2010年05月16日07時31分掲載
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中国
「尊厳を返せ」と北京の芸術家たちが電撃デモ 芸術区の相次ぐ強制解体に抵抗
天安門事件をへた1990年代から、北京では郊外地区に芸術家たちが集まり、そのときには過激なパフォーマンスは世界から注目された。しかし、官制組織に入っていない彼らの活動は当局から無視され続け、展覧会は理由なく中止に追い込まれたり、過激なパフォーマンスは「犯罪」と見なされ投獄されるアーティストも出ている。彼らの活動の場はこれまで何度も解体に追い込まれており、今年2月にも不動産開発のために強引な取りつぶしや暴力的ないやがらせ事件が発生した。それに対し、芸術家たちは長安街での電撃デモを決行した。(納村公子)
2月22日午後、北京の長安街に小さなデモ隊が現れた。20名ほどの芸術家たちが手に「公民権」「凶悪犯に厳罰を、悪を叩き排除せよ」などのスローガンを掲げ、「尊厳を返せ」などと声高に叫んで建国門から天安門へ向かって行進した。
約一時間後に長安街の東、全国婦女聯合会ビルのあたりで警察に制止されたが、芸術家たちは、「この長安街での権利保護『電撃デモ』は新たな歴史を創るだろう」と宣言した。このデモは、1989年(訳注:第2次天安門事件の起こった年)よりあとに中国公民が長安街で行った3回目の無許可デモだ。前の2回とは、1998年に起こった法輪功事件、2007年に起こった北京市民が政府の腐敗に抗議したものである。
事の起こりは2月22日午前2時ごろ、北京の朝陽区にある創意正陽芸術区が100人を超える正体不明の暴徒の奇襲を受け、創意正陽芸術区や008芸術区などの芸術家8人がこの衝突の中で怪我をした。負傷者の一人は女性、また日本人芸術家も一人含まれている。
008芸術区にある権利保護事務所の壁には、正体不明の輩によって、暴力で強制排除されることになる芸術家たちの運命を予告するかのような言葉が書きなぐられていた。いわく、「ここには芸術家なんぞ要らない、失せろ!」
創意正陽や008(国際)芸術区は、北京市朝陽区東北部の都市と農村が隣り合うところ、首都国際空港とCBD(訳注:中央ビジネス地区。都心部にある)の間に位置する。
この数年、有名な芸術区である「798」(訳注:大山子芸術区。1950年代に中国人民解放軍軍事工場「798工場」だった所なので、「798芸術区」とも呼ばれる。2003年頃から芸術家たちが集まり始め、現在100以上ものギャラリーが並んでいる)に近いことから、「798」の延長区域として朝陽区の崔各荘と金盞郷の境目に10余りの芸術家村が次々と誕生した。2009年後半、朝陽区政府は都市建設用地備蓄計画を始動し、10余りの芸術家村も軒並み建設用地に組み入れられた。地方政府が都市と農村の一体化建設を推し進める流れの中で、東営・正陽・008・黒橋・草場地など、1000人以上の芸術家が暮らす10余りの芸術区が立ち退きの渦の中に巻き込まれてゆく。
2月初め、追い出し部隊のブルドーザーによって、ほぼ一夜のうちに東営芸術区は一面の廃墟と化した。そこで暮らし創作に勤しんでいた多くの芸術家たちの家財道具も作品も、すべてひきつぶされてしまったのだ。強制立ち退きの嵐に直面して、東営芸術区の悲劇が繰り返されるのを避けるため、まだ完全には追い出されていない芸術区の人々は、夜間も含めた見回り、「フクロウ活動」を開始した。
芸術家たちはそうして家を守ろうとしている。その方法をとらざるを得ない背景には、芸術家たちの権利保護活動に「弱み」があるからだ。彼らの仕事場がある土地は地質的に農業用地で、しかも彼らは所有権を持っていない。さらに借り手として、借り受けの手続きにも合法的でない部分があるなど、法律の保護を受けられる契約をしていない。
このため芸術家たちは、主に3つの面で具体的な要求を出している。第一に貸し手は、引越し先を見つけて移転準備を整えるための充分な時間を与えること。第二に貸し手側の契約違反のせいで芸術家たちが仕事場を改修することになった分の金銭的な損失を、貸し手は合理的に補償すること。この他、「来た途端に追い出される」身の上となって、芸術家たちは関係する政府部門に、この現象を重要視し、芸術家たちに生活が安定し心穏やかに暮らせる場所を与えて欲しい、と訴えた。
しかし、冷酷な法律と莫大な利益を生む不動産開発の荒波の前で、現実は、芸術家たちの要求は石に卵をぶつけるようなものだった。
貸し手側は筋の通った金銭的な補償をしないばかりか、一日も早く貸した場所から芸術家たちを追い払うため、立ち退き要請の通知を出した後すぐに、立ち退き対象の芸術区の水道と電気を止めてしまった。芸術家たちは生活環境を脅かされているだけでなく、尊厳を深く傷付けられた。この間、追い出し部隊は何度も正陽や008芸術区を襲撃したが、交代で24時間見回りを続け権利保護を訴える芸術家たちにすべて阻止された。
創意正陽芸術区の張駿の説明によると、22日未明、約200人の暴徒がナタやツルハシ、煉瓦を手にして芸術区に奇襲をかけて来た。権利保護活動の当直室は、正体不明の輩に大型の機械車両を使って屋根を剥ぎ取られ、ドアや窓は跡形も無く叩き壊された。
その暴挙を阻止しようとした当直の芸術家たちは騒ぎの中で多くが殴られた。その中には008から正陽の現場へ支援に駆けつけていた、呉玉仁や劉懿らもいた。衝突が約30分続いたあと、警察が現場へやって来たが、その時には暴徒らはとっくに誰一人いなくなっていた。
これは2009年後半から、北京で多くの芸術区が強制立ち退きに遭って以来起こった最も激しい衝突である。
22日正午、北京市朝陽区と金盞郷など関係する政府の役人が創意正陽芸術区に駆けつけ、殴られた芸術家たちを見舞った。だが、強制立ち退きについて、また芸術家たちが生活に困難を強いられているなどの問題を直視して、それらに対しコメントすることは無かった。暴徒の襲撃で怪我を負った芸術家、呉玉仁や劉懿、孫原らはついに長安街へと出て行った。
20人近い芸術家のデモ隊は、次第に多くの通行人に取り囲まれた。デモ隊の先頭には「公民権」と書かれた横断幕が掲げられ、芸術家たちは「暴力によって立ち退かせることに反対する、我々に尊厳を返せ!」「暴力で立ち退かせるなど、首都の恥さらしだ!」とスローガンを叫んだ。
全国婦女聯合会ビルにさしかかったところで、芸術家のデモ隊は結局警察に阻止された。デモ隊はなお前進しようとしたが、警察に取り押さえられた。呉玉仁は言う。デモ自体が間もなく強制立ち退きをさせられる芸術区を守ることはできないだろう、しかし芸術家個人の尊厳が踏みにじられた時、尊厳を守るため立ち上がらない訳にはいかないのだ、と。「私たちは竇娥(訳注:元代の戯曲に描かれた悲劇の女性。冤罪で死刑になる)にはなれないし、祥林嫂(訳注:魯迅の『祝福』の主人公。あらゆる不幸に見舞われ乞食に落ちぶれて死ぬ)でもない。自分の権利は自分で勝ち取らねばならないのだ!」
「電撃デモ」に関わった権利保護活動をする芸術家たちはある共通認識を代表している。つまり、デモにはもう一つ別の目的があった。それは、平素は人から尊重されている芸術家たちですら生活環境がこんな脅威にさらされているのは、「中国社会がすでに危険な状態にある」ことを中央政府に気づかせるためである。
芸術家たちの状況と最近の行動に対して、北京政府からいまだ正式な回答は無い。この件に対処した警察も見解を出すことを拒否している。
原文=『亜洲週間』2010/3/7 艾白記者
翻訳=吉田弘美
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