2010年04月26日08時57分掲載
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中国
強制立ち退き拒否して住民が焼身自殺 現場指揮の政府高官の復職に世論の批判高まる
土地開発、都市改造に伴う住民の立ち退き、住宅の取り壊しによって人権を無視した手段が行われていることはこの20年来の問題だが、都市部では北京、上海などに続いて地方都市にその波が押し寄せている。昨年9月、成都市で起きた立ち退きを拒否する住民の焼身自殺事件で、一時停職された政府の役人が1年もたたないうちに復帰したことがわかり、再び世論の批判が集まっている。この報道から浮かび上がるのはいったん官位につけば罪に問われることのない党と政府の体制ではないだろうか。(納村公子)
中国で激しい世論の嵐を起こした唐福珍焼身自殺事件が、最近再び論議を巻き起こしている。4月8日、『南方週末』誌が、強制執行の指揮をとった鍾昌林が、事件後「唐福珍にすまないという気持ちは持っていない」と述べ、さらに「焼身自殺は法を無視した悲劇だ」と言ったと報道した。
鍾昌林は成都市金牛区都市管理執法局の局長で、強制立ち退きによって唐福珍が焼身自殺したあと、一時停職になっていたが、いまはいつの間にかもとの地位にもどっている。成都市政府が行った問責行為は実はメディアと大衆を黙らせるための一時しのぎ。この3年来、各地で強制立ち退きに伴い犠牲者が出る事件が起きているが、その役人に対する責任追及はみなこのようなものだ。
2009年9月13日、立ち退きを求める人員が唐福珍の自宅を訪れたが、補償金額などで合意できず、唐夫妻は立ち退きを拒否した。立ち退き強制執行の当日、命がけで自宅を守ろうとする唐福珍は「房在人在、与房共存亡(家があれば人がいる。生き死には家とともに)」という横断幕を屋上にかかげ、自らに火をつけ、同じ月の29日、救護のかいなく亡くなった。
「唐福珍焼身自殺事件」は広く世間の注目を集め、強制的な立ち退き取り壊しの方法が人々からやり玉にあげられた。成都市政府側は世論を鎮めようと「判断を誤り、処置がよくなかった」として現場指揮にあたった鍾昌林を停職処分にした。だが、唐福珍の死にいささかの陳謝の念もない鍾昌林は復職している。関係責任者に対する政府の処分はあまりにも軽い。
金牛区政府が成都市政府に出した意見書では、この事件を「法の執行において指揮が不適であったことによる事故」だとしていたが、問責状況を見れば、責任者に対する処分は形式的な政治パフォーマンスだと思わざるをえない。
▽唐福珍焼身自殺事件は氷山の一角
命の犠牲を伴った強制立ち退きで、現地政府が「わが子かわいさ」で役人の処分を軽くする例は、この焼身自殺事件にとどまらない。同様の事件で責任を問われた役人は全員復職している。
「ガソリンまいたからって栄書記がクビになると思うか? 李県長が罷免されると思うか? ガソリンなんかまいてみろ、息子は母親をなくし、父親は嫁をなくし、なんの得がある? 全国の例をここに列挙したって、誰が処分された? 処分されたって別のところに移るだけだ」
これは新華社系列の『瞭望東方週刊』が報じた天津の強制立ち退き問題の取材記事中に引用された天津市寧河県教育局の劉広宝党書記の発言である。
〔訳注:2009年、天津市寧河県で中国銀行の職員住宅が周辺一帯の開発のため取り壊しとなったが、補償問題をめぐって数世帯が立ち退きに応じず、そのうち小学校教師の張煕玲が立ち退き説得のもようをひそかに録音していた。説得では唐福珍焼身自殺事件が引き合いに出され、上記のような発言があったほか、「ニンジンの次には棍棒だ」(補償の恩恵に応じなければ実力を行使する)という脅しもあり、張煕玲が授業からはずされるなどのいやがらせもあった。結局今年3月張教師は応じることになる。栄書記と李県長は寧河県のトップ。「中国経済ネット」より〕
たしかにこれが現実だ。この3年で、強制立ち退きのために命が失われた8事件のうち、メディアの調査でも一人の責任者も責任を問われていない。問責があったとしても形式的で、世論の圧力が薄まれば役人たちはほとんど復帰している。
唐福珍焼身自殺事件では、立ち退かされた人によると、政府側に「取り壊しをしたあとで補償手続きを行う」といった違法があったという。夫の胡昌明によると、住宅を強制的に取り壊すため、政府側から誘い出され、何度も軟禁されたという。強制取り壊しの段階になって、夫妻の家族11人が拘束された。
唐福珍が亡くなった後、成都市政府は世論を鎮めるために唐福珍の親族らに慰撫工作を行い、事後の補償交渉では、「家族はメディアや弁護士に接触してはならない。司法に訴えたりしてはならない」と言ってきたという。このような違法な要求に、胡昌明は無力感を感じた。政府は家族11人の保釈を決定したが、それは保証人をつける保釈であり、公安組織による無罪としての決定ではない。
成都市が唐福珍の住宅取り壊しへの補償金は217万元〔約2800万円〕という。胡昌明は、これでは家を建てたときの総額の3分の1にすぎないと強調した。
この焼身自殺事件のあと、2009年末、北京大学法学院の沈▲〔山の下に帰〕、王錫鋅、陳端洪、銭明星、姜明安の5人の学者が全国人民代表大会に上申し、「都市家屋取り壊し管理条例」の廃止を求めた。学者らは、この条例は「憲法、物権法、不動産管理法、国民の住宅保護とその他不動産保護の原則および具体的規定に抵触しており、都市の発展と私有財産権保護の両者間の関係をねじまげている」としている。
今年初め、取り壊し条例の代替えとして「国有地上の住宅徴収と補償条例」について、一般に意見が求められた。取り壊し条例にくらべ、徴収条例の適用範囲は「公共の利益」を明確にしている。
唐福珍焼身自殺のあと、現場で指揮にあたった鍾昌林はかつて、唐福珍は「個人の利益が公共の利益より上だと思っている」と言った。何をもって「公共の利益」というのか。どのみち政府が一方的に決めるのだ。
■唐福珍焼身自殺事件(CCTV、SOUHUなどのインターネット情報に基づく)
2009年11月13日、四川省成都市、強制立ち退きに抵抗して唐福珍(47歳)が焼身自殺をした事件。建物は唐福珍とその夫、胡昌明の持ち家で、1996年借地契約をして建てた3階建て。2007年、下水道整備工事のため成都市から立ち退きの交渉が行われたが決着していなかった。
事件当日、早朝5時に市政府による強制立ち退きが執行され、追い立てられた一家十数人(夫婦の子どものほか兄弟や甥、姪らが住んでいた)は寝間着姿のまま3階に逃げ、唐夫妻は3階屋上に上がり、ガソリンをまくなど抵抗を続けたが、夫らが執行人員に暴力を振るわれるようすを見た唐福珍は自分にガソリンをかけて自殺を図った。待機していた消防隊によって火は消し止められたが、唐は29日に死亡した。現場は建物2階屋上、執行人員側から一部始終が撮影され、映像が公開されたことで中国ではショッキングな事件として注目された。
原文=『亜洲週刊』2010/4/25 艾白記者
翻訳=納村公子
*焼身自殺の場面は「唐福珍」で検索するとネットの動画で見られる。
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