2010年05月24日02時48分掲載
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テレビ制作者シリーズ12 「瞽女さんの唄が聞こえる」を作った伊東喜雄さん 村上良太
昭和46年(1971年)に撮影された盲目の女旅芸人である瞽女(ごぜ)の記録映像が40年近い時を経てドキュメンタリー映画になりました。「瞽女さんの唄が聞こえる」(34分)です。
新潟県上越市で暮らしていた高田瞽女3人の暮らしと旅公演を記録したものです。瞽女は400年以上の伝統を持ち、その数々の歌は日本の音楽の原型になったと言われています。瞽女はその後、日本で絶えてしまったため、この映画も貴重な映像記録になってしまいました。完成後、地元の上越市で上映したところ、懐かしい、是非もう一度見たい、など大きな熱気に包まれました。現在、東京の門前仲町でも定期的に上映会を開いています。
監督の伊東喜雄さん(69)はラジオやテレビ番組の構成の仕事をしてきました。伊東さんは上映会で「構想40年、34分の作品です」と舞台挨拶を行いました。
映画の冒頭、3人の盲目の女性が箒やはたきを持って家を掃除しています。その様子はまったく自然にてきぱきとしたものです。家の中の地図が3人の頭の中に見えるようです。3人つましく助け合って掃除や炊事をし、食卓を囲みます。ご飯粒は一粒も残さなかったそうです。「3人みな清楚でチャーミングでした」と伊東さんはその出会いを思い出します。
杉本キクイ、杉本シズ、難波コトミの3人の瞽女は三味線を抱え、村から村へ、町から町へと渡り歩きました。最盛期には年300日もの旅公演をしていたそうです。キクイとシズの二人は全盲でコトミは弱視です。しかし、宿では褄折れ笠も履物もきちんとそろえて座敷に上がります。日常のことはすべて自分達で行い、自分の技で食い扶持を得、誇りを持って生きていました。しかし、共同生活のためには結婚や恋愛も諦めなくてはなりませんでした。その決まりを破ったものは離れ瞽女として、孤独に生きていかなくてはならなかったことも描かれています。
三人の十八番は「葛の葉・子別れの段」です。
「・・・夫に別れ子に別れ もとの信太へ帰らんと 心の裡に思えども いや待てしばしわがこころ 今生の名残りに今一度 童子に乳房を含ませて これより信太へ帰らんと 保名の寝つきを伺うて 差し足抜き足忍び足 我が子の寝間へと急がるる・・・」
皆目を爛々と輝かせて聞き入っています。葛の葉姫は実は狐だったため、やがて夫と子どもに別れなくてはならなくなります。でも最後にもう一度子どもに乳を含ませたい・・・別れのくだりが農村の女の心をとらえました。持ち歌にはその他、「山椒大夫」や「俊徳丸」などがあります。リーダーのキクイは一曲30分を越える長い唄物語を50以上もレパートリーに持っていました。
「くどき」歌も魅力だったそうです。「ねずみくどき」では、同じ家に住んでいるのに猫はお頭つきのご飯をもらい、自分達ねずみは箒でぶったたかれる、と嘆きます。馬くどきや蟹くどきなど、それぞれの生き物達がわが身を語る歌がありました。伊東さんは「TBS調査情報」1970年春先号に瞽女をラジオ番組で取材した時のことを寄稿しています。
「越後瞽女唄に「へそあなくどき」と称する唄がある。生まれてくるのになくてはならなかった「へそ」を忘れて日々楽しみに興ずる目鼻耳口その他の穴どもの騒ぎに気をもんでいる「へそ」の、無力な嘆きをうたって痛烈なユーモアあふれる名作である。」
と書き、へそあなくどきの一節を引用します。
「くにはどこよと たずねてきけば くにはうちまた ふんどしごおり」
伊東さんが瞽女と初めて出会ったのは1969年(昭和44年)冬、学園紛争たけなわの頃です。28歳の伊東さんは早稲田大学文学部を6年で中退し、TBSラジオでアルバイトをしていました。
クイズ番組のクイズを作ったり、レコードを選んだりと雑用的な作業を何でもやっていました。しかし、社員でない自分が演出家になるチャンスは永久に来そうにありませんでした。そんな時、越後高田にまだ瞽女がいるという話を聞き、行ってみようと思ったそうです。放送局の録音機材のデンスケと15分テープ20本を携え、国鉄の列車に乗っていました。
瞽女の唄に伊東さんは「確かなものを感じることができた」と言います。「歌は世につれ、世は歌につれ」と言いますが、そうではなくもっと根源的なものがあると伊東さんは思ったのです。
当時、伊東さんは漠然とした孤立感の中で生きていたそうです。「社会変革を目指していたわけでもなかった。要するに・・・自分には根拠がないんですよ」と伊東さんは振り返ります。
伊東さんは高校時代、テレビで「学生映画祭」を見て影響を受けました。東京の大学生たちが作った映画を放送していたもので、日大の新映画研究会の足立正生が作った「椀」や「鎖陰」、あるいは早大シナリオ研究会が作った「1.052」などの作品が紹介されていました。「鎖陰」は女性器が閉ざされセックスができない奇形を持つ女性の恋愛を描こうとする映画でした。一方、「1.052」は体内の血液をテーマに映像化を試みたシュールな作品でした。
伊東さんは目に見えないものを映像にしようとしたそれらの作品に強い印象を受けたそうです。
「ラジオは映画に似ています。しかし、テレビと映画は似ていません。ラジオも映画も目に見えない何かを描こうとするのです。
一方、テレビは目に見えるものをそのままに撮影します。
テレビを否定するつもりはありませんが、両者はそのぐらい違っています」
1969年の晩秋、越後高田で一泊した伊東さんは瞽女研究家・市川信次氏の話や三人の瞽女唄と話の録音を行いました。1970年1月、TBSラジオの30分番組「ドキュメント日本」で放送にこぎつけました。続編も加えると瞽女を取材した伊東さんの番組は合計4本オンエアされ、業界人としての出発となったのです。
「当時は新幹線開通や万博など日本中が豊かさに向けて走っていました。そんなとき、瞽女さんたちは昔ながらの生活をひっそり行っていました。昭和30年以降、瞽女さんは次第に少なくなっていき、ついに絶えてしまいます」
この映画を見ると、失われたものが何だったのか、その世界を垣間見ることができます。
■「瞽女さんの唄が聞こえる」の上映会と座談会
6月13日(日)午後2時から東京の門前仲町駅(地下鉄東西線)に近い門仲天井ホールで上映します。4月から隔月で6回上映会を行っています。毎回、多彩なゲストを交えて、瞽女や伝統芸能の魅力について語り合います。次回のゲストは京楽座主宰の中西和久氏(説経節三部作「しのだづま考」の演技で文化庁芸術賞を受賞)。その後の予定は門仲天井ホール(電話 03−3641−8275 東京都江東区門前仲町1−20−3−8F)にお問い合わせ下さい。
■伊東喜雄さん(1941年〜)構成作家、主として民俗芸能や、いわゆる障害を持つ人々の人物ドキュメントに多く関わってきた。
ラジオ番組には祖国復帰直前の沖縄で大流行した風疹で、聾者になった高校生たちを描いた「沖縄・風疹児からの伝言」など多数。構成作品には日本テレビ・タイム21「黒門市場」「日本一寒い町」やテレビ朝日ネイチャリングスペシャル「ピレネー365日 風の谷虹の村」など。
■この映画のDVDは3990円で販売しています。
映画の他、瞽女唄(約25分)も収録されています。
オフィスITO 電話・FAX 03-5228-2123
村上良太
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