2010年07月22日00時01分掲載
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アジア
【イサーンの村から】(3)バンコク暴動とチェンマイ・タイ米FTA阻止行動 タイ民衆運動の底力を知ってほしい 森本薫子
2010年4〜5月は日本でもバンコクの暴動のニュースが盛んに報道されていた。ちょうど私は日本に一時帰国中だったため、様々なニュースやテレビ番組で、タイの赤シャツ隊VS黄色シャツ隊の話題を毎日のように目にした。しかし日本の多くの報道は、政府側(黄色シャツ隊)の批判が多く負に落ちなかった。「池上彰の学べるニュース」でもタイの暴動が取り上げられていたが、赤シャツは農村部の貧困支援をしていた元首相タクシンの支持派、黄色シャツはそれに不満を持つ都市部のエリート層が支持、というような説明だった。これを見て、メディアの見解・説明を鵜呑みにするのは危険だなとつくづく思った。
◆村ではタクシン批判派はひっそり
赤シャツ派デモ隊はたしかに農村の人々が主だったが、500バーツ(約1500円)〜1000(約3000円)ほどの日当がもらえ、食事や日用品も支給されるとのことだった。農村での農作業の日雇いの日当は、地域にもよるが200〜300バーツ。丸一日田植え、稲刈り、または、サトウキビ収穫などの作業をしてもらえる額の倍近くを、デモに参加して毎日得られるのだから、農閑期はよいバイトになると考える農民も多かっただろう。また、身分証明書を回収されたため、デモから抜けることができなかったという話も聞いた。ほとんど強制的に参加させられた人々もいたということだ。政治に関心を示さない村内の若者たちまで、仕事がないとバンコクの暴動に参加していた。
NGOで活動する人たちは黄色シャツ派が多い。といっても現政権を支持というわけではなく、私欲を満たし、農村開発の本来の目的である「自立」と逆行したタクシンのやり方に強く反対という意味でだ。夫もタクシン反対派だが、村内では絶対そんなことは口にしない。親戚と話すときも、叔父さんたちがタクシン支持を熱く語るのを聞き流しながら相槌をうつだけだ。今の時期、着る服を選ぶときも赤と黄色はひとまず避ける。しかし今回のバンコクの暴動については、叔父さんたちもやりすぎだと感じているらしく、「もううんざりだ」と言っていた。村人は赤シャツ派だとは言っても、暴動に関しては、「もっとやれ!」という派もいれば、叔父さんのように「いい加減にして欲しい。もう暴動はたくさんだ」と辟易している人もいる。
たしかに、農村の支援・発展に目を向け、行動を起こしたという点で、今までの首相にはなかったことでタクシンを評価する声もあるが、それはそもそも農民の人気取り。これで農民票を一気に獲得するためだった。お金を単純に配るだけの政策。個人にお金を配られても使って終わり。地域内でうまく運用して地域の発展に繋げる、という意図は全くなかったようだ。それでも農民にとっては、お金をくれる人に悪い印象を持つわけがない。バイクを買った、牛を買ったと喜んでいる。
◆素晴らしかったタイ米FTA反対デモ
本当にタイはデモが多い。私もNGO職員だった頃に何度か参加したことがあるが、それらは決してお金に釣られたデモではなかった。2006年1月にチェンマイで参加したデモはすごかった。タイ政府とアメリカ政府の間のFTA(自由貿易協定)交渉の即時中止を訴えるものだったのだが、タイ全国のNGOや農民連合、消費者連合、学生連合、スラム住民連合、HIV感染者グループなど11のネットワークから約1万人の人々が集まった。これらのグループは、FTAが締結されれば人々の生命と生活に深刻な悪影響を及ぼす恐れがあるということで、薬の特許期間(知的所有権)、農産物市場の自由化、資本投資の自由化について指摘していた。
1万人のデモ隊は日中はチェンマイ市内を行進。水も食事も配給され、交通整理チームも組まれていた。看護チームも常に待機。夜は交渉会議が行われているシェラトン・ホテルの周りに野宿だった。夜はホテル前の路上にステージが設けられ、闘志の歌で盛り上がる。簡易トイレも設置され、HIV感染者への薬の時間のお知らせと、薬を忘れた人への薬の支給も手配されていた。いつもダラダラとしているように見えるタイ人だが、このような時の行動力、結束力、組織力には脱帽する。
デモの先頭であるホテル入り口前には黒いスカーフをした最前線チームがいた。構成するのは住民・農民運動の中心となってきた村人たちで、怪我や逮捕も覚悟の100人だった。そこへ行ってみると、JVC(日本国際ボランティアセンター)インターンのホームステイ先だった農家のお父さんがいるではないか!
「トンローお父さん!なんで最前線チームに?!」
このお父さんは、タイで自然農業運動が普及され始めた本当の初期から自然農業を実践している地道で努力家の農民だ。彼が最前線チームにいてもおかしくない。 …いや、でも危ないって!でもお父さんは「いや〜 カオルじゃないか。久しぶり!ミキ(ホームステイしていたインターン)はどうしてる?」と昔話を始めるほど穏やかだった。良く見てみると、最前線チームとホテル入口前の警備員たちは楽しそうにおしゃべりしていたりする。警備員も一般タイ人。今回のFTAが締結して少なからず影響を受ける可能性のある人たちだ。でもたぶん、警備員たちはこの交渉内容は知らないだろう。
◆市民の運動が流れを変えた
もちろんデモ隊の中にも、交渉の詳しい内容も把握せずに周りの仲間たちに誘われ参加した人々もいただろう。が、少なくとも、バイト代は出ていなかったし、強制でもなかった。そしてこの時のFTA交渉は締結にいたらず終了した。
私はデモが実際にこのような結果をもたらしたことに感動した。一般市民の力で国際的な交渉を止められるものなのかと。政府に対して正式な要求書を出したことも影響しただろうが、この人数が集まらなかったらできなかったかもしれない。たとえ詳細を把握していない人々が参加していたとしても、自分たちの生活に影響する深刻なことだということは理解していたはずだ。危険で迷惑な暴動が印象づけられてしまったタイだが、市民が自分たちや仲間たちの権利のために本気で立ち上がるデモもあるということは日本の人にも知ってほしいと思った。
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