2010年08月07日12時53分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201008071253126

農と食

なぜ動物皆殺し政策を続けるのか   天笠啓祐

  7月27日、山田正彦農水大臣は、口蹄疫の問題について述べた際、「家畜伝染病予防法」の改正にふれた。当日の記者会見の速記録によると、宮崎県との間で意見の相違があり対策に影響が出たため「国の危機管理体制を強化する」方向で改正を考えている、という発言内容だった。さらに国の権限を強化して、家畜の皆処分を迅速に進めたい、とも述べていた。これに対して新聞記者から反論はなかった。 
 
  家畜伝染病予防法は、病気をなくすために、罹患した動物はもちろん、周辺の動物も皆殺しにする考え方の上に成り立っている。「病気を見て動物や農家を見ない」考え方である。市民感覚では、なぜ家畜をあれほどまでに大規模に殺さなければいけないのか、という思いがある。この点について、考えてみたい。 
 
  口蹄疫は、きわめて感染力の強い口蹄疫ウイルスが引き起こす病気である。感染すると発熱したり、口の中や蹄の付け根に水膨れが出たりするなどの症状が出る。そのためこの名前が付けられた。しかし、死亡率は高くない。健康な家畜であれば、まず死ぬことはありえない。 
 
  ではなぜ口蹄疫の牛や豚を、なぜ殺すようになったのか。この点について、山内一也東大名誉教授がその経緯を述べている。この病気は、元々、英国で地方病として定着し、農民に大きな被害をもたらしてきた。社会防衛の観点から、病気が広がらないように、1892年以来、その周辺の家畜を含め、すべて殺処分する方式が始まった。 
  ところが1920年に発生した病気は、殺処分対象が多すぎて、殺す順番が回ってくる前に直る動物が出始め、農民の間で殺処分方式に疑問が広がったという。この病気は、免疫力がついて自然に治癒することが判明したのである。農民の間で、治癒するのだから殺す必要はないのでは、という声が強まり、議会で議論が進められた。投票の結果、僅差で殺処分方式継続が採用された。殺処分方式は、議会による多数決で決定されたということである。 
 
  この殺す方式を、国際的なものにしたのがOIE(国際獣疫事務局)で、1957年に口蹄疫予防のための国際条約を作り、この殺処分方式を国際的に採用させていった。日本では、1951年に施行された「家畜伝染病予防法」によって先行して、口蹄疫にかかった牛や豚を、強制的に殺処分することになった。殺さなければ、法律に違反することになる。宮崎県の種牛を飼育していた農家が、最後まで殺処分に抵抗した。しかし、国は強制的に殺処分に踏み切った。国としては、法律に基づいた執行措置であり、この法律がある限り殺処分は繰り返される。 
 
  グローバル化によって、もはや口蹄疫から逃れられる国がなくなってきた。この病気と共存していく仕組みが求められているはずだ。そのため、これまでのような、農家に負担を強い、動物をいたずらに殺す、時代遅れの殺処分方式を止めることが必要である。病気発生を確認したら、時間をかけ直るのを待ち、農家に負担を強いないように転換をはかる必要がある。そのためには、国際条約を改正させるとともに、家畜伝染病予防法を改正させる必要がある。 (科学ジャーナリスト・市民バイオテクノロジ―情報室主宰) 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。