2010年08月12日09時41分掲載
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外国人労働者
EPA「開国」から2年─看護師・介護福祉士受け入れは存続できるか 比人候補生らに聞く
EPA(経済連携協定)による看護師・介護福祉士候補生の受け入れが開始されてから、8月で2年が経過した。2年前の8月9日、灼熱の太陽がジリジリと照りつけるなか、インドネシア看護師候補生らの開校式を取材するため、大手町の経団連ビルを訪れたことを今でも鮮明に覚えている。(和田秀子)
以来、折に触れて彼らを取材してきたが、ここへきて制度自体の存続を危ぶむ声が大きくなっている。
なぜなら、これまでに両国合わせて1,000人を越える候補生たちが来日し、看護師・介護福祉士の国家試験取得に向けて励んでいるが、この2年間で合格したのは、たった3人だからだ。(インドネシア人2人、フィリピン人1人。いずれも看護師)
この厳しい現実を、当の候補生たちはどう捉えているのだろうか。
今年5月に来日し、現在「AOTS関西研修センター(以下、AOTS関西)」で日本後研修を受けているフィリピン人看護師候補生たちに話を聞いた。
■ フィリピン人看護師候補生のホンネ
私が「AOTS関西」を訪れた8月7日、大阪大学でフィリピン文化を研究している学生らと、フィリピン人看護師候補生たちとの交流会が開かれていた。
学生らがタガログ語による歌や踊りを披露したり、フィリピンの文化研究発表を行ったりするたびに、参加していた候補生30人あまりからは、大きな歓声や笑い声がもれた。
候補生らは5月に来日してから3ヶ月間、平日の朝9時〜夕方5時、土曜日は9時〜12時まで、みっちりと日本語を学んでいる。10月の就労開始に向け猛特訓を受けるなか、久しぶりに母語(フィリピン語)を話す日本人学生らを前にして、彼女たちはとてもリラックスした表情を見せた。
私は交流会の合間をぬって、候補生たちにインタビューを試みた。
サイリルさん(37歳)は来日する前、サウジアラビアで7年間、看護師として働いていた。「日本は、近くてとても美しい国。だから日本を選んだ」と来日の理由を語る。夫を母国にひとり残しての来日。子どもはいない。「淋しいけれど、毎晩インターネットでチャットしているから大丈夫」とサイリルさんは微笑んだ。
ご存じのとおり、フィリピンはデカセギ大国だ。母国で看護師として働いても、月給は日本円で2万円程度。そのため、欧米や中東、台湾などへデカセギに行く看護師が多いのだ。
「どの国が一番給料が高いのか」と気になっていた質問をぶつけてみた。
「国によって税金が違うし、働く病院によっても異なるから一概には言えない。でも中東は、税金が一切かからないから助かる。日本では、給料から差し引かれる額が大きいから……」とサイリルさんは言う。
候補生らに支給される月給は、およそ15万円〜18万円だが、そこから所得税や保険料金、住宅手当などを差し引くと、手元に残るのは12万円〜15万円といったところだろうか。
EPA開始当初は、「なぜ、こんなに差し引かれるのか?」「母国では聞いていなかった」と言った声が候補者から挙がったが、サイリルさんらはすでに現状を周知しているようだ。
目下の心配事は、やはり“日本語”の習得だ。10月から愛知県内の病院に受け入れが決まっているが、まだ実際に病院へ足を運んだことはなく、「日本語でうまくコミュニケーションをとれるか心配だ」と話す。また、彼女は以前、産婦人科で看護師をしており、帝王切開の現場に何度も立ち会った経験がある。しかし、日本で国家試験に合格するまでは補助的な仕事しかできない。そのため、「勘が鈍ってしまわないか、ちょっと心配です」と言う。
日本政府に何か要望は? との問いに、「私たちが何を言っても変わらない。とにかくがんばるしかない。もし試験に合格したら、夫を日本に呼び寄せて、できるだけ長く日本で働きたい」と語った。
人なつっこい笑顔が印象的なクリスティンさん(仮名)も、来日する前は、カナダで2年間“介護士”として働いていた。
年齢を尋ねたところ、「ひみつ!」と言って大笑いし、うまく交わされてしまったが、おそらく30代後半〜40代前半といったところだろう。彼女が10代の若い学生と話す姿は、まるで親子のようなツーショットだった。
彼女もフィリピンの看護師免許は持っているが、看護師として働くよりも、他国で“介護士”として働くほうが高い給料を得られるため、介護士としてカナダに渡ったのだという。フィリピンでは医師でさえ、その地位を捨てて海外へ渡り、“看護師”の資格を取得しなおして働くケースが多い。
「日本語は、漢字・ひらがな・かたかなと3種類もあって覚えるのが大変ね。一生懸命覚えても、次の日にはもう忘れてしまう」と言って明るく笑う。
とはいえ、「やっと、ひらがなを書けるようになったのよ」と、紙とペンを持ってきて五十音を私の目の前で書いてくれた彼女の表情は、とても誇らしげだった。
■“プロの看護師”としてのスキルを最大限に活かせる制度に
この交流会を企画した、大阪大学の津田守教授(フィリピン文化研究を専門)は、EPAの制度下で、外国人看護師を受け入れることに対して、こう釘を刺す。
「忘れてならないのは、彼女たちはベテランの“プロの看護師”であるということだ。日本語が不十分なため、まるで小学生のように学んでいるが、学ぶばかりの状態が長く続けば、人は自信を失ってしまう。だから時には日本人も、候補生からフィリピンの言葉や文化を学ぼうとする姿勢を持つことが大切なのだ。人は、誰かに“教える”という行為で自尊心が満たされていく。と同時に、相手が自分の文化や言葉を理解しようと努めてくれていることに安心する。病院に赴任した後も、現場がそのような姿勢で臨むことが大事ではないだろうか。そして今一度、私たちひとりひとりが、“看護師・介護士が不足している”という現状を認識し、それを穴埋めするために“来ていただいているのだ”という視点に立つことだ。そうしなければ、この制度は不幸な結果に終わってしまうだろう」
私は、津田教授の意見に心から同意する。
つまりは、「何のために海外から来てもらっているのか」という、シンプルで根本的な原点に立ち戻り、制度の在り方を考え直す必要があるということだ。
いくつかの支援団体が、制度改善を求めて提案書を政府に提出しているが、「難解な専門用語を易しくする」「漢字にルビをふる」、といった付け焼き刃な対処方法では根本的な解決にならない。
インドネシア人看護師候補生をサポートするガルーダ・サポーターズの宮崎和歌子氏は、次のように指摘している。
「候補生たちは、漢字を象形でとらえて意味を覚えようとしているので、ひらがなでルビをふってもあまり意味がない。それより重要なのは、日本の看護を外国人候補生に理解してもらうことだ。看護に対する考え方や取り組みは、国によって異なる。たとえば、平均寿命の短い東南アジアの看護師は、“老年看護”について多くを学んでいないし、日本のように身の回りの世話を通して患者を診る、という習慣もない。このような、看護に対する考え方の相違を知り、必要な知識を身につけてもらうためには、まず母国で日本語を習得してから、日本の看護学校に入学して学んでもらうのが望ましい。そうすれば、日本の看護の質を低下させず、ミスマッチングも防ぐことができるはずだ」。
宮崎氏は政府に提言書を提出しているが、経済産業省、厚生労働省、文部科学省など、多省庁が関係するため、縦割り行政の現状では、話し合いすら持てない状況であるようだ。
フィリピンの看護師は、そのスキルやホスピタリティにおいて、世界各国から高い評価を得ている。こうした人材をムダにしないためにも、形だけでなく実のある制度へ移行することが望まれる。外国人看護師をうまく受け入れられれば、政府が力を入れようとしているメディカル・ツーリズムの促進にも一役買うだろう。早急な対応が求められている。
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