2010年04月13日13時06分掲載
無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201004131306522
消えない核戦争、テロの恐怖
「核なき世界」を標榜しているオバマ米大統領の主宰で、12日から二日間の日程でワシントンで核安全保障サミットが開幕した。核がテロリストの手に渡らないためにどうするのか、などを世界の指導者らと話し合い、行動計画を決めるのが狙いだ。奇しくもサミット開催の12日は、米国での核兵器開発を初めて承認した当時の大統領ルーズベルトが死亡してから丸65年という節目に当たるという。ルーズベルトは、4期目を迎えたものの、わずか就任4カ月足らずで急逝し、自分が結果的に幕を開けた核競争時代の行く末や、その後の核冷戦の激化などを知らずにこの世を去った。それから65年。冷戦終結を迎えたものの世界は、未だに核戦争や核テロの恐怖から抜け出せないでいる。(戸田邦信)
多数の要人が集まる今回のような大規模なサミットは、第二次大戦後の1945年に、国連設立の準備のためにサンフランシスコで開催された国際会議以来という。
ルーズベルトが、核兵器開発を推進したのは、亡命科学者で著名なアインシュタイン博士らから1939年に、ナチのヒトラーが、原爆開発を進めているとの警告書簡を受け取ったのがきっかけだった。ドイツがもう保有しているかもしれないとの恐怖心が、原爆開発に拍車を掛けた。後に米国の原爆開発の父と呼ばれるオッペンハイマー博士を中心に、軍部の管理下で、全米から超一流の研究者が参加し、「マンハッタン計画」と呼ばれる極秘の原爆開発計画が実施された。
1945年に入り、欧州戦線では、ヒトラーの敗北が濃厚となっていたが、ルーズベルトは同年4月に急逝する。後継者は、外交経験のない、副大統領のトルーマンだった。トルーマンは、初めて秘密の原爆開発計画を側近から打ち明けられ驚く。
トルーマン就任後の1945年7月米ニューメキシコ州の砂漠で、人類史上初の核実験が行われた。実験に使われたのは、プルトニウム爆弾だった。このころ、既に、同計画に参加していた科学者たちは、米の核独占は続かず、遠からず、米ソの核競争時代が到来することを直感していた(ソ連の初の核実験は1949年8月)。
一部の科学者は、核競争は人類の破滅につながるとして、核の国際管理と、核兵器の情報をソ連に開示し、核を米ソで共有することで核の軍事競争を阻止することを主張するようになった。さらに日本の降伏を早め、一般住民が被害を受けないために、原爆の実戦使用の前に、日本に警告する意味で、どこかの場所で原爆のデモンストレーションを実施するようにも、米上層部に提案したりしていた。
しかし、これは結局受け入れられず、45年8月の広島、長崎の原爆投下につながる。この投下によって、ソ連は遮二無二核開発を進め、その後の核冷戦は、先見の明のある科学者たちの警告した通りになった。当時のオッペンハイマー博士らが恐れたのは、広島、長崎の後、再び核戦争が起きたら、世界文明は消滅するとの危惧だった。
トルーマンが、なぜ原爆投下を決定したのか。未だに歴史家、研究家の間で様々な意見が交わされている重い問題である。米国での定説は、投下2年後の1947年に原爆使用決定に関わったスチムソン元陸軍長官が、雑誌ハーパーに発表した論文「原爆使用の決定」に基礎を置いている。骨子は簡単に言えば、爆弾投下の決定は、45年11月に予定されていた日本本土上陸作戦(オリンピック作戦)を実行すれば、米軍兵士が100万人死亡する恐れがあった。これを避けるには、原爆を使用し、戦争を早期に終結するしか方法がなかった、とするものである。つまり、上陸か、使用かの二者択一という単純な見方である。
この考えは米国民の間で根強く、1995年にスミソニアン博物館が予定した原爆展開催が、この見方に異論を唱えるものとして、激しい反対にあったことが記憶に新しい。その一方で、歴史家などの地道な研究で、トルーマンの投下決定をめぐり、米政権内で、実際は様々な意見が交わされていたことが明らかにされている。例えば、原爆の投下目標は、軍事施設に限り、一般住民の被害は避けるべきだったとの意見もあった。
トルーマンが、なぜ決定をしたのか、未だ謎の部分があるという。日本が和平のシグナルを送っていたのに、日本が求めていた無条件降伏の修正を、なぜ頑なに変えず、戦争を続けたのか、との疑問もある。
これまでの一般的な見方をまとめると、「戦争を早期に終結し、米兵の生命を救うためだった」のほかに、「共産主義ソ連の欧州への進出を食い止めるために、原爆を威嚇に使うためだった」「日本の真珠湾攻撃や、旧日本軍の残虐行為に対する報復であった」「米国内世論の反日感情に根ざした人種的な偏見」などが指摘されている。
トルーマンが、核実験成功の報を受けたのは、1945年7月のポツダム会議の最中だった。トルーマンには、すごい破壊力の新型兵器を作ったと、原爆であることを秘密にして、さらりと伝えた。トルーマンは、驚かなかった。なぜなら既に米国の原爆開発をスパイ網を使って知っていたからだ。
最後に、ルーズベルトが終戦まで存命であったら、果たして原爆を使用したかどうか、との問いかけも米国ではある。急遽、大統領に就任したトルーマンと違い、ルーズベルトは大統領を長く務め、外交問題に精通し、世界情勢を熟知していた。もし、原爆を使用しなかったら、その後の世界は変わったものになっていたのであろうか。
Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。