。それに備えて非武装の「人道ヘリコプター」を大量保有する。
・防衛予算(現在年間約5兆円)、自衛隊員(現在定員約25万人)を大幅に削減し、訓練はもちろん戦闘訓練ではなく、救助・支援・復興のための訓練とする。
・特に教育は重要で、利他精神の涵養、人権尊重に重点を置き、「いのち尊重と共生」を軸に据える新しい安全保障を誇りをもって担える人材を育成する。
*NPO(非営利団体)、NGO(非政府組織)などと緊密な協力体制を組むこと。
*必要な新立法を行うこと。例えば現行の自衛隊法は自衛隊の主な行動として防衛出動、治安出動、災害派遣の3つを定めているが、このうち災害派遣を継承発展させる方向で新立法を行う。自衛隊法、有事関連諸法は廃止する。
以上の構想を実現させるためには国民多数の支持が不可欠であることはいうまでもない。そのためには我々自身の歴史的かつ画期的な意識変革が求められている。
▽「雨にも負けず」の詩情を地球規模で生かす
(1)込められている慈悲と利他の心
地球救援隊構想にはイメージとして宮沢賢治(注)の「雨にも負けず」の慈悲と利他の心が込められている。その詩情を地球規模で生かしていくのが地球救援隊である。
(注)詩人、童話作家の宮沢賢治(1896〜1933年)は岩手県生まれで、花巻で農業指導者としても活躍し、自然と農業を愛した。日蓮宗の信徒として仏教思想の実践家でもあった。
よく知られている「雨にも負けず」の大要を紹介したい。
雨にも負けず、風にも負けず、慾はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている
(中略)
東に病気の子供あれば、行って看病してやり
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば、行って、怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い
旱(ひでり)の時は涙を流し、
(中略)
みんなに、木偶坊(でくのぼう)と呼ばれ、褒(ほ)められもせず、苦にもされず
そういう者にわたしはなりたい
この詩を地球規模の視野に立って、21世紀版「雨にも負けず」として読み替えれば、何がみえてくるか。以下のように解釈し直すこともできるのではないか。宮沢賢治の深い仏の心と詩情が戦力なき地球救援隊の創設をしきりに促していると受け止めたい。こういう道を大胆に選択することこそが21世紀の地球環境時代に生きる智慧といえるのではないか。
(2)21世紀風に読み解くと
(以下の<>内が読み替え)
*雨にも負けず、風にも負けず、いつも静かに笑っている
<地球温暖化に伴う異常気象が世界各地で猛威を振るっている。日本では2004年夏の台風で死者・不明者は220名を超えた。自衛隊ヘリコプターの活躍がテレビを通じて放映された。異常気象への備えが十分で、いつでも地球救援隊が駆けつけてくれるという安心感があれば、笑っていることもできよう>
*東に病気の子どもあれば、行って看病してやり
<開発途上国では生まれてから1歳までに亡くなる赤ちゃんが年間約700万人、5歳の誕生日を迎えられずに命を失ってしまう子供は年間1100万人にものぼる。その過半数は栄養不良による。どのように看病すれば、いいのか。世界中で自然環境を汚染・破壊し、いのちを奪うために浪費されている巨額の軍事費のうちほんの一部を回せば、子ども達の目も生き生きと輝いてくるだろう>
*西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い
<世界中で安全な飲料水を入手できない人は11億人(地球総人口は現在推定67億人)で、コンピュータ利用者の約2倍に及んでいる。また基礎的な衛生施設を利用できない人は24億人もいる。人口増加を考慮に入れると、2015年には予測される世界人口の40%に相当する約30億人が「水不足国」に住むであろう。水をめぐる局地的な紛争や武力衝突は増加する可能性が高い。アフリカや西アジアでは水瓶(みずがめ)を頭の上に乗せて何キロも離れた距離を運ぶ女性の姿は珍しくない。これでは女性、母たちもたしかに疲れるだろう!>
*南に死にそうな人あれば、怖がらなくてもいいと言い
<世界で南の発展途上国を中心に8億人が飢えている。地球上の住民のうち8人に1人が飢えている勘定だ。南の国々でマラリアの患者は3億人超ともいわれる。スマトラ沖大地震・インド洋大津波(04年12月26日発生)による死者・行方不明者約30万人、避難民約150万人。毎年50万人超の女性が妊娠と出産のために死んでいる。「怖(こわ)がらなくてもいい」と言われても、死に直面する恐怖から自由になるのは容易ではない。地球救援隊が素早く駆けつけて、救援の手を差し伸べることができれば、少しは恐怖が軽減されるかも知れない>
*北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないから止めろと言い
<「北に喧嘩」の北とはアメリカであり、喧嘩とは、アフガニスタン攻撃に続くアメリカ主導のイラク攻撃とイラク占領を指している。正当な理由もなく、正義に反し、世界中の非難を浴びているのだから、性懲りもなく続けるのは止めなさい、という声は地球上を覆っている>
*旱(ひでり)のときは涙を流し
<欧州西部(フランス、スペイン、ポルトガル)で05年水不足が深刻になり、庭の水まきやくるまの洗車を禁止する自治体が増えた。国境をまたいで流れる河川の水の奪い合い、広域の山火事も発生。03年夏は35度を超す酷暑となり、フランスでは高齢者を中心に1万5000人が死んだ。異常気象がもたらす悲劇にはたしかに涙も流れる!>
*みんなに「でくの坊」と呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず
<日本がイラクへ自衛隊を派兵しなければ、アメリカは日本を「でくの坊」、つまり 「役立たず」と非難し、褒めてはくれないだろう。しかし自衛隊の派兵を日本が拒否し ていたら、イラクをはじめ、多くの国や人々からは「苦にもされず」つまり「結構では ないか」と評価されただろう>
*そういう者にわたしはなりたい
<そういう国に日本はなりたい、私はそれをお手伝いする人間になりたい>または<そういう思いやりがあり、「世のため人のため」に働く人間に私はなりたい>
もし宮沢賢治が今健在なら、この読み替えをみてどういう感想を洩らすだろうか。もはやそれを聴く術(すべ)はないが、想像すれば、日本を含めて世界の激変、悪化に驚き、歎くに違いない。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です
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