2010年08月16日00時01分掲載
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「いつの間にか母国語でものを考えられなくなっていた」 金さん(80)が語る韓国併合100年
韓国併合100年の今年、各地で日本のアジア侵略と植民地主義を考える集まりがもたれている。新潟県では8月7日、新潟市と長岡市で韓国の農民、金聖淳さん(キム・ソンスン)を招いて、日本による併合は暮らしの現場でどのように人びとを追い詰めたのかを聞き、話し合う集いがもたれた。今年80歳、今も元気に有機農業でブドウを作る金さんは、「いつの間にか母国語でものを考えられなくなったいた」と話した。「『韓国併合』100年、日本と朝鮮半島の過去・現在・未来を新潟で考える集い」と銘打たれた集会を主催したのは新潟県平和センター・新潟百姓勝手連・新潟総合生協。(堀井修)
まず金さんのプロフィールから紹介する。
1929年10月10日生まれ80歳 金泉市(ソウルから南に200km)
植民地下の日本の師範学校を卒業(定員50名朝鮮人5名)
1949年南北分離独立反対運動に参加逮捕、懲役に服す。
1950年朝鮮戦争に動員され57年除隊
1960年からブドウ栽培を始める。
1970年より農民運動に参加 反朴独裁政権運動に参加
1980年正農会運動を通じ有機農業の普及に努力する
以下、金さんの報告を紹介する。
◆母国語を話すな・・小学2年生だった
小学2年生の時、日本人の先生がチャンコロ(支那事変)と戦争になった。ここも爆撃されるかも知れないと話したのを聞いて戦慄を覚えた。それから、学校では母国語を話してはならない。となり、友達が母国語を話したら密告をするように強制された。
またある日、クラス担当の先生に召集令状がきて先生の出征を学校全体で送った。「勝ってくるぞと勇ましく・・・」私の少年時代は軍歌三昧だった。私達は天皇陛下の住む東京の皇居の方向に毎朝「東方礼拝」を行わされ。月に1回は町に造られた神社へ参拝させられた。名前も金から「金村」と変更され日本が負けるまで使っていた。
師範学校に進み、小学校の教師になって3年で解放(終戦)になった。私は日本語でものを考えるようになっていた。母国語で考えられなくなっていたのだ。母国語で考えるようになるのに3年かかった。
私の父親は小学校の校長だった。私は父に「何故日本帝国」に反抗しなかったのか」を問うた。父は「黙り込んでしまった。」現在では悪いことを聞いたと反省している。
◆朝鮮半島を踏み台にした「坂の上の雲」
みなさんは若い。しかし「100年前に何があったかを知らない。」ではすまされない現実がある。先日出た日韓知識人声明はすばらしい。だが朝日新聞でも3面扱いでは情けない。近い内に出される首相談話に期待したい。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」は日本が朝鮮半島を踏み台にして「日清・日露戦争」を闘った物語だ。踏み台にされた私たちの苦しみに全く触れていない。その頃福沢諭吉は「脱亜入欧」を唱えていた。
私は解放後、南北分離独立に反対し、投獄されその後ぶどう栽培に従事して現在に至っている。
1980年の光州事件では多くの若者や労働者が抹殺された。これはアメリカ合衆国が必ずしも「大衆の希望と一致しない事」を私たちに教えたくれた。
韓国は近くて遠い国になっている。近くて親しい国になりたいものだ。歴史は必ずしもよい方向に進むとは限らない。時には逆行することもたびたびある。何故なら既得権を持っている権力者は死にものぐるいで彼らの既得権を守ろうとするから。これからは文化共生の時代、在日韓国朝鮮人達が堂々と自分の民族、本名を名乗って生活出来るような開かれた日本になって欲しい。
≪質疑≫
−韓国から観て日本は植民地化を反省しているようにみえるか。
「自民党時代にははずれた発言が多かった。しかし、教科書問題のように東京ではあのような教科書を造ったが、地方ではNGO等が教科書として採用しないように運動を起こして最小限にしたことは韓国でも知られている」
−慰安婦問題をどう見るか。
「今でも毎週水曜日日本大使館まえで被害者と支援者が抗議の座り込みをしている。私は彼女達が一人でもこの世を去る前に、日本政府は早く謝罪と生活支援、医療保障をしてほしい」
−子供の頃朝鮮・チョウセンとからかった。先年行われた日・韓共同開催のサッカーワールドカップはどのように思われているのか。
「一人ひとりの日本人はすばらしい人が多い。しかし、国となると変化する。経済大国でなく心から信頼しあえる友好関係を造る事が大切。たとえば、半島では我が国の農民団体とNGOが北の弟が飢えているのに助けてやろうとしても李政権が壁になって実行出来ない。韓国でも米が余っているのに」
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